基本育児ブログだけど、お母さんの最期を書きたいなと思ったので残します。
いつも気軽な感じのブログなので、
気分じゃない方はスルーして下さい。。
母は7年前くらいに、心臓の病気が分かりました。
当時は手術するほどまでは悪くないので、薬を飲みましょうとの事でした。
なのでずっと薬を飲んで生活をしていました。
昨年秋の定期検診で、かなり心臓の状態が悪くなっていて、検査入院をし、これは手術しましょうと言うことになりました。
手術は今年の1月末に決まりました。
手術の内容は、心臓の弁を付け替える手術。
弁置換術。
98%成功すると言われている手術。
73歳のため、高齢にはいるので97%と言われました。
手術は開胸するし、リハビリも大変だとは思うけど、
お母さんは手術を望んでいました。
息苦しさがあり、すぐ疲れてしまう状態から
良くなりたかったんだと思います。
孫も4歳と2歳。まだまだサンディエゴにも来たいって言っていたし、今手術して、残りの時間をもう少し元気に過ごして生きたいって気持ちだったと思います。
開胸する事や、術後の合併症の覚悟はしていましたが、
まさか、この手術で亡くなってしまうとは、
お母さん本人も、お父さんも、もちろん私も思ってはいませんでした。。
手術は一度は成功しました。
ただ、その4時間後に緊急手術となってしまい、
帰らぬ人となりました。
私が思うに、今まで流れが緩かった所に、弁を替えて勢いよく流れた血流に、心臓が耐えられなかったように思います。
それくらい、お母さんの心臓はすでに弱くなっていたんではないかなと思います。
うちの近所では、心臓専門の大きな有名な病院でしたので、私はなんの疑いもなかったです。
手術も院長から副院長、病院のトップの方々だったのでまさかこの結果になるとは、、です。
でも手術中に亡くなるといっても、
本当の最期は手術室ではなく、お父さんは側で看取る事が出来ました。ただお母さんの意識はないですが、、
私はお父さんとのLINE電話越しに、一緒に心拍がなくなるまで、お母さんに話しかけていました。
コロナ禍なので、1名しか入れなかったので、
どちらにしても私は側にはいれなかった。
コロナで入院中の面会が禁止でした。
だから、私が日本に帰国しても、
結局面会出来ないなら、
退院後の大変な時に
しばらく帰ろうとも思っていました。
今頃一緒に、手術後のリハビリとか頑張っていたのにな。親孝行もっとさせてほしかったな。
思う事は本当に沢山あります。
それでも、いつ心筋梗塞がおきてもおかしくない状態と言われていたので、
もし手術をしない事を選んでいても、終わりは近かったのかもしれません。
もしそうだったら、、
あの時手術しておけば良かったと、きっと、言っていたと思います。
どちらにしても、お母さんの魂が選んだ事なのかな。
そろそろ、いいですよ。
73年間、頑張ってきましたねってお迎えが来たのかな。
最後の半年は、父も退職し、
毎日仲良く過ごしていたみたいだし。
私も昨年末、2週間を実家で過ごし、
アンパンマンミュージアムに行ったり、
お母さんが具合悪くなった時に手を繋いだり、
最後は成田空港で、ギューと抱きしめあいました。
私のお母さんとの最後は、この
成田空港でのハグでした。
感謝のお手紙も渡しました。
悔いがないって言ったら嘘になります。
悔いだらけです。
でも、その反面、
あーサンディエゴに来てくれた時、喜んでいたなーとか、伊勢神宮も楽しかったなぁーとか
私にピアノを曲げずに習わせ続けてくれてありがとうとか、良かった想い出も沢山浮かびます。
まだ気持ちはいったりきたり、
またふと書きたいと思った時に、母の事書こうと思います。