100年前の1915年12月雪の積もり始めた北海道苫前郡苫前村(現:苫前町)三毛別(現:三渓)六線沢で日本史上最悪の獣害事件が起きた
「三毛別羆事件」と呼ばれた。

リメインズ 美しき勇者たち 松竹1990年 
事件を題材にした映画

1.事件の概要
大正4年に一頭の巨大なヒグマが開拓村を襲った、村民は警察の力を借り討伐隊を組みながらも、巨大な熊の圧倒的な力に押され、熊に村を6日間占領されてしまう。
占有されている間に羆の食害にあったのは女性だけだった。



悲劇の始まりは大正4年12月9日
雪が積もり始めた頃で普通の熊は冬眠にはいる時期だ。
異常に頭部が大きかったというその人喰い羆は、いわゆる「穴持たず」で身体が大きすぎて、冬眠の穴が見つけられず冬眠せずに飢えながら山を徘徊する恐ろしい熊だ。
最初の犠牲者は自宅で家事をしている最中に襲われた34歳の女性と6歳の子供

夫が村民の共同作業である氷橋という丸太橋の補修から自宅に帰ると、子供が囲炉裏のよこに座ったまま返事がなく、大量の血痕と柱にこびりついた妻の髪の毛だけが残っていた。 子供は瞬殺の一撃で首がえぐられ座ったまま絶命しており、倒れなかったのは、熊の爪が鋭利で切れが良かったせいか、妻は逃げ回った血痕の跡があり、熊が咥えて無理矢理外にでるときに柱に大量の毛髪を残したと見られる。

三毛別羆事件復元跡地

自宅から裏山の中腹まで熊の足跡と血痕が残されていた。
翌日は朝から、仲間と共に妻を救出に山に入り、150mほど入った森で熊を見つけ何人かが持っていた銃で熊を仕留めようと試みたが普段手入れをしていない村民の旧式銃は不発で発射できたのは一人だけだった。

あまりに巨大な熊に驚いてしまい、皆ちりぢりに逃げるのが精一杯で二次災害になりかけたが
熊は満腹だったのかあっさりと追跡を終了し、森の中に消えた。
血の跡がおびただしい周辺を堀り起こすと頭部は半分もなく、肉片のついた毛髪と膝から下の足だけで、一昼夜で髪の毛と膝から下の足以外は骨ごと補食されてしまったのだ。

収容した遺体を持ち帰り、自宅で通夜を行うが、熊の習性に寄り、この妻の遺体を熊が取り返しにくることになる。

熊は、通夜の家に現れ、集まっていた人を蹴散らしたあと、熊が次に向かった先が最大の惨状となった場所、一キロ程川下で女子供中心に10名が避難の為に集まっていた家だった。
偶然ではなく嗅覚が優れているせいだ。
後の調査で、熊に荒らされた15戸の空家で、穀物の他に特に女性の着物や肌着に執着していることがわかったのだ。
討伐隊を組んだ村の男衆がこの家を守る予定だったが、川の上流でおきた通夜での羆の出現騒ぎの音で武器をもった一同が救助に向かい、手薄の状態になっていた。

獣は火を怖がるという通説を信じ、多めに薪をいれて火を炊いていたが、熊はまったく火を恐れずに家の中に入り暴れ回り結果的に5人が絶命し、三人が重傷を負った
騒ぎを聞いて救助に集まった村民も真っ暗ななか、熊が恐ろしく、ろくな武器さえもっていないため、仲間が襲われている家の中に入ることさえできなかった。
 腹ごしらえを終えた熊は集まった人々を蹴散らし闇の中に消えていった。
火を怖がらない熊とわかると、村に安全な場所はなく、村民は村を空にして隣村に避難した。

その日から5日間、熊は村を占拠して村内の家屋を自由に荒らしまわし、蓄えてあった穀物や犠牲になった人の遺体を食べ続けるという悲惨なことになった。

全15戸の女性や子供を隣村に非難させ、翌日から近隣町の警察の討伐隊が出動し意気揚々と熊退治に向かったが、熊に食べられた遺体の現場を目の当たりにすると隊長一同の顔が青ざめ、熊を追うことも遺体の収容さえ断念し、応援部隊を要請した。
遺体を収容しなかった理由として
①危険な状態だったので隊員の二次災害を防止する為
②食べ物があるうちは他へ移動しない→人口の多い町へ熊の進入を防ぐ為
③遺体を囮として熊が出没した所を狙う為。
などと伝えられている。

15戸といっても家と家の間隔が数百mある山村は、どこに熊がでるか予想ができなく村中が危険な為、橋を渡った対岸まで引き、そこに対策本部を置いて橋を非常線として、橋を渡らせない作戦をとった。
警察は熊を人口の多い町に侵入させないことが肝要と考えた。
応援部隊を待つまでの5日間のある晩に見張り役が対岸の闇に黒い影を発見し熊とは確認できないまま、「人か熊か?」との呼びかけに反応がなかった為、隊員が一斉に対岸発砲した所、翌朝対岸に熊の足跡と血痕があり少なくとも一発は熊にあたったと思われ、川を渡らせない作戦が成功した。

やっと応援部隊が到着し、熊は駆除されるが、熊を仕留めたのは警察の討伐隊ではなく、村民が熊の駆除を要請した 熊
撃ち 「山本 兵吉」 だった。
大人数で山の下から山に向かって熊を追う討伐隊とは逆に、一人で山に入り、熊の風下から熊の直近まで近づき、襲ってきた熊に向かって山本 兵吉の放った銃弾の2発は見事に熊の急所である頭部と心臓にあたっていた。

2.事件後の流れ
死んだ熊は、村まで移動されたが、その後のことが不明となっている。
熊は、撃ち取った熊撃ちの所有物となる慣習なので、熊肉は分け合い、お金になる熊の肝や毛皮は
山本 兵吉が引き取ったと思われるが、異常に頭が大きかったという熊の肉を分け合ったのか、剥製にされたか否かも記録には残っていない。

あまりに無残で恐ろしい事件だったので熊が駆除された後も転出する人が多く、三毛別六線沢 の村は廃村へ追い込まれた。


廃村となった三毛別(現:三渓)六線沢には1990年に
「三毛別羆事件復元跡地」が造られ、町おこしのスポットとなった。
実際の現場からは数百メートル離れているとのこと。
討伐隊が陣を張り、対岸の熊に一発命中させた橋は 「射止め橋」として現存している。

資料により再現されたレプリカの熊と家をみると、頭が大きかったという熊の威容と、家から当時の開拓民の生活環境の厳しさが分かる。

 丸太を川に通しそれを凍らせて氷橋を造るくらいの厳しい気候の地域で防寒の為に丸太や石壁で厚い壁が快適に暮らすには必要だが、

森の中で丸太は周辺にあるにも関わらず、ログハウスではなく、粗末な草壁の家だ。
100年前とはいえ、ガラス窓もなく、出入り口に木扉さえなく、草で編んだ 「むしろ」 がかけてあるだけだ。
むしろの出入り口では、雨雪も吹き込み、山の中なのでいつ獣が入ってくるか心細いものだ。


この熊事件は当時新聞でも大きく取り上げられたが、時勢もあり詳細な調査はされず月日が経過し、事件は風化していった。

この事件現場を管轄する農林技官に赴任した木村盛武氏が赴任前から関心を寄せていた事件の再調査を行い、事件から46年が経過していたが当時の生存者から話しをきくことができ、事件の詳細な記録本「慟哭の谷」を出版した。
この慟哭の谷」をきっかけに吉村昭氏が綿密な取材から小説 「羆嵐」(くまあらし)、を発表し、事件の恐ろしさをリアルに表現し、世間の注目を集めた。
登場人物や、事件の概要 時系列が実際の事件とシンクロさせてあり、小説というより取材と証言記録を基に時代背景をくわえ、
吉村昭氏の分析と予想で人々の心理を肉付けして丁寧に事件を描写した実録になっている。
通夜に現れた巨大熊を見た男衆が夜の林道を隣の家まで移動する500mで
ムカデの様に肩をつなぎあっていても、しんがりをつとめる人が背後に感じる恐怖は本人に聞かなくても事実に近いものが想像できる。

3.マスメディアでの取り上げ


1980年放送 ラジオドラマ
「羆嵐」では、脚色 倉本聰、音楽 山本直純 
豪華な出演者 倍賞千恵子 笠智衆 寺田農 浜村純 北林谷栄ほか
故高倉健さんが熊を仕留めた「熊撃ち山岡銀四郎の役を演じていて、熊の恐ろしさを実感したい方は必聴だ。 

音だけで表現されたラジオドラマで、第二の惨劇となった家を村民が囲んだ場面では、中から漏れ聞こえたきた、人食い熊の荒い鼻息と犠牲者の骨を砕く咀嚼音の描写が恐ろしい。
また襲われている妊婦が観念しながらも「腹は破らんでくれ」と熊に懇願するセリフが生々しい。

映画では、1990年松竹から千葉真一監督、
真田広之さん主演『リメインズ 美しき勇者たち』がこの事件を題材としているが、CGのない時代で人食い熊を映像にするのは大変な努力をしたらしいが、実際のヒグマも使用し、迫力あるフィルムになっている。
人喰い熊 の「アカマダラ」が蟹江敬三さん演じる商店の若奥さん八重をくわえて祭りの中を走るシーンは壮絶だ。
 そのアカマダラを菅原文太さんが演じるマタギの集団が追っていき、
川原で見つけた若奥さんの惨状は、三毛別羆事件の最初の犠牲者とそれをリアルに再現していて目の当たりにした家族のショックをおもんばかる。

「リメインズ美しき勇者たち」 の他、人食い熊を題材にした映画は下記の二つが有名だ。
①映画 「マタギ」 で西村晃さんが秋田の老マタギの関口平蔵を演じている
  秋田県なので羆ではなく、ツキノワグマだ。
  マタギで有名な阿仁町が舞台だが、時代でマタギは世襲しなくなっていて
  平蔵の息子は東京に出稼ぎにでる。
  平蔵と因縁のある幻の巨大熊が町に現れ少女がさらわれる。
  年老いたマタギの平蔵がマタギ伝統の雪山用装束で旧式の村田銃を背負って山に入る。 持参する弾は三発だけ
  一番弱虫だった子犬 ちび を100頭に一匹しかでないという熊用のマタギ犬に育てて伝説の「渡り熊」と対峙する。
  狩猟犬のコンテストの場面では、本当に鎖に繋がれた熊と狩猟犬が対峙する。
  本当に対決したら犬が死んでしまうが、如何に熊に勇敢に立ち向かい
  狩人に場所を知らせ、熊の注意を引くかが狩猟犬の役目だ。
  平蔵が訓練の為、ちびの口に熊の脂をぬった血のしたたる熊肉を押し込む
熊の脂はとても苦いので犬はいやがるが ちび はやがて本能で闘争心をあらわに するシーンが印象的だ。


②映画 「イタズ 熊」 では田村高廣さんが鉄砲打ちの名人 「一発屋銀蔵」を 演じている 1発屋とは、弾丸一発で熊を仕留めることで、連射が困難な当時の銃では最初の一発が急所にあたらないと次の弾を装填するまでに熊に自分がやられてしまうので、
どんなに恐ろしくても必ず命中することのできる距離まで発砲を待つ度胸が必要だ。
 また手負いの熊は人にも害を与えることが多いといわれ、映画のなかで 「片耳」と呼ばれる手負いの巨大熊が登場する。



フジテレビの番組「奇跡体験! アンビリバボー」では
「三毛別羆事件」が再現ドラマとなった。 記録と小説 「羆嵐」を基にしていると思われる。

再現VTR 
「実録!史上最悪の動物事件」

テレビに再現された羆の大きさは衝撃的だった。
体長2.7m 体重350㎏だが、熊の 「体長」 とは頭から尾てい骨までの長さで表され
足の長さがはいっていないので、立ったとき人間式の 「身長」 はおよそ3.5mとなり、天井高を超える高さになる。
スタジオに再現された熊は仰ぐような高さに顔がある。
この大きさの熊に対して、テントなど役に立たないし、木造の家の壁さえも心細い。
4.事件が残した教訓
この事件と残された数々の記録や映画、再現ドラマが教えてくれる熊の恐ろしさが数々ある

1.泳ぎが得意で、木も登るし、まったく火を恐れない、死んだマネも通用しない
    土葬にした馬さえも掘り返して食べる。
2.とどめをささないで生きたまま骨ごと食べ始めてしまう。
  ネコ科のライオンもいきたままの カバ や シマウマ を食べ始めるが
  彼らが最初に食べるのは柔らかい腹部の腸からだ。
  羆の場合は、臀部や太ももあるいは頭でも骨ごと食べてしまうが、
  頭の場合、最初はほっぺたからか。
3.食料は埋めて保存する。
  1923年北海道沼田でおきた石狩沼田幌新事件では、
   襲われて熊に埋められた人は生きており、後で救助の人に助けられた
   (一緒にいた弟はその場で食べられてしまった。)
   昔は、「猫残し」といって猫は必ず少し残して、
    後でまた食べる習性があるといわれていた。
   人に飼われている犬も、地面がある場所では
   食べ物を本能的に埋める習慣がある。
   

4.逃げるものは追う習性がある。
 自動車なみのスピードがあるので、脚力がある若者でも走って逃げることは難しい。
一緒にいた人が熊に襲われたので、走って逃げたら、熊は襲われた人を離れて逃げた人を追い始め、逃げた人が最終的な犠牲者になったという事例がある。
  熊の注意がそれているときにじりじりと距離を離して隠れる方が良いらしい。

5.自分の獲物への執着心が強い。
   熊が一度自分の所有物として認識した物は執念で取り返しにくる。
※1970年の福岡大学ワンダーフォーゲル部員が熊の犠牲となった事件では
ワンゲルパーティ5人のテントの外にあったザックの食物を熊があさり、5人はその時点では無事だったが、やがて熊がいなくなったあと、クマのニオイがついたリュックサック食物を背負って下山したことが、悲劇の原因になったといわれている。

テントを荒らしていた熊は比較的小型の熊で、遠目にみている分には重大な危機とは感じられなかったかも知れない。

他のパーティもいたにも関わらず、5人は一頭の同じヒグマに2日間山中を執拗に追われて夜になるとテントのそばに現れ、終には大学生三人が死亡することになった事件でマスコミでも大きく報道されている。
犠牲になった学生は食害になってはいなかった。

同じ山にいくつかの大学のパーティが入山していて下山途中の二日間の中で交流もしているが、ヒグマは犬の数倍の嗅覚があるので、自分のニオイが付いたリュックを追って、彼ら5人を執拗に追いかけている可能性がある。

 ただ、食料品や鍋類はともかく、夏とはいえ、山の中でザックは必需品であり、もし熊の習性をしっていたとしてもリュックサックを放棄して下山する判断は困難だろう。


三毛別の悲劇から100年の節目にあたる2015年12月の今日、改めて犠牲になった方々のご冥福を願い、悲劇が二度と起こらないようにお祈りします。

   合掌!!
       ツーオン