よく読むブログのなかのひとつ 伊勢白山道。(Gooブログ)
基本は
- 先祖供養を大切に
- そして何より 感謝の気持ちを失わず 怠らないようにしよう
ということがメインのメッセージで
よい気づきをもらえるのでよく訪れています。
今日は その読者からの質問
「愛って何でしょうか? どうやったら絶対的な愛を感じられますか?
愛されていると感じることが出来ますか?」
に対する返答が掲載されていました。曰く、
改めて先祖に対する御礼、感謝、そして天の御蔭で成り立っていることを
忘れないようにしましょうというのが返答だったのですが、
それを踏まえてあわせて 神道について説明されており
なんだかストンと腑に落ちたので
こちらにまた備忘録として記録します。
忙しさにかまけて感謝や愛情を忘れないように自戒の念を込めて。
ーーーーーー以下抜粋ーーーーーー
”今の紛争地で怯えながら苦しみ生きる人が増えています。
この人達も、少し前までは「当たり前に」日常生活をされていたのです。それなりに便利な生活をされていた人々です。
それを失った今は、
・ 以前の生活は当たり前では無かった。
・ 感謝するべきことが多かった。
・ 以前の生活は見えない愛情によって維持されていた。
このように、
「この私たちを生かしてくれていること自体が愛だった」
これを紛争地に居る多くの人が今は、「以前の生活は見えない存在からの愛からのプレゼント」だったと、失ってから感じられていると思います。
読者は、決まったパターンの生活をする内に、パターンの生活が出来ることが当たり前となり、今はそれが苦しみに感じておられるかも知れません。
でも、普通の生活が出来ること自体が、先祖や天の御蔭でもたらされる愛なのです。
何でも無い日常生活こそは、
・ 見えない愛情による産物であり、
・ 陰で働く人達が自らの命を削って支えている生活の御蔭であり、
・ 先祖たちや天の愛情からの産物です。
神道とは、この日常生活の更に先に存在する、大自然こそが神様の愛情の現れとして、そこに神様の姿を見る教えです。
そして、神道では、
・ 当たり前の生活が出来ることが最高の幸福であり、
・ これを日々に神様と大自然に感謝を捧げます。
この「感謝を捧げます」ことが、更に天からの恵みが巡回して来ることに成ることを、天からの愛情が増えることを、昔の人は気付きました。
これが縄文人から始まっています。
つまり読者は、「自分から愛情と感謝を出すことを忘れて」、「自分が愛情を受けたい一方通行」の飢餓状態の心理に成っているだけです。
・ 自分から周囲を、愛情の目で見ていたのか?
・ むしろ、言えない文句の視線で周囲を見ていなかったか?
これが、自分自身の心を飢餓状態にする法則が有ります。
これに注意をして欲しく思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー以上抜粋ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー