蔵人のヒマジンな時間 -106ページ目

知ること



悲しみは知識である。

多くを知るものは、

怖ろしき真実を深く嘆かざるを得ない。

知識の木は生命の木ではないから。



パスカルは『悲しみは知識』と唱えたけど、オレ自身も海外にいた頃に、今まで出会ったことのない価値観を持った人や違ったものの考え方をする文化に出会い、そして自分という人間を客観的に考えたことによって、『知識を得ることによる悲しみ』を感じていた。
知らなければ比較対象もなく、自分が相対的に幸せか不幸せかなんて考えることもなかっただろう。
でも知ってしまったことにより、現状に満たされない気持ちを覚えることが多くなったように思える。
もしかしたら、海外で手に入る自由を知ることなく、もしくは『自分』について深く考えることもなく、ただただ親の敷いたレールの上を歩むだけの人生しか頭になかったとしたら、それはそれで幸せだったのかもしれない。

ところで、自分にとってこれまでで一番大きな影響を与えられた知識は、ゲイとして正直に生きる人々から得たことかもしれない。
彼らに出会わなかったら、おそらく自分は本心を隠したまま女性と結婚していたと思う。
でもそれは、自分の人生を偽りのまま生きていくということであり、そして相手の人生をも巻き添えにすることになる。
だから、知ってしまったことで背負った悲しみはあるけれど、自分は知って良かったと思う。

法的なことや世間体的なことを考えると、ゲイは必ずしも自由な人生を保障された立場ではないけれど、真実を深く嘆くばかりでなく、強い心を養わなきゃ、と思う。