その後わたしは、例のインドのアンマのコミュニティに行き、そこで3ヶ月ほどインドに滞在することになった。
本当は、1ヶ月の滞在予定で、次の講座の日程に合わせて日本に帰国する予定だった。
だけど、インドに着いてから、講座で起こったことや周りの反応に自分が思っていたよりも傷ついていることがわかった。
日本にいた時には、先生とのことがあったので、浮き足立っていたし、わたしを認めてくれた先生がいるから、これからも講座を頑張ろう。そう思っていた。
でも、そのアシュラムで出会った日本女性に、私がその日本で起こったことを話した時、彼女が「あなたはそのことにすごくダメージを受けてると思うから、ここでしばらく自分を癒す必要があると思う」と伝えてくれた。
デジャヴ、で思い出したような、凄惨な体験をした過去生が、こんかいここおとかかわっているとしたらさ、その時のトラウマや痛みも浮かび上がっていたのだとも思う。
そして今現在起こっていることや体験している感情や感覚というのは、多くのことが過去に封じ込めた癒やされない体験で、
時を経てそれを表に出すことで、初めて癒しが起こり、過去も現在も未来も変えることができるのだと思う。
この時、私の運命は大きく変わったのだと思う。
そして、それにはアンマの存在とこのインドへの渡航が不可欠だったのだと思う。
私にとって、アンマの存在は、キリストの再来のようなものだった。
このアンマのアシュラムとコミュニティには、世界中から様々な国、人種の人たちが3,000人ほど出家者として暮らしいていて、毎日アンマに会いに、インド中、世界中から何万人もの人がアンマに会いにこのアシュラムを訪れていた。
アンマは年の半分は世界ツアーに出て、各地で莫大な寄付を集め、それを世界中の被災地、紛争地へ寄付をしたり、貧しい人たちのために学校や家を建てたり、様々なチャリティ活動をしていた。
日本の東日本大地震の時も、すぐさま日本に来日して被災地や被災者を訪問し、一億円もの寄付をしてくれた。
わたしは講座のことを見つける前は、このアンマの元で、彼女の活動に仕えて残りの人生を送りたいと思っていた。
私の場合は、アンマの活動に参加する方が一般社会で生活をするよりも有意義に生きられると思った。そのくらい私にとっては一般社会で生きることに違和感があり、興味を感じられることがなくなっていた。
だけど来日したアンマに会い、そこで出会ったある霊能者に、アンマのアシュラムに住むのはやめた方が良い、と言われた。
「そのコミュニティに入ったとしてももっと失望すると思う」と。
その人曰く、アンマ自体はすごい人だけど、その周りの人たちは一般社会の人と変わらない。むしろもっと深刻な問題を抱えている人たちが多いのだ、ということだった。
お釈迦さまの蜘蛛の糸のような仕事をしているアンマだから、そのような人たちを引き受けて、面倒見ているということだというのはとても納得したし、一般社会で生きていける力がある人たちは、アンマはそのようにさせるだろうということはわかっていた。
そしてもう一つ彼女に、「あなたは39歳で結婚をする」と予言めいたことも言われた。当時37歳だったので、あと2年後だ。
私はアンマのアシュラムで出家して生きようと思っていたので、突然そのようなことを言われて全く現実味がなかったのだけど、わたしにはまだ一般社会での未来の可能性があるのだ、という淡い期待を持って、素直にインドで出家することはやめることにした。そしてそのすぐ後に、先生の講座を見つけて、入学することにしたのだった。
実際に講座が始まると、アンマの哲学や活動と似通っているところがたくさんあり、一度アンマのコミュニティを見てみたいと思い今回の渡航を決めたのだった。
そして、日本や外部との繋がりが一切断たれたこの場所で、色々なことが客観的に見えてきた。
このアシュラムは、隠遁や修行、ヒーリングの場でもあるために、滞在者は携帯電話などの外部と連絡できるものはすべてアシュラムに預けなければならなかった。
どうしても外部と連絡したい時は、インターネットや公衆電話が使える場所に行き、順番を待つ必要があった。
なにしろ毎日何万人も訪れるこのアシュラム内で、公衆電話は一つ、ネットが使えるパソコンは10台しか無く、それらの場所はいつも行列ができていた。なかなか簡単に外部と連絡が取れなかった。
そしてここでは普通の生活をすること自体が大変で、水道からは赤茶色の泥が混ざった水しか出ず、蛇口に布やスポンジを詰めて濾過する必要があり、シャワーをするのも一苦労。洗濯も手洗い、食事時間も内容も限られていて、一日のうち数時間は、それらアシュラム内での運営にボランティアとして奉仕活動をする義務もあった。ここでの衣食住のすべてはこのボランティアだけでまわっている。
そして南インドなのでとても暑く、衛生状態も良くないために、日本から来た人たちのほとんどは体調を崩していた。ちなみに敷地内に西洋医学とアーユルヴェーダの両方の病院があるので、何かあってもすぐに対応はしてもらえるのだが。
そんな過酷な生活状況の中でも、アンマを中心にアシュラムのある敷地内が一つの有機体か何かのように存在していて、そこで起こるすべてのことは、アンマが霊的に把握していて、何か問題が起こっても、不思議と奇跡のように収まり、日々がまわっていた。
毎日のアンマのダルシャン、ここに集まる人たちの祈りと奉仕、自己のケア、それらの愛の波動と癒しが、このコミュニティの奇跡的な運営を可能にしていた。
そんなアシュラムでの滞在で、講座や、そこに関わる人たちが、どんどん遠く感じられてきた。
あの時講座で起こったことがきっかけで、そこに集まる人たちが、同じ志や目的を持った同志なのだという、それまでの私の思い込みが崩れていった。
私は、この講座で、この組織で、これ以上何ができるのだろう。
私と問題があったその教師と話をしたり和解できるような状況ではなかったし、他の教師や受講生たちをすでに巻き込んでいた。
きっと先生は、この状況もうまく収めてくださるのだろう。だけどそれは簡単ことではないだろうし、きっと先生にも相当な負担になる。
あの時先生が私を理解してくれただけで、私には充分だったし、先生にこれ以上迷惑をかけたくなかった。私は先生に、こんなことには関わらずにもっと大切なお仕事に集中してもらいたかった。
私は少しずつ気づき始めていた。今回のことは、単に私にとって、講座がもう自分の居場所ではない、あそこでの役目が終わったのだ、ということを示しただけだったのではないかということを。
私が講座をやめても誰も困らない。私が講座を続ける責任や義務もない。講座の費用も分割払いで、今までの受講分の支払いは終わっていた。
それでも、わたしはもっとちゃんだ勉強をして、講座のことを通して何か役に立つことをしたい、という信念みたいなものはあった。それは、先生という理解者がいたことも一つだし、講座の内容は、私にとってはライフワークだと思っていたから。
でも、それまでずっとビジョンが見えなかった理由も、講座の環境に馴染めなくて居心地が良くなかった理由も、こうなる運命だったからなのだ、ということも思った。
そして何よりも、先生にとって、わたしの存在が厄介なものになってしまっているのかもしれない、ということが引っかかっていた。
それは、わたしが先生に会えなくなることよりも、わたしには辛いことだった。
私は、先生は初めて自分の本質のようなものを理解してくれた人だと感じていた。先生は私にとって特別だった。もう先生のような人には後にも先にも出会えない。そう思っていた。
でも、前に霊能者に言われた、39歳で結婚する、というのは、既婚者でお子さんが生まれたばかりの先生とは、あり得ないことだ。
それでももし先生と連絡を取ったり、繋がれる環境を選ぶとしたら、私の結婚や、子ども授かるという可能性はきっと消えるのだろう。
39歳は、もう女性として子どもを授かれるタイムリミットだ。
私は過去に不倫の経験があり、その相手に対してもとても運命的なものを感じていた。先生とのそれと比べると全然薄いけれど、その時は本当に運命だと思っていた。
その思い込みのために、不幸な家庭生活を送る彼のことを諦められなかったし、彼の奥さんとの不仲や離婚を匂わす話を信じてしまった。
私はこの経験で、男性の狡さとか、決して家庭は捨てないということを思い知ったし、別離のダメージから立ち直るのにものすごく時間がかかった。だからもうどんなに運命を感じる相手だとしても、不倫だけはしない、と心に決めていた。
だけど、先生を一年半見てきて、先生が他の男性とは違うということもわかっていたし、その彼のようなことはしないこともわかっていた。
だけど、たとえばプラトニックでも、どこかで通じ合っていたり、繋がっていられる関係でも、私は幸せだとも思った。そんな風に思う自分にも驚いたし、そんな風に思える相手も初めてだった。
そこで私は本当に悩んでしまった。
究極の選択だった。
なぜかわからないけど、結婚や子どもを諦めてでも、先生と繋がりたいという強い衝動があった。
それでも離れたくない、という、抗えない引力のもの。
私は自分が頭がおかしくなったのかと思った。
すごく怖くなった。
自分にこんな風に思わせる先生の存在自体が、怖くなってしまったのだ。
そして私は結局、逃げてしまったのだと思う。その恐怖から。
こんな風に遠い異国に来て、先生と簡単に連絡が取ったり会えない環境にいなかったら、あの時わたしはとても冷静には考えられなかったと思うし、こうして逃げるさえもできなかったと思う。
だからこそ、引き離されるしかなかったのだと思うし、それだけ運命的な出会いだったのだと思う。
インドでの滞在が1か月を過ぎ、とりあえず今回の講座は休むことだけは学校に連絡しようと思っていた。辞めることを伝えるのは後からでも良い。
でも、アシュラムの公衆電話やインターネットのある場所を通ると、いつも大行列で、また今度、と通り過ぎた。
正直まだ、迷いがあったのだと思う。先生との可能性、講座を続けられる可能性が全くないわけではないはずだ、と。
それに、またすべてが自分の意志や感情とは関係なく、勝手に大きく運命が変わってしまったように感じて、わたしは腹が立っていた。
自分は何か悪いことをしたわけではないのに、講座を辞めなければならない、先生にも会えなくなる。そのことを納得できたわけではなかった。
それでも、それまでと同じように、きっと必然で最善のことが起こってるのだと信じるしかなかった。
そうやって自分が生かされてきたことを、私は実感していたから。
その後は、ただ時間だけが過ぎて、先生のことが頭に浮かんでは、胸が痛んだ。でも、どうすることもできなかった。
先生と連絡を取ったら、もう後戻りができなくなることだけはわかっていたから。
あんな風に霊能力のある先生だから、きっとテレパシーでこの私の状況も考えもわかってくれるだろう。そして時間が経てば、先生もこれで良かったと、思ってくれるはずだ。
先生と出会えて、一瞬でも通じ合えたことだけでも、充分幸せなことだし、短かったけれど、そういう縁だったのだ。
きっといつかまた会える。今生は無理かもしれないけど、きっとまた、どこかで。
わたしはそう自分に言い聞かせていた。
そうして一切の連絡を絶って、先生のことも講座のこともすべて、自分の中で完全に封印してしまったのだった。

