さて記憶が曖昧ながらがんばって思い出します。


年長から幼稚園に入る。幼稚園の先生が親に「家ではこの子になんて呼んでるんですか?」

と尋ねる。父親は「つーさんです。」と答える。


幼稚園の先生、友定先生(女性)と教室に入り「今日から一緒におべんきょうしたりあそんだりしたりする

仲間が増えます。松葉君です。つーさんって呼んであげてくださいね。」という紹介を通して

僕は晴れて長崎幼稚園に入園する。


はじめは、なんかほんとに先生とかもよく知らないし、年中・年少あるあるとか話されるともう

ついていけなくてね・・・ うたとかおゆうぎもなんも知らなくてさびしかったですよ。 最初は。


トイレの場所もわかんないんだよ。そりゃうんことかしたくなったら大変だよ。で入園早々

「もらし」を経験するんです。それ以降はもちろんしてないけど。


でもいつのまにかハマッていくんですよね。幼稚園の輪に。


あんなに歌とか馬鹿にしてたのに、家で「ン・パーカ ン・パーカ」とかうたってるんですよね

懐かしいね、夢のクレヨン王国。

幼稚園でありがちな絵を描く時間で、俺が飛行機書きたかったから書いたらみんなからも好評価

で先生も「うまいね。よし飾ろうか」って事になって教室に飾ったんだけど・・・ 

当時桁外れに背高くて体おっきい出頭君(しゅっとうくん)に「なんで俺よりうまい絵書くんだよ」

って言われて殴ってきたから喧嘩に・・・って言ってももう向こうが強すぎて、しかも首しめてくるから。

「息ができないよう」って言いながらゲーゲー吐いて。 大事件に。


そういえば下校の時は肝油をもらって帰るのが楽しみで。一人一粒なんだけど、もううますぎる

から先生がいないタイミングとかはかって15粒くらい食べたりしてね。もう極端に減ってるから

2回目でばれて、すげぇ怒られた。


下校の時と言えば甘い思い出も。2月14日、バレンタインデーの時に桐之江司ちゃんに呼ばれて

ピカチューの缶に入ったチョコをもらった。下校の時だから双方の親もいてね。親からしたらしたら

微笑ましい話だったんじゃないかと思います。


自分で何をしたかはほとんど覚えてないのでこれが限度です・・・ 


さて卒園式も終え、大好きだった友定先生ともお別れです。泣かなかったけど。小学校入学に向けて

準備しましょう。 さぁどんな小学校生活が待っているか。





直らない・・・


ふらふらしかしない。


やっとPCを立ちあげる気力がでた。


近々気休めに溜まっていた記事でも書きますか。


ふらふら・・・


そうえいば最近我がクラスにやってくるフランス人。


フランス人にしては珍しく、アニメを全く知らない。


かといってサッカー選手とかも知らないの。


何に興味があるのって聞くと


読書と日本文化みたい。


そういえば郊外学習で浅草に行って


アメリカ人のふりして英語で店員に絡んだのに


店員が一生懸命英語で説明してくれた事にはびっくり。


今から英語を勉強しよう。



松葉翼 1993年2月22日〔旧暦2月2日〕と2が目立つ中生まれる。

仕事の関係で中国→東京→新潟→中国→東京→中国→東京・・・ を繰り返す。

0歳 中国吉林省で生まれたのでパスポートは日本の入国スタンプからはじまってる。

1歳 新潟に住む。マンションでは「かわいい」と言われ、抱かせてとか触らせてとか言われる。

この時に人生で3度訪れるというモテ期を消費する。

2歳 特に何もなし

3歳 中国では地元の幼稚園に行こうと体験入園をしたのだが、「言葉わかんねぇよ」

とかキレはじめて園児全員をボコボコにして帰ってくる。園長先生は「明日から来ないで

ください」と親に告げる。

4歳 中国の延吉という所に少し住む。庭というか道路でニワトリと戯れる。日が暮れるまで動物と

慣れ親しんだ。お腹がすいた。その日の夜は鍋だった。とり鍋だった・・・ 「ままー ニワトリさんど

こ?」「え、つーさん食べてるじゃない」「・・・」 こうして僕は幼くして人間は罪をおかして生きていか

なくてはならないと知った。


5歳 プロジェクトが終わり、日本に定住が決まる。豊島区長崎にマイホームが建つ。アパートや

マンションとは違って2階・3階がある事がうれしかった。そして何より自分の部屋が手に入るとい

うこのうれしさ。そして日本での幼稚園生活がスタートすることになった。


幼稚園見学でのひとこと 

「ねぇまま この人たちなんで ワー とか キャー とかいいながら踊ってるの?馬鹿みたい」


さぁ果たしてどんな幼稚園生活が待っているのだろうか。