自分で言うのもおこがましいのですが、
仏教を学ぶと以前よりも心が穏やかになるというか、
怒ったりイライラすることが無意味で無駄なことのように思えてきます。
自分の全ての行いが種まきなので、
怒鳴ったり嫌みをいったりと、怒った感情でまき散らしたものからは、
後々、怒りや憎しみというものが芽生えて、
自分に降りかかってくると思うんですよね・・・
わたしの勝手な思い込みかもしれませんが、たしかに以前そのように感情の赴くままに怒りを表現したりさらけ出していたとき、
結果、良いことはなかったなぁと思うことがあります。
なんで結果(現在)って自分で作り上げていると思うのです。
最近、菊谷さんのYOUTUBEが面白くて見ているんですが、
「無常」について理解を深めることが出来ました。
そこでこの無常という考え方というか、世の中の摂理を表現したくて、
NFTアートで無常を表現してみました。
2022年4月19日、わたしが住む町の桜は満開です。
桜がキレイでみんなが愛でる理由とはなんなのか。
そして昔から日本人になじみが深い桜において、
桜を何かに例えた歌は数多くあります。
そのなかで親鸞聖人が9歳のとき、あるお寺に出家をお願いしましたが、
今日は遅いからという事で断られたそうです。
そのときの気持ちをあらわした歌がこちらです。
明日ありと思う心の仇桜
夜半に嵐の吹かぬものかは・・・
歌の内容は、
明日も桜が咲いていると思っていても、
夜中に無常の嵐が来て桜を散らすことがある・・・
もう少し深堀すると、
まだまだ死なないと酔っぱらってしまっているのが私たちであり、
突然やってくる無常の嵐によって、
命はいとも簡単に散っていくのだ
私たちは明日があるという事に騙されて、一番大事なことを見失ってしまう・・・
しかし人は「常」が当たり前だと思っているから、
無常が起きるとショックを受けて苦しんでいる・・・
んー、あきらめたり、愚痴ったり、いじけたりしている場合じゃないですね。
ちなみにこちらのサイトでは更に仏教と桜にちなんだ歌について深堀しています。
六歌仙の小野小町と在原業平の歌や自分が取り組むNFTアートについてのこだわりを紹介しています!
興味がある方は読んでみてください🚀
でわまた!