絶不調再突入間違い無しの鬱ブログを更新ということはそろそろ半年たったくらい。

日々を繰り返す、というか上書きされていく中で何を残すのか。
昨日あったものが今日は無いとか、昨日無かったことが今日はある。
あたりまえ体操でも踊ってない限り気がつかないこと、それも日々の積み重ね。
生きてる以上小さな事でもそうだった、だった。
変化に気がつけなくなるってことは死ぬことだろうか、そうであるならもう死んでいるのかもしれない。
否応無しに迫る瀬に、恒例行事の隙間に湧き出る悪魔はそこにいる。

一年で何が変わったんだろう、取り巻く環境が変わっても、そこに有る自分は大きくなれただろうか。
取り巻く環境だけが変わって自分だけが取り残される事、忘れられる事は酷く頭に響いてる。
「大きく変わることは無い、少しずつ成長すればいい」なんて言葉は気休めだ。
変われなければ成長では無い。
人はある日を境に劇的に成長する、化ける、全人類そうだ。
それが少しずつの成長の結果ならばそれはそうだとも思う。本当に。
ただその結果を出す契機が、大きく変わる、といった旨なんだろ。

続けてきたことの無意味さを知る人の方が少ない。
どこかしらにそれこそ成長を見る、というより探す。
努力の意味を探す、妥協点と言ってもいいだろう。
努力の妥協点を探す事をやめなければ成長なのか、成長とはなんだい。
正しさを見つけるだけなら犬だって出来る、怒られれば覚えるんだ。
構造上の不具合なのか製造過程の不具合なのか、自分は間違いなく後者であると思う。

人と違うと言う言葉が大嫌いで、人と同じことも同じくらい嫌い。
仙人になりたい。


師走とはよく言ったものだ、人生の師は一番長く時間をすごした人、親だったり兄弟だったり。
他人の本気が微妙に小うるさく、他人の本気に臆することは間違いじゃない。
誰だって本気なんて出したくないんだ、出来れば適当に。出切れば、辛いだけだ。
社会や環境のせいにだけはしない、それだけ出来ればなんとかなる。
なんともならなければ誰かの力を借りてる。
生きるだけなら一人でいい、嗚呼人間の英知と汗の結晶よ。
発展と途上よ、感情は少なければそのほうがよかったのだ、動物でいいのに。

他人の落ちる様を笑えるほどの位置にいない事に早めに気がつく。
若さがどうとかじゃない。
現段階ではそれが出切らないコツなのだ。


相変わらず吐き出していこう。

弱音や戯言だったり、そういうものを吐き出してみるのはいいんじゃないかなって。

そうだねー
いろいろと溜まってるんですよ。

金がないとかはいつものこと。
つーか、貯蓄額がだいぶあるけどそれは使えないっつージレンマ。
なんかね。いろいろありんす。

人生設計について考えてみた
人生設計が@3三日ぐらいでいいんじゃないかと思えた。

一瞬で燃え尽きたってそれが綺麗で、華麗で。
長く燃える事だけが、正義で、安定で。
相容れないからこその価値があって、そんな話だけが美談になったりするんです。

不治の病と永遠の恋が流行なのも頷けた。

正義でいて、綺麗だった、それだけの話。

でもそれはフィクションの中のお話。

フィクションのお話で生きていれば
救いはどこかに転がってる
助けは来る
絶対的正義もあるし綺麗なお話も。

奇跡を信じられる年じゃない。
奇跡があるほど切迫しているわけでもないけれど。
起きてと願うときこそ起きないそれが奇跡。
気が付けば20を超えていたし、ある事から2年経っていて。

そんな出来事を思い出すと、胸がちくちくしてくるんですよ。
一瞬が綺麗で華麗なだけだったのかは、俺にはわからないけれど、事象を観測して
俺には綺麗で華麗なだけではなかったのかなと、いろいろな感情を渦巻いて唐突に。

そんなことを自分が起こしていいものなのか、自分だけが、そう、感じただけなのか
なかなかどうして、自由が責任にいつの間にか変わっていたんです。
それとも自由はずっとそこにあって、責任が付いてきたのか、比重がかわったのか。
どれかなのはたしかだけれど、どれが正解なのかは、わかりません。


そんな、しゅーかつとか、めんどくさいよねって、そんなお話。
あれだ
つらいっすー

なんか毎日ってほどでもないんだけど
バイト→おうち→バイト→おうち
で日々日々気力がけづられて
んでなんか感動だったり
感情だったりなくなっちゃったんかなって

TVみたりしても
PCとにらめっこしても
笑ったり感動とか
感情が消えてきたの!?
ってレベルで笑わんよね
こyっす

そういうのもあるけれど

俺自身
人が死ぬときっていうか
心っていうか魂っていうのかな
それが死ぬときって
俺は
誰からも頼りにされない
いてもいなくても
死んで家族以外にないてくれる人がいなくなる

こういうことなんじゃないかなって思うのね

多分俺だけじゃないかもしれないけれど

俺は誰かに頼りにされたいって思ってて
それは自覚症状としてあるし
それは悪くないんじゃないかなって思ってた
けれどそれって誰かに依存したりっていう二律性もあるって
最近になって思って
誰かに頼られたいってことはその見返りとか求めてて
ひどく矮小で姑息な手段なんじゃないかなと思うのです

ついでにいうと
本当は見返りは甘えさせてほしかったり
お金とかそういうことじゃなくて
弱ったときだけじゃなくて
ふとした瞬間に安心だったりそういうのをくれる人が
いてくれたらな
とそう思うのです

だけどそんな人は人を頼りにしないし
俺の頼られたい願望は叶えられない

困った性格です

そんなことを考えてたら死んじまったほうが
幾許か良いのではないかなんてね

死ねない病なんてのもあって
生き意地汚く生きていこう