日々の出来事及び旅行の記録 -9ページ目

エジプト最終日。


朝食は、いつもと同じくホテルのビュッフェ。


午前中は、アブシールピラミッド見学。


ここは、なかなか見学できないところとのこと、現地ガイドの’わっちゃん’いわく20年ガイドやっていてここを見学するの3回目とのことだった。


ここは中に入るのに、鍵のかかったドアを開けて貰い入る感じの遺跡であった。


中に入ると、壁画の数々、色のまだ残っている壁画を自分の目で実際に見るということ、かなり感慨深いものがあった。


その後お昼、エジプト最後のお昼は、エジプト風中華。


場所は、FUSION、隣にフライデーズが入っていた。


食事は、微妙なものもいくつかあったが、まぁまぁおいしかった。


微妙だったものを一つ上げると、焼きそばみたいなもの。


麺は、味付けは違うが、ぺヤングなどのインスタント麺だと思った。


その後、モスクなどを見学写真などを撮ったのだが、気温がかなり暑く48度サクサク写真を撮ってバスに戻る感じであった。


その後、お待ちかねのハンハーリ、気温がかなり上がってきたのできついかなぁなんて思ったのだが、あのなんともいえない感じ私は嫌いでなく、あっという間に時間が過ぎてしまった。


ハンハーリもかじった程度しか味わえなかったので、もっとあちこち今度は見て回りたいと思った。


ハンハーリでもそうなのだが、必ずといってよいほど、最初にチャイニーズと聞かれた。


ジャパニーズと答えるとやはり対応が良くなる感じはした。


また、日本語も結構飛び交っており、山本山、バザールでゴザール、やくざ、もしもしetcなど様々な日本語で話しかけられた。


そんなこんなで、次に、シティースターズへ。


シティースターズへ来てまずは、ビックリ。


今まで見てきたものとのギャップに驚くばかりである。


ここはかなり近代的なショッピングセンター。


様々なブランドも入っており、貧富の差を感じられる場所でもあった。


ここに来ている人は、そこそこ裕福な人なのだろうと人目でわかる感じである。


トイザラスなども入っており、見て回ったのだが、わが息子におじいちゃんが買ってあげたラジコンカーなど日本で売っているものと同じものもあり、へーと思ったりもした。


ただ価格は、日本のほうがどうやらやすい感じがした。


ここではお土産を少しあさったのだが、スーパーにいろいろと取り揃えてありサクサクッと買い物をした。


エジプトでの夕食いわゆる最後の食事だが、このシティースターズの中でとったのだが、好きなものを食べてよくなったので、思わずハンバーガーのおいしそうなお店へ。


1階にあるお店で名前は忘れてしまったが、結構おいしかった。


その後、空港に向かい日本へ。


この旅行で、エジプトで日本人は好かれているということを実感した。


クーデーターなどがありまだ、混乱している部分はあるようであるが、観光に関してはそれほど問題がないように感じたりもした。


まぁツアーでみんなと一緒という部分も強かった部分もあるだろうが私個人としてはまた行って見たい国の一つとなった。


そうそう、クーデター前と後のツアーでの違いは、観光バスに必ず警察関係の人がかなりごつい自動小銃を持ってついて来ていてくれた事だろう。


そんなところに、クーデターの後の混乱を感じたりもした。






この日は、アレキサンドリアへ。


バス移動かと思いきや、なんと電車で移動。


しかも、出発が6時30分。


朝食を、5時45分くらいから食べ、カイロの駅までバス移動。


ここからアレキサンドリアまでは、約3時間!!


出発は、45分遅れにて駅を出発。


電車の感想は、まぁ悪くないんじゃないかという感じの電車であった。


なんだかんだで、アレキサンドリアへバスで観光、かなりの駆け足観光であったが地中海や現地散策は、また期待という気持ちにさせられた。


エジプト人の人懐っこさは嫌いじゃない。


ここでも観光客は、中国人が多かった。


結構、エジプトは危ないと聞いていたので、重装備だったのだが、下手なヨーロッパ諸国を観光するより、安全なのではないかと思った。


アレキサンドリアも実際に居たのは4時間くらいだったのだが、結構印象に残る場所であった。


ポンペイの柱、コム・エル・シュカファのカタコンベやナショナルミュージアムのエーゲ海海底から発見されたものなど見所はいっぱいであった。


帰りも電車にてカイロへ。


行きの電車と大違いでなんか変な匂いはするは、ビミョーな電車であったが、エジプトらしさを感じた電車でもあった。


帰りは、20分遅れほどで到着したので現地のガイド’わっちゃん’いわくかなり良いほうとのことだった。


生き返り合わせて約1時間5分ほどずれたのだが、エジプトではこのくらいの誤差は良い出来のほうとのことだった。


夕食はホテルのビュッフェにて、同じような食事に飽きてきた感じがしてきた夕食であった。


5日目最終日へ


この日は、ホテルでの朝食後、エジプト考古学博物館からのスタートであった。 


写真撮影が、だめなため、記録に残すことは出来なかったが、記憶にしっかりと残すべくいろいろと見て回った。


約3時間くらいの見学であったが、ここは何日か時間をかけてみるということが良い場所だと思った。


主要なものは、見て回れたが、一つ一つ細かく見て回るとしたら何日かかかるだろう。


この博物館の中、きちんと展示されているものと、まだその辺に置きっぱなしになっているものなどいろいろあり、エジプトにもっと大きな博物館が出来るということがわかるような気がした。


様々なものが、保存状態の良いものからそうでないものまで、見ごたえはあった。


ツタンカーメンのマスクやミイラなど見たかったものはすべてみてこれた。


マミールームというミイラを見るためには、入館料とは別に100エジプトポンドが必要であった。


お昼は、ナイル川沿いにあるレストランBaitakにて、モロヘイヤスープ、コフタ、バクラバ、バスプーサ。


午後は、オールドカイロの見学、モハメドアリモスクなどを見学し聖セルギウス教会ここは中に入れなかったのでモアラッカ教会へ行き見学、アムルモスクなども見学ホテルへ。


夕食は、Christにて、前菜、コシャリ、ケバプ、スイカ、バナナ。


4日目へ



お昼は、FIRST CLASSというところで昼食。


内容としては、前菜 白身魚のフライ、コナファ&ゴラーシュ。


その後、メンフィス、サッカーラ、ダハシュール見学。


ジェセル王の階段ピラミッド、カーペットスクール、赤のピラミッド、屈折ピラミッド、横たわるラムセス2世の巨像、アラバスター製のスフィンクス、聖牛アピスの解剖台、などを見学。


カーペットスクール見学時、ツタンカーメンの図柄のものを購入。


最初の価格よりもかなり下げての購入、満足の買い物であった。

 

午後も結構駆け足の見学。


ツアーならではの不満部分であろう、そんなこんなで、夕食。


PEACEにて夕食。


内容は、前菜、チキンの串焼き、バナナ。


チキンの串焼きは、やきとりに近いものだったが肉がぱさぱさでビミョーだった。


その後、ピラミッド音と光のショー。


これには、行く前に調べていたら、賛否両論。


ということは、自分で見てみないと問いう結論に至り見に行くことに。


そして、その感想は、初めてエジプトに行ったのであれば是非見ておいたほうがいいような気がした。


説明は、日本語のイヤホーンガイドがあり便利であった。


タダこの日本語のイヤホーンガイドレンタルしてくれる曜日が決まっているようで、調べてから行かないとないということにもなりかねないようである。


続きは、3日目へ


2日目とはいえ、到着した日なのだが、ツアーのスケージュールは進んでゆく。


ホテルにチェックインしまずは、シャワー。


次に朝食をとり、集合時間に近づいてきたので、部屋にバルサンをセットして出発。


まずはクフ王のピラミッドへ。


紀元前2250年頃のピラミッド、高さ146メートル幅233メートル現在は-9メートルの137メートル(欠けてしまったため)。


現地ガイドは、ワエルさん、通称’わっちゃん’かなり日本語も上手いガイドさんであった。


このガイドさん、私は大変気に入っていて、また今度エジプト行ったときには、是非ガイドをお願いしたいと思った。


ピラミッドは、1日限定500名の内部も見学。


最近どこへ行ってもそうであるが、中国の観光の人もかなりいる。


印象としては、昔の日本の農協のツアーの人たちみたいな感じである。


現地の人にちょこちょこ声をかけられたのだが、まずは、コリア?チャイナ?などと聞かれることが多かった。


日本人であることを伝えるとかなり人懐っこく話をしてくれる人も多かった。


日本の大学に留学していたという人も結構いて日本語もそこそこ会話できる程度しゃべれる人もいた。


ピラミッド見学で大変だったのは、中を進んでゆくのに中腰でけっこうなかを進まなくてはいけなく、次の日筋肉痛になるほどであった。


ピラミッドの中などは撮影が出来なくなっており、カメラなどは、ガイドさんにすべて預けるという感じであった。


ピラミッドの周りには、観光用のらくだ、また物売りがかなりいた。


この物売りかなりしつこい。


大体、木彫りのツタンカーメン、らくだ、etcに袋がついて全部で千円である。


売り方も日本語で、’全部で千円’と声をかけてくる。


’わっちゃん’いわく、この物売りの持っている商品は結構粗悪なものが多いので購入するときはきちんと確認してから出ないと、欠けているものや壊れているものがあるということであった。


木彫りのもの以外にも、たぶん偽者のパピルスのしおりなども10枚で1ドル、石を削って作ったピラミッドの置物なども’ワンダラー・ワンダラー’と声をかけられることも多かった。


クフ王のピラミッドを見た後、第2パノラマポイント特別な許可がないと入ってゆけない場所からのピラミッド見学へ。


ここで、らくだに乗った。


金額は、10ドルこの金額の中にはチップも込みである。


らくだを引いているのは大人だけでなく子供もけっこういた。


この子たちのチップの請求もすごかったが、最初に払ったもの意外支払わないようにとの注意があったのでチップ請求に関してはすべておことわりした。


エジプトの子供の夏休みはかなり長く3ヶ月ほどあるようである。


私が行ったときには、もう夏休みが始まっており、かなりの子供の姿が合った。


この後昼食へ、ここからエジプトパンが始まった。


2日目の午前中はこんな感じであった。




 1日目といっても、飛行機での移動だけとなる。


飛行時間は、14時間。


久々の長時間フライトである。


成田を、夜の9時20分出発。


到着は、次の日の朝3時半くらい。


真っ暗な中、カイロ空港に到着。


嗅いだ事のない臭いの中、湿度はあまり感じない暑さの中荷物を移動のバスへ載せホテルへ出発。


ホテルへの移動の途中、太陽が上がってきたのだが、日本の朝日とは違い、靄の中の太陽という感じ。


色は薄い肌色のような色だった。


そんなこんなで、約30分くらいでホテルへ到着。


ホテルは、一応5☆のメルキュール・スフィンクス。


ホテルの目の前にギザのピラミッド。


エジプト感満載の中。


添乗員さんのがんばりで、アーリーチェックインに成功。


ひとまずホテルの部屋へ、朝食まで、ゆったりとした時間をすごす。


2日目へ

昨日、無事エジプトからの帰国。


結構駆け足での観光であったが、かなり充実した観光であった。


ツアーでの参加だったのだが、現地のガイド通称”わっちゃん”この人いい感じのガイドであった。


次回エジプト行く際は、またお願いしたいと思う人であった。


思い出しながら少しずつ書いてゆこうと思う。

両替するのをすっかり忘れていた。


月曜日に両替すればいいかなぁというところで落ち着いた。


もう少し前に両替していれば・・・


なんて思うこともあるが、まあ、しかたがない。


あと、ガイドブックも買いに行かないと!


何気に残っているなぁ。


そうそう、病院へ抗生物質も貰いに行っておかないと・・・


ペットボトルのお水など細かいものも買わなければ・・・


もう少し持ってゆくものチェックしなおさないと・・・


そうそう、面白い取材文があった。


これがもしかして、橋下市長と会うのやめた理由かな?


尊厳が傷つけられた過酷な体験を当事者自らが証言する言葉の意味は重い。

 旧日本軍「慰安婦」で韓国人の金福童(キムボクトン)さん(87)が18日来沖、西原町内で大学生らとの交流集会に臨んだ。その後の記者会見などで金さんは、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長の一連の慰安婦発言を批判し、謝罪を求めた。

 金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。

アジア各地の前線を転々とし、8年間、「慰安婦」を強いられた。

 橋下氏が強制連行の証拠はない、と繰り返していることに「血の涙がにじむ経験をした本人がいるのに、どうして証拠がないと言えるのか。

私がここに生きている。それ以上の証拠がいったいどこにあるのか」と批判した。

金福童(キムボクトン)さん(87)

金さんは14歳のころ、旧日本軍に「軍服を作るために日本へ行く」と日本統治下の韓国から連行された。アジア各地の前線を転々とし、8年間、「慰安婦」を強いられた。


87才の方が14才で慰安婦・・・時系列が全くあっていません。


今年満88才になるとして14才の時は1939年。太平洋戦争は1941年。


8年間慰安婦をしていたとすると、終戦後2年間も日本兵にどうやって慰安婦していたんでしょう。


取材記事をもとに経歴をマスコミには追求して欲しいです。


スーツケース。


買いました。


コストコで。


機内持ち込み用と2つ!


価格は。


なんと!11,800円


一般的に見てもかなり安い。


結構いい買い物したなぁなんて思ったりもしている。


さてさて、このところ強気の発言の韓国。


こんな問題もあるんですけど・・・


延長したら自民党もだめだと思う。


それは、日韓通貨スワップ。


7月に更新月が来るのだがもう更新しないでもらわないといけないと思う。


現在、韓国国民の間で「(今年の)7月に経済破綻してしまうのでは」との不安が広がっているという。



これが7月に打ち切られることから、韓国国民は非常に焦っているらしいのだ。


日韓通貨スワップとは、韓国が通貨危機になった際、700億ドル分までなら日本円と交換できるという、意味のわからない協定だ。


日本側にとってメリットが全くない経済支援的側面の強いものであったため、かねてより協定の破棄を求める声があがっていた。


そんな中、李明博元大統領の天皇侮辱発言などがあり日韓関係が大幅に悪化。すると、野田政権の唯一の良策と言われる日韓通貨スワップの見直しが昨年10月に行われ、限度額を30億ドルに引き下げた。そして自民党政権になった今、協定の延長を行わず、規定通り7月に日韓通貨スワップは終了する。



協定の見直しが行われた10月から、外国人投資家が韓国の先行きを不安視し、韓国国債を大量に放出。


その影響で国債金利が急上昇したのだ。



国債金利が上昇すると企業の資金調達コストが上がり、韓国経済は圧迫される。


完全に撤廃される今年の7月には、韓国がもっと厳しい状況になるのは間違いないだろう。



今までウォン安を利用した安い労働力による輸出に頼ってきた韓国は、岐路に立たされている。


また、これにより日本企業の韓国撤退も続いており、Made in KOREA製品が市場から消える日も近いとの指摘もある。



韓国国民はこれらもろもろの事情を把握し、将来に不安を抱いているのだ。



何故なら1997年のアジア通貨危機、2008年のリーマンショックというような、韓国経済が危機に瀕した時、日本政府の支援によって助けられてきたという事実があるからだ。


韓国政府は日韓通貨スワップがなくても、様々な方法で支援をしてくれるだろうと信じているようなのだ。


もっと言うなら、日韓通貨スワップの延長を日本側から申し出てくるとすら思っているのだ。



従来のような関係は終わった。


日韓通貨スワップが完全に破棄される7月に、韓国側から何かしらの呼びかけがあることは間違いないだろう。


自民党政権になり、韓国に対して強硬な姿勢を見せるようになった日本。
この言いようのない焦燥感が韓国を包んでいるのだが、韓国政府はまだ楽観視を続けているという。
そして運の悪いことに韓国は現在急激なウォン高に見舞われている。
韓国政府は日韓通貨スワップ破棄の影響はほとんどないと言っているが、実際のところはそうでもないらしい。
不安の発端は、野田政権時代に話題となった日韓通貨スワップ。

靴を新調した。


今までのと同じのを購入しようとしたのだが、残念なことに廃盤となってしまっており、似たようなのを探した。


ホーキンスのトラベルシリーズにしたのだがなかなか履き心地よさそうである。


購入場所は、ラゾーナ川崎。


平日の昼時とあって結構すいていて買い物するにはいい感じであった。


お昼もラゾーナで済ませた。


そういえば気になるニュース。


日本に永住、在留する外国人は徐々に減少しているが、生活保護を受ける人は急速に増えている。


厚生労働省の最新の調査(平成23年)では外国人受給者は4万3479世帯、月平均で7万3030人に上る。10年前からほぼ倍増し、ここ数年の伸びは年に5千世帯のハイペースだ。


「ただ乗り感覚」の受給者の存在を指摘する関係者もいる。

 国籍別では韓国・朝鮮人が最多。国民年金に加入していなかった在日韓国・朝鮮人の「無年金世代」が高齢化しているのが最大の要因だ。


 伸び率が急速なのは、1980年代以降に来日したフィリピン、中国、ブラジル人らの「ニューカマー」と呼ばれる人たち。


東海地方で自動車などの製造ラインを担っていた日系人らの多くがリーマン・ショック後に失業、生活保護になだれ込んだ


ブラジル人居住者が全国最多といわれる浜松市ではリーマン後に一時、ブラジル人の保護率が8%に達した。

 単純労働に従事する外国人ほど景気の波に左右されやすく、言語の壁から次の就職先もなかなか決まらない。


雇用保険の給付期間を挟んで、失業が生活保護に直結しているのが現状だ。

日本人の配偶者だったフィリピンや中国出身の女性らが夫婦関係の悪化やDV(配偶者間暴力)などの理由で離婚しても、子供が日本で教育を受けていれば、シングルマザーとして国内にとどまることに。


この場合、「配偶者」から「定住者」へ資格変更して、生活保護を受給するケースも多い。

「母国に帰っても生活保護の水準まで稼げない人が多い。


フリーライド(ただ乗り)感覚の外国人受給者もいる」(ある自治体の担当者)といい、外国人の場合も保護の長期化が懸念されている。