「幕が上がるを語る会」のレジュメを元に色々かいてみるやつその2です。
こちらは、ももクロメンバー以外の役者さんが演じた役のこととか、作品上のエピソードのこととかを思いつくままに記したものです。
やっぱりネタバレ満載なので、そのつもりでお読みください。
5 その他のモロモロ
① グッチは意外と良い先生
一見、ダメな先生みたいな描写をされているが、結構、出来た先生だと思う。顧問をしている部活を新人の先生に差配されても腐らないところとか懐深いし。吉岡先生がいなくなって混乱する部員にしっかり対峙して、県大会に向けて歩ませることが出来たわけだしね。
ただ、吉岡先生退職については教頭先生とかから随分シメられたんじゃないかとちょっと心配である。
<さおりユッコがるるで職員室のグッチの所へ相談にいく>
さおりの心の声に反応するところは、生徒の心の起伏に敏感に反応できるということであり、先生としての資質はそれなりに備えていると言えるんじゃないかな。
<職員室でさおりと吉岡先生が相談してるところへ>
さおりの心の声「見てろよ~清進学院」は中西さんを頭に浮かべて言ってるんだよね。ここでも最後に画面に入ってきたグッチは「ん?」と心の声に反応。
② 新入生歓迎会での失敗
原作、映画ともに新入生歓迎会のシーンがあるのですが、原作読み返したらやっていることも結果も全然違っているし、あれっそうだっけ!?と驚いたものです。
<図書館で中西さんが立ち去った後さおりが手に取った本は>
さおりが「初めてのシェイクスピア」をやめて「ロミオとジュリエット」を選んだのは、やる気が空回りして無理に背伸びしてしまったのかも。何やったらいいかわからないけど、初心者的なものはちょっと格好悪いみたいな。
ちなみに映画に出てきた「ロミオとジュリエット」は実在の書物(作者は明治学院大学名誉教授で元学長の大場健治氏)だが、さおりが最初に手を伸ばそうとした「はじめてのシェイクスピア」はフェイク、小道具。なので、当然ながら後者の本については作り手側の意図が込められているはず。
☆参考☆
図書館の本棚で「ロミオとジュリエット」と同じ段に並んでいる本の内、存在を確認できず小道具と思われるのは以下の6冊。
・シェイクスピアから学ぶ演劇
・初めてのシェイクスピア
・初めてのチェーホフ
・チェーホフからひも解く戯曲の書き方
・誰にでも分かる演劇
・シェイクスピアの名言集
<新歓舞台ロミオとジュリエット>
新歓舞台が酷い形で終わったのは、題材の選択含めて出来自体がイマイチだったということもあるが、やる環境自体にも大きな問題があったと思う。
実際のところあんな騒然とした会場で、普通にロミオとジュリエットをやっても、観客の目を集めるのは難しい。作品の抜粋だとなおさら何をやっているのか理解しづらいし。
そういう意味では原作は「がるるのダンスとわび助の朗読」という印象的で目を引くパフォーマンスを選択しており、戦略的に極めて正しい。新歓は当然ながら成功で、つまり、原作の演劇部員は映画と比べてスタート時点で先を行っているということ。
③ 色ネタ
やっぱりももクロといったら「色」ということで、劇中、メンバーカラーを引用した演出がちょこちょこ出てきました。代表的なのはフードコートのドリンク、渡り廊下での大道具作成時のペンキあたりですが他にもこんなものが。
<さおりユッコがるるの3人で(吉岡先生がいる)美術室へ移動>
美術室へ移動している時、他の荷物と一緒に、がるるは紫色、ユッコは黄色のカバンを肩に掛けている。がるるのカバンはこの後も出てくるが、ユッコの持っていた黄色のカバンはこれっきりだったと思う。こっちは私物ではなく演劇部の小道具とか入っているのかな。
<合宿地到着、サプライズで中西さん登場>
バスを降りたところで出てくるユッコのスーツケースの色が(たぶん)黄色。
携帯電話の色はさおりが赤色、中西さんは緑色。
④ 三宅先生のももクログッズ
ももクロのファンということで有名なフジテレビ三宅アナ。
アナウンサーでモノノフというと、テレ朝の弘中アナ、小松アナもだけど、局アナが特定のアイドルファンを公言するというのも結構珍しい話なんじゃないだろうか。
さて、フジテレビが制作にはいっていることもあってか、職員室にいる先生の1人を三宅アナが演じているわけだが、ちょくちょくももクログッズを出してきてウザいとお怒りの方もおられたようだ。
個人的にはクスッとしたぐらいで全く気にならなかったんだけどな。「これはこれそれはそれ」で自分の中では振り分けられていて、本筋とももクロネタを同時並行処理可能な機能を持っていたからかもしれない。
あと、出てきたももクログッズのうち、GOUNNツアーTシャツについては少なくとも先生の私物ではなく、先生の後ろをついてきた女生徒が落し物を届けに来ているところのように思えた。先生が開いているファイルは拾得物管理用の帳面とか?
⑤ なぜ商業施設でさおりは中西父から逃げ出したか問題
さおりがプールに転落した後、帰宅途中に商業施設に立ち寄ってふらふらと歩いているシーン、ここで謎だったのが、なぜさおりがうどん脳のマスコットを拾った中西父から逃げ出したのかということ。
しばらく理由がわからなかったけど、決して髭のおやじを不審人物だと思ったからではなく「プールで見た悪夢に出てきたうどん脳が、現実の中でも脚本を書けと追いかけてきたように感じたため」という結論になった。
たしかにこりゃ「病んでんなあ」だ。
この後のフードコートのシーンで、さおりが中西さんに、吉岡先生から合宿をやろうと言われていることを話していたので、合宿が始まるまでに台本を完成させないといけないプレッシャーがさおりに悪夢を見せたのかもしれない。
なお、さおりと中西さんが一緒に全国大会に行った後、書いた台本を吉岡先生に見てもらったシーンにあった「もう一つ相談」は中西さんの合宿参加のことだろう。これは吉岡先生以外知らないサプライズなのだったろうか。
⑥ 吉岡先生について
最後は、あの世界のもう一人の主人公である吉岡先生のことを。吉岡先生についてはやっぱり肖像画と、対さおりとの関係性がポイント。
他の方もこのあたりについては色々と語られていたので自分で書いていたのはこれぐらい。
<吉岡先生の肖像画>
さおりが吉岡先生に突っかかるところは、さおりのきつい目つきがとても印象的。何をやったらいいのかわからないという鬱屈した気分全開なところにあの演技を見せつけられたさおりの精神状態たるや。そりゃ暴発もするだろうし、困惑と驚愕が入り混じって心の声も全開になる。
吉岡先生(黒木華)の演技を堪能したいのに心の声がうるさかったという評もあったが、ここはさおりというフィルタを通した吉岡先生の演技を感じてもらおうとしているのだろう。
この映画はポスターに表れているとおり、さおりが中心の映画という視点に立てば腑に落ちる演出だと思う。
一方、吉岡先生も自らの「肖像画」をやってみせる中で「それで私もね 私ではない誰かに 私ではない これから飛び出していく誰かの目の前に 広げられれば」という言葉が口から出たところで演技を打ち切り。
なぜ吉岡先生はその後(演劇を)辞めて良かったといったのか。
(以下、円盤の映像特典に入っている吉岡先生の肖像画完全版を見てみたら、想像で書いてたところが違っていたのだけど、自分的にはよくできた妄想なのでそのまま残してます。)
肖像画で語られる吉岡先生の母親は朗読が上手だったようで「勝ち負けじゃないのよ」という言葉があったことから、誰かに教えることもしていたのかも。
吉岡先生も、母に倣って自分の経験や知識を誰かに伝えていければそれでいいのだと割り切っていたはずなのに、散々悩んで人生が狂う前に封印したはずの役者としての自分が出てきそうになって慄然としたのではないか。
あのまま役者の道を進んでいたら底なし沼に引きずりこまれていたことを再認識し、そうなる前に足を洗って良かったのだ、と改めて感じたのではないだろうか。
(余談だが、「花もて語れ」という「朗読」を題材にしたマンガを読んだことがあってとても面白かった記憶がある。作中で宮沢賢治の作品もいくつか取り上げられていたのだが、朗読の大会というのもあって、随分奥が深い世界が広がっているのを知ることが出来た作品)
<さおりに演出を>
吉岡先生から「演出家デビュー」だと言われてうにゃうにゃしつつ満更でもないさおりというシーンがすごく好きで。このあたりは夏菜子独特の演技の味わい。
冒頭のたき火のシーンで部長を押し付けられて本気で嫌がるところから前に進んでいるな、ということも感じる。
<合宿終わりにさおりの決意の言葉を受けて>
ここはみなさんも言われているところだけど。
「だねっ」は吉岡先生自身にも向けられた言葉であり、結局役者としての自分を抑え込めなかったことを肯定した瞬間。さおりの心の声と違って、吉岡先生の内心はそのものずばりという形では提示されない。大人だし。
<地区大会の観客席で>
銀河鉄道の夜の最後のシーンで、吉岡先生の顔のアップにジョバンニの「カンパネルラ、僕にはまだ本当の幸せが何かわからない。それでも僕はそれを探して生きていく」を重ねたのも、当然吉岡先生の選択を暗示させているのだろう。(これが吉岡「先生」の最後のシーン)
以上、レジュメで他の方が書かれていたことについては、自分が追記する時にあまり重複しないようにしていたので、重要な要素に関する言及が結構ないのですが、それでも8000文字近いテキストになってしまうぐらい、「幕が上がる」は語りがいがある作品ということです。
