エリオットのブログ

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小倉唯さんのことを好きになった地方医学部生が彼女を全力で応援するブログ(ときどき本の感想ときどき医学)
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アニサマ行きたかったが、忙しすぎて。。。

唯ちゃんがずっとアニサマに出演しててくれれば、俺もいつか行ける(最有力候補として来年度は多少暇)。

唯ちゃん、頑張ってください...!
米原万里さんの「旅行者の朝食」に、一章を割いて記述してある「ハルヴァ」というイラン発祥の食べ物、ナッツと蜂蜜と多種の香辛料が入った、最高級のお菓子。この本を読んでから、ずっと夢見ていたこのお菓子。味はヌガーやトルコ蜜飴に似ているというのだが、たまたまKALDIでチョコでコーティングされたベルギー産ヌガー見つけたので、買って食べてみた。

確かに美味しくなくはないが、味がしつこくお世辞にも最高級品とはいえない。しかし本の中では、これの「百倍は美味い」といったような描写がされているため、やはり食べてみたい。

さらに、米原万里さんがいうハルヴァは、ヌガーと違って「さくさくしてて口の中でたちまちとろける」というのだから、やはりこれらは別物だと考えるべきだろう。あくまで味が似ているだけだ。味そのものは好みじゃないわけではないので、食べたさは募るばかり。

この本が書かれたとき(出版された2002年よりは前だろう)と今では事情が違うかもしれないが、トルコ、アフガニスタン、イランで職人による(カンダラッチという職人による特殊な技術が必要とのこと)最高級品を手に入れることができるかもしれないらしいので(旅行者が手に入れるのは難しいらしいのだ)、この中で一番興味のあるトルコにいつか行こうと決意した。世界三大料理、トルコ料理食べたいし、歴史ある国だからなぁ。ちょうど今ハマっている「ヒストリエ」という漫画の舞台でもあるし。

製法上、最高級のハルヴァを工業製品化することはできないらしい。そして、最高級品はめったに出回らないので、職人を見つけてなんとかしなければならない。そして職人を見つけてなんとかしなければいけないということは、現地人と話す必要がありそう。これは、トルコ語必修か。日本語と文法が似てるらしいので余裕だ(といいな)。
フランス語、ロシア語を勉強し始めた。

といってもまだフランス語は1ヶ月、ロシア語に至っては1週間くらいしかやっていない。まず最初の目標は、様々なジャンルにおいて、ネイティブと会話できるようにすること(高すぎるか)。

日本で勉強するだけだと限界がありそうだから、来年度の長期休暇には海外に1ヶ月くらい滞在したいと考えている。

ロシアは特に気になっていて、ソ連時代を生きた人の話を聞きたい。あと、郷土料理も食べたい。

細かいことはこれから考えようと思う。



余談として。今日まで妹が俺の家に遊びに来ていたのだが、どうやら俺は寝言でフランス語を喋っていたらしい。夢の中でも語学の勉強とは、さすが。
まぁでも、すごく楽しいので、夢に見るのも納得できる。
最近ずっと考えている疑問について列挙。まだ結論は出せない。

1.自閉症スペクトラムに見られる常同行動と、乳児の言語獲得能力についての関連性について。
乳児がまったく意味のわからない言語を習得できるのはなぜだろうか。言語習得には、乳児が同一パターンのピッチを認識できる(いつも同じパターンのピッチを持っている音声は同じ単語だろう)ことが関わっているらしいが、自閉症スペクトラムに見られる同一パターンに対するこだわりは言語習得にどのような関係があるのか。

2.か弱い女性を可愛いと思うのは本能か、文化の産物か。「女々しい」という言葉は、男に使われると否定的な意味になるが、女々しいといわれるような性質を女性が持っていた場合、その女性は「可愛い」とされる(決して主観ではない)。例えば、涙を流す女性に対して彼女を守りたいと思う、というのはよく聞く(決して俺の趣味ではない)。

3.俺は様々な音楽を聞いてきたが、ある特定のメロディラインに惹かれているように感じる。このような好みがあるのはなぜか。また、音楽の好みを分析して、さらに自分の認知の特徴について分析したい。なにかわかるかもしれない。好みの曲を探すのに役立てたい、とかではなく、単に知りたいからという以外の理由はない。

4.子守唄が発達した原因として、大きく無力で母親から離れることを好まない赤ん坊を地面においたとき(ネアンデルタールとかその時代のはなし)、赤ん坊を安心させるという目的が挙げられるが、子守唄が、特にIDS(infant-directed speech)が、なぜ現在あるような形式になったのか。(その形式の特徴は、『歌うネアンデルタール』に書いてある)

5.音楽や踊りを他人と共有することで仲間意識が生まれる、Mcneil風に言うなら「境界の消失」が起こるのは、人間の認知のどのような働きが原因で、その働きはなぜ獲得されたのか。また、なぜ「音楽と踊り」が選ばれたのか。

6.ピッチ認知に障害があって、どんな音も雑音にしか聞こえない症状(失音楽症で起こっているかもしれないことの一つだと『歌うネアンデルタール』にアリ)があるらしいが、声での人物判別には障害があるのだろうか。

2以外すべて「歌うネアンデルタール」を読んでての疑問だ。知識がないといくらでも妄想してこじつけることができてしまうので、もうちょっと関連書を読んでみよう。しかし、興味の移り変わりが激しいので、いつ関連書に出会えるかはわからないけど....

前回の記事で言った、「グーグ・イミディル語における東西南北などの絶対的方向を獲得した理由」については、まだ言及が見つからないので保留。

最近は、言語に関する本をいくらか続けて読んできたが、これから金枝篇の完訳(1~5巻が図書館にあった)を読むため、一旦休止することになりそう。

あと最近氷解した疑問。
コメント動画サイトで、「批判するなら(動画を)見るな」というコメントを見ることがある。しかし、そのようなコメントが批判コメントを抑止することはないし、逆にその反応を面白がって、嫌がらせのためにさらに批判コメントするということもありうる(批判コメントするくらいなんだから、その動画を好きな人に対する嫌がらせをしてもおかしくない)。
このようなことをわかっていないという場合もあるだろうが、なぜ抑止効果のない行動がずっと続けられるのかという疑問は残る。
答えは、「批判コメントするくらいなら見るな」はストレスに対する対処法なのだと思う。以下のことは多くの人が経験したことあるはず。
「悲しくなって泣いたらスッキリした」
「物事がうまくいかなくてイライラしたから叫んでみたら、気分が楽になった」
「腹立たしいことがあったがツイッターに愚痴を書き込んだら心が晴れ晴れとした」
同様に、「批判コメントするくらいなら見るな」とコメントすることは、批判コメントを目撃して感じたストレスに対する対処なのだろう。