映画十九歳の地図
ロケ地が、地元北区王子周辺で、興味を持っていましたが、遅ればせながら拝見しました。

1979年 監督:柳町光男 

 
映画 「十九歳の地図」  主演 本間優二

ハッピーエンドではなく、社会の底辺で、必死にもがく少年の心理を描いた作品。 見終わって、さわやかな映画ではないが、強烈な印象が残る。

 作品の ひとコマひとコマ にあそびがなく、食事・勉強机・天気・水が漏れているトイレの新聞配達先の雰囲気などすべて場面が、少年の心理に変化を与えていく。

 大学を目指し、東京の城北地区に位置する飛鳥山近くの新聞販売店に住み込みをしている地方出身(和歌山県新宮)の19歳の青年 吉岡  

4畳半に先輩の「紺野」との相部屋で、家具は机兼収納箱と布団だけだが、その収納箱に南京錠をかけてプライバシーを守る。

 都電飛鳥山駅(30年前)新聞の配達は、大変
 早朝といっても、まだ真っ暗な 土砂降りの雨 、
分厚く重い合羽をかぶって、配達に出発するシーン、

店の明かりで暗闇から雨だけが光ってどんどん落ちてくる
 新聞を濡らさない為に、いつもはしないビニール作業。

 この雨のシーンだけで、憂鬱な心理が伝わってくる。


 同年齢の予備校生は、寝ている時間だから・・

夜明け前の配達

 「お客様の新聞だけは濡らしてはいけない」、自分を犠牲にしたサービスだ。
 その新聞販売店には、愛がなく、殺伐としている。
店主は、女房に逃げられ、後妻の尻にしかれ、店員は店主に敬意を払わない。 新聞配達には、集金という営業ノルマもある。
 従業員同士は、互いに生き方を馬鹿にしている。

  隠れ主役の蟹江敬三さん 胸に中途半端な 入れ墨 のある しがない三十歳男 「紺野」 を演じる。

紺野は、見た面も さえない 臭うような男だが、自分の女 (かさぶたのマリア)の自慢話をいつもしていて、同僚にリングダウンを
提供する優しい一面もある。

 三十歳代後半の紺野先輩に、あるとき、吉岡くんは見下した様に、
「俺はあんたとは元々違うんだし」(仲間じゃない、勉強して大学にいくのだから、いつまでも新聞配達はしない)という台詞は心に刺さった。 

 戦後すべてを失い、高度成長期だが、豊かさを享受できない人々が たくさんいる時代背景。
 格差社会は、この時代にも歴然として存在する。
同じ仕事をしてるから平等ではない。


土手上の配達先 に集金にきた吉岡くん (30年前の王子バラック街)
 豊かとは正反対の集金先 
セットではない "ロケ" なので町並みの臨場感が違う。 鉄屑買入れ業看板 と 未舗装で赤土のままの通り、オールトタンの家屋

現在の土手(南橋に変貌)

ロケの後、この一画は、南橋の建設の為、土手は撤去され、土手に沿って建っていた街並みが消え、現在は、跡形もありません
撮影位置は、トンネルに入って20㍍くらいでしょうか? 現在はトンネルの中ですね。 


「よく下町は人情があって・・」 という人も多いが、本当の底辺の下町は悲しい部分もある。
密集した住宅の路地のしけったにおい。
「立ちション」をして、小学生に石を投げられている女性、
 足が不自由でも、
雨が降ると滑りやすい急な鉄の外階段の二階にある三畳一間の安アパートに住むマリア、

かすかに聞こえるアリラン、
      路地裏で共同で白菜を漬けている、

障子紙もない部屋で、一日中 壁に向かって、
    お題目を唱えている母さん。
 (阪妻の王将とか、どですかでん、にも似たシーンがある。)
 金魚鉢の金魚をすくっては、死ぬまで握って殺し続ける、男の子 

 当時の底辺社会を風刺した描写

  こんなシーンの連続に釘付
中上健次先生の原作を読んでみようと思った。 

いまは、変わってしまい、みることのできない30年前の街の風景も貴重な動画で観られる。

南橋ができる前の、王子の土手(30年前)   この土手は戦後まで十条台の国営施設に物資を運ぶ鉄道の引込み線用の人工堤でしたが、陸軍解体後軌道が撤去された土手の上に自然と人が棲みついた水道がないスラムですね。 
坂の上が十条台で、急な坂の下が王子です。
 この関東ローム層の赤土の土手で、段ボール滑りをした記憶があります。考え深いです。
現在の南橋 (土手が、撤去され、二重構造橋になりました。)

  随分変わりましたが、右上にある、十条台小学校の体育館が一緒ですね。
 坂の上の先は、64,000㎡の中央公園がありますが、
戦前は陸軍の施設で、戦後は米軍王子キャンプ、 江戸時代(石神井川の外は、江戸といいませんが)幕府御用地の鷹狩り場や砲台射撃場などで開発が制限されていました。
「東京の消えた街角」  加藤嶺夫写真集より

加藤嶺夫氏の写真です。
都道455号の高架から王子方面を見下ろす位置が撮影位置だと思いますが、状況がよくわかる貴重な写真です。

この写真のずっと先の同じ土手で遊んだ記憶がありますがバラックが建ち並ぶ上の方は行った記憶がありません。  入ってはいけないような雰囲気があったのかもしれません。
 土手を上っていくと、軌道は十条台小学校通り(都道455号)の高架の下をくぐり、軍用施設(現在の中央公園)に入っていきました。




土手は、十条台から線路 (京浜東北線)をまたいで王子まで続いてました。 

 金を盗んだ紺野を責めて殴る沼田を止めているうちに・・・


以前は、土手が線路を越えて王子まで伸びていましたが、南橋に変わり、その後新幹線が南橋の上を通りようになりました。


南橋の上から京浜東北線王子方向を見下ろす(現在)

先の方で京浜東北線と新幹線の上下間をクロスして南橋は続きます。
 この橋が昔は、人工の堤だったんですね。
戦時中、堤を軍用列車が、「チンチン」と鐘をならしながら走ったので
地元で 「ちんちん山」 といわれてました。


 自分がどうしても集金できなかった相手から、紺野は簡単に集金してきた・・ マリアが他の男を部屋にいれているのが許せない吉岡くんに 「他の男がいても、自分に一番優しくしてくれればいいのさ」 とうそぶく紺野。

 紺野の生き方を見下しながらも、次第に行動を共にするようになる。


 赤羽台の窪地でのロケ(旧自衛隊駐屯地の一部)(30年前)


後ろ姿は、竹田かほりさんです。
  
紺野さんが、軽快な話術で高校生をお茶に誘いますが、吉岡くんは「いこうよ・・」 としかいえない。

現在の 赤羽自然観察公園 側道

団地はマンションに、タイルの歩道ができて、窪地は緑地公園に変わりました。

 窪地の側道(30年前の赤羽台)

この窪地は国の管理地で、一時自衛隊が使っていました。
桐ヶ丘団地 の前身も広大な国防施設でした。

現在の側道(30年経過)
 きれいになりましたが、見通しは30年前の方がいいですね。 

十条銀杏座

紺野さんと自転車で走っている二人の場面に映っている映画館は、ちょうど30年くらい前になくなった 上十条一丁目にあった映画館の 「ぎんなん座」です
現在はまったく跡形もなく、面影もない普通の住宅街になってました。

30年前の上十条1丁目


現在の上十条1丁目

二枚の今昔写真は、ぎんなん座の通りへ入る道のかどの たばこ屋さんです。
王子にもローカルな映画館はあったので 「銀杏座」にいったことはありませんがこんな住宅街にあったんですね。 それだけ当時は映画館が流行っていました。


 吉岡くんは、軟派もできない、おとなしい青年でしたが、屈折した心が激しくなり、配達先でいやなことがある度に、自分の特製ノートに
 いやな相手の名前と情報を書き込んでいく。


 優しく、カステラを勧めてくれるが、生い立ちや父親がいない ことを聞き出してくる元教師の奥さんにも ”偽善者” とブラックマークをつける吉岡くん。

そして、あるとき吉岡くんに転機が・・
坂の下の公園で遊んでいる少年達のボールが足下に転がってきて、
投げ返してあげるとき、少年達に「新聞屋」 といわれる。
(紺野には、あんたと俺とは違うといったが、少年からみたら自分は新聞屋)
吉岡くんは、ふと、投げるのを止めて、おもむろに、思い切り空に蹴り上げる。

国鉄官舎(30年前)

 まだ新幹線がないので線路の先の街並みがパノラマの様に広がってます。
三恵ホンダのボーリングピンマークが見えます。
崖のような坂の下にある 長屋 は
旧国鉄の官舎 です。

 このノスタルジックな町内に叔母の知人がいて、一度だけこの長屋の一軒に伺ったことがあります。
その人は縫製所をしていてネクタイの山の中からひとつ選び、
”デパートに納品になったら 数千円もするだよ” といってネクタイをくれました。
現在の清水坂公園

官舎はなくなり、跡地には
高低差を利用した長い滑り台のある北区立のきれいな公園になりました。
ランドマークになるパノラマが樹木で見えなくなってしまったので、正確な撮影位置はわかりませんが公園で話した男性は60年この近所に住んいるとのことでせっかくなので
写真をみてもらったら撮影位置はこのあたりではないかと教えてくれました。


いつの時代の建物か知りませんが、この木造長屋が並んだこの街並みは
当時でも特別にノスタルジックな雰囲気があり
、いつしか消えていった風景です。

 余談ですが、赤羽から池袋までいくときに赤羽駅を発車して、この付近を通りすぎるまでずいぶんとゆっくりと電車が走るのを毎回不思議に思っていました。

後日、ここが国鉄の官舎だと聞いて合点がいきました。
赤羽線(現在の埼京線)の運転手は、同僚の自宅の付近を走るときに、うるさくならないようにゆっくり速度を落としていたんだと。
ツーオンの勝手な推測ですが、官舎がなくなった現在は普通に速度を上げて走っています。  ちょうどここは埼京線と京浜東北線が合流するところで間の三角地帯に
公団のような住宅がありました、現在は老人ホームになっていますがあの5階建てくらいの住宅も国鉄の官舎だったんだと思います


清水坂公園からの眺望

清水坂公園は樹木で線路がみえないので樹木がなくなる100mくらい赤羽よりに移動したところから撮影した画です。
新幹線の高架がかぶっている左上の緑の看板がボーリング場でしたが残念ながら目印になるボーリングのピンはなくなりました。


吉岡くんが崖の上から遠くをみるシーン


現在の清水坂公園の上

吉岡くんが崖の上から、遠くを見上げるシーンですが、30年前は急激な崖ですが、手すりもなくてふみはずしたら危険な感じだったんですね。
きれいな公園のデッキの坂に変わっています。


吉岡くんは、匿名で公衆電話から、特製ノートの対象者に
 嫌がらせの電話をかけてうっぷんをはらすようになる。
 匿名だと、人が変わって 強気 の吉岡くん・・・

嫌がらせ電話をかける吉岡くん(30年前赤羽公園) 
  配達のときにいつも吠えて威嚇される犬を殺す。 
 私刑 開始。 (デスノートを思い出す)

 匿名だったら、吉岡くんは決して弱い人間ではない

現在の赤羽公園
 公園の噴水や時計台は、変わっていませんが電話ボックスはなくなりました。 30年の年月で、白鳥も随分汚れました。 貴重な30年前の赤羽の映像なので
今昔写真にしてみました。 (東京都北区赤羽・十条・王子今昔写真)

 特製ノートは、×マークをつけた詳細な地図に発展する。
  紺野が リングガウン をt提供した同僚は、キックボクシングをあきらめ帰郷し、
  紺野は、マリアの為に強盗を繰り返す犯罪者に墜ちていく。
  同僚貧乏学生のお金を盗む、どうしょうもない紺野の、
「どんな風に生きていったらいいかわかんないだよな」

 このセリフがこの作品のテーマなのでは・・・

途中、なぜか柳家 小三治師匠がタクシー運転手の役で登場する。

舞台は東京だが、東京の華やかな部分は、まったくない。 でもこれも東京なんだ。
   この映画は貴重な作品で傑作だ。 
                         ツーオン