ナク *幼* | 恣意的なblog.

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僕は歩く。

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僕は耳と目を閉じ口をつぐんだ人間になろうと考えた。
J.D.Salinger





毎日毎日フワフワ浮いているようだ。
どうしようもなくあてもなく。


中学の頃は勉強をするのが嫌いではなかった。勉強の合間、本を読んで空想の世界に浸ることが好きだった。
「クトゥルー神話」や「幻魔大戦」を読んでまだ見ぬ世界の裾野を彷徨ったり、親に勧められた「風と共に去りぬ」を読んでアメリカ文学が好きになり
次いで失われた世代の作家に興味を持つようになった。
もっと深く知るために学校の図書館に入り浸ったりもした。

広大な大地に巻き上がる砂塵、荒野をさすらい捕らえた獲物をさばいて肉を焼く。
生きる目的のためだけに貪り食べ、焚き火で暖をとり、当て所ない明日を思い描きながら深い眠りにつく。
そういう狩猟民族的な人の営みに憧れを抱いていた。

その頃から人間の中には何か目覚めてはいけない魔物を宿していると感じていたし、人と交じり合うことのない別の生き方を求めていた。
コンプレックスの塊から滲み出る膿のような、決して触れてはいけない欠損した感情を抱えていたように思う。

いつか、この小さな狭い世界を抜け出して大海原に飛び出してやるんだ。
セイレーンの歌声が聞こえたとしても構いはしない、その時はその時だ。

自分が特別な人間だとは思っていなかったが、何か目的のある未だ開花していない能力が備わっているものと頑に信じていた。
過剰なまでの自己への漠然とした期待や陶酔が、自我の成長を阻害していたように思う。

自分に都合よくいろいろ考えてみるものの
それでもいつも落ち着かなくてフワフワ漂っているようだった。


家族との関係は良好だったと思う。大切に育て上げようとしている両親の愛情は十分に子供達に伝わっていた。
両親からすれば子供の反抗は許容できる範囲だったようで、それを不意に飛び越えた時はすぐさま境界線を広げてくれた。
就職するまで迷惑を掛けっぱなしだったが、子供の成長を辛抱強く見守ってくれていたと思う。

そんな立派な両親だったけれど、残念なことに息子は幸福感の漂う休日の朝が一番に嫌いだった。
朝起きて、階下から聞こえる笑い声と朝食の匂い、食器が触れ合う音が苦手だった。
幸せな家庭に何故か居心地の悪さを感じていた。

リビングに行きたくない一心で布団を被り、このまま死んだらどうなるんだろうと必死に考えたりしていた。
人は死んだら意識体が取り残されることなく、全てが虚無に帰す。

なにもなくなるんだ!

それが摂理だとしたら、死ぬということはとても恐いことだと感じていた。

自分という生命体が奇跡的な邂逅を経て、時の雫として生み出された神秘的な出来事だというのに、いずれ育むであろう精神の静穏すら終わりを迎える。
万物創生を紐解いたとしても、仮に何かよすがを見つけたとしても事実は全く変わらない。

考えることを諦め、休日の朝は生きる絶望を覚えていた。
深淵の闇に吸い取られる光の礫のように。


摺りガラスの隙間から見えるどんよりとした薄曇の空。
窓ガラスに付いた水滴。
どこか寂しげな町の表情。

あらゆるものに嫌悪感を抱いていた。

まだ幼かった。