三浦綾子の自伝「道ありき」を前編だとしたら、
この「妻 三浦綾子と生きた四十年」は後編とも言っていいのでは
ないだろうか。
「道ありき」の続編はある。
三浦綾子は
戦後の180°転換した日本に失望し、
病気により自暴自棄になり、
前川さんという人に救われる。
それは信仰との出会いであった。
もともと自我の強い三浦綾子という人間が
信仰と出会い、
それ以降の人生は、
自我の深い底から抜け出した彼女の
第二の人生である。
自我を離れ、神に近づいた第二の人生は、
自ら記したものより、
夫である光世が記したこちらの本が
ふさわしいものになったのではないだろうか?
ましてや、自分の最期は自分で書くことができない。
この本では最期の様子が書かれている。
じつにおだやかな死に際である。
前半生では普通の人よりたくさんの苦労をしたが、
後半生では神の恵みをあふれんばかり浴びた。
グラスの中の水を最後の一滴まで飲み干すように、
人生を最期まで飲み干した。
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「~翌日陽子は市立病院に入院した。
家を出る時、陽子は
『わたし、また病院に行くの?
病院に行って死ぬんでない?』
といった。
僅か五歳で、ハッキリと死を意識していたのだろうか?
実に静かな声だった。
家人は思わずハッとして、
『大丈夫、すぐよくなって帰ってくるよ』
と慰めたが、陽子は、
『そうお』
と、淋しそうにうなずいただけだった」
三浦綾子の妹の話である。
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人には、人生とは何かと、
悟る力が与えられている。
しかしその悟る力に気づくのは
深い苦しみを経なければならない。
人生とは何かと悟ったとき、
今までの人生こそ
多くの恵みの上に成り立っているのだと気づく。
そして今までと同じ道を、
再び歩みだす。
