気が付いたら
我々の子供の頃は、少年雑誌のTOPを飾るのは、
未来の乗り物や戦争の乗り物特集が多かった。
平和が大切だとか、戦争反対についてだとか言ってたのは、
学校の先生くらいで、
近所の戦争話の好きな親父や
少年雑誌では、日本にもっと飛行機があったら
資源があったら戦争に勝てて、いたのにが一般論であった。
中国人は、「ちゃんころ」韓国や北朝鮮の人は、「チョーセン」
といって、差別はもちろん、忌み嫌っていた。
小児麻痺や身体障害者にもこそこそし、近寄らないよう差別していた。
学校でも身体的や外観的に変わった人を差別していた。
それが親や社会から受けた。その当時の常識であった。
その後高度成長にのり余裕の出てきた日本人が、平和や核廃絶を強く
訴えだした。
金持ち日本、資源が無く優秀な頭脳と器用な手先で、世界のTOPに
位置していると錯覚し、気が付いたらバブル崩壊、長期不況、
金銭援助している近隣諸外国からは、馬鹿にされ
きっと今までのつけを払うことになっているのだと思う。
これ全て、人生の縮図
誰のための人権保護
昨日書いたオウム事件のやりきれなさ
他にも多くあると思います。
少年法に守られた未成年による
集団監禁暴行事件、少女は、毎日毎日
その少年らに性的暴行を受けていた。
最後は、殺されドラム缶にコンクリート詰めにされ
とにかく暴力によって相手の自由を奪い
犯罪を行う行為
これは、絶対に許されない行為でなければいけない。
最近特に言われている。被害者の人権が、置き去りにしている件
ヤハリ法がおかしい。
被害者にすれば、相手が、未成年であったり、
精神障害者であった場合
運が悪かったになり、
加害者が保護される。
いくら罪を憎んで人を憎まずの精神を持っても
納得のいかない制度である。
ちょっと難しいかもしれないが、
こういう事件をノンフィクション化し、
人々の心にしみいってほしいモノである。
(すでにそうなっている事件もあるが?)