松永君と最後のお別れをしてきました。

いまだ生きているような
20歳には思えない美しく豊かな毛並み
微笑んだような表情でお花に囲まれて
綺麗な姿での旅立ちでした

立ち合いでのお別れだったので
お骨も全部拾わせてもらったのですが
それはまるで標本の模型のように立派で・・・
背骨の関節は全部つながった状態で
何一つ崩れることなく
欠けることなく
一緒に帰宅することができました

昨夜朝方まで松永君と一緒に過ごしたダンナさん
一晩中、お線香を焚き続けてくれていて
帰宅してからもずっと正座のまま
無言で時折涙を流しながらお線香を焚き続けています

今日は準夜勤だったのですが
帰宅してからずっと無言で・・・
1人で耐えて我慢しているのがわかるから余計辛い

ダンナさんは
「スキーになんか行かなきゃよかった
そばにいてあげていればよかった
松永君を一人にしちゃった」
という罪悪感と
「どうして自分がいない時に・・・、なんで」
とずっと言い続けていて
私より全然重症です

就寝前
急にボソッと「言ってもいい?」と聞かれて
ようやく話し出したのは
「松に会いたい」でした
「帰りの峠道でこのままハンドル切ったら
松に会えるかなと思ってさ・・・」
布団をかぶりながら大泣き

正直言うと
ペットロスになるのは私だと思っていました
でもそれは私の脳が許さなかったようで
いつの間にか自分で自分に認知行動療法を行っていて
そんな自分をどうしようもないと思うけれど
私の頭はどうあっても壊れることはないのだと改めて思い知りました
だから、私は大丈夫です

でもダンナさんは想像以上の重症で
本当に松永君を大切に大切に思っていたんだなと。
うちは子供がいないから
松永君は子供であり、家族であり
今更ながらその存在の意味を思い知らされました

命日は1月20日で
初七日の1月27日はダンナさんの誕生日で
月命日の20日は私の誕生日(8月20日)でもあります

いろいろ話していくうちに
ダンナさんが
「松永君とお揃いのペンダントとか
身に着けるものがほしい」と言い出して
誕生日プレゼントというには今のダンナさんには酷だけれど
遺骨か毛を入れられるペンダントを作ることにしました
一つはダンナさん用
一つは松永君用
2人だけのお揃いじゃなきゃ嫌だそうで
私は仲間はずれ(笑
でも、それで少しでも悲しみが和らいで
ダンナさんが前を向けるのなら
それでいいのかな、と。

難しい・・・
悲しいだけでなく
家族を失うということはとても難しい
自責の念が続けば確実にダンナさんの精神状態を悪化させるでしょう
私ができることは話を聞くこと
一緒に話していろんな感情を共有して
一緒に泣くこと、かな

どんな形になっても
それもすべて含めて松永君で
でもそれはもう松永君ではないと人は認識する
では何をもって松永君なのか?
体だけではダメで
魂だけでもダメ
でもどれも松永君であって
変わってしまったのはこちら側の意識
生者にとっては肉体を含め「形=命」なのかもしれない

全は一
一は全
同全一の世界に生と死の区別はないけれど
でも「形=命(死)」は必要なんだと思う
形あるものは形あるもの同士でしか触れらない
松永君を失った喪失感に悲しみ、涙を流ながら
そんな事を冷静に考えている私の頭は
別な意味で壊れているのかもしれないけれど。

でも松永君がいたから
この20年間生き延びてきたのは本当で
松永君がいなかったら
全く違う生き方をしていたかもしれない
松永君に生かされたことに今はただただ感謝ですね

ご心配をおかけしていますが
松永君は無事見送ることができました
それにこんな感じなんで
私は大丈夫です、たぶん。
心配なのはダンナさんの心のほうで
少しづつ、ゆっくり、時間をかけて
この悲しみを一緒に乗り越えていけたらと思います

松永君にお花をいただいた皆様
ありがとうございました。
本来ならお礼の連絡をしなくてはいけないのに
お花とメッセージを見ていたら、また無性に泣けてきて
私自身もうちょっと落ち着いてから
お礼とご挨拶をさせていただきたいと思います。
それまでもう少しだけ時間をいただくこと
どうぞお許しください

松永君を偲んでくださる皆様の優しさ
松永君のために涙を流してくださる皆様の心に
本当に言葉には言い尽くせないほど感謝しています

ありきたりなことしか言えませんが
本当にありがとうございました