百万の、キラキラ輝く物語。

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行って来た。




百万の、キラキラ輝く物語。-sengoku




いやぁ、面白かったっす。




あんな都心に(小さいけれども)美術館あるとは知らなかった。まだまだ世の中、知らないことだらけだな。


戦国時代なんかを描いた浮世絵を見てきた。
浮世絵というやつは、主に美人画、役者絵、風景画、花鳥画、武者絵という種類に分けられるそうで。勿論今回は、そのうちの武者絵がメインでした。


戦国時代、いわゆる応仁の乱から織田信長・豊臣秀吉の台頭してくる安土桃山までの時代ですね。
これを、江戸の浮世絵師が描いたもの。

浮世絵が描かれた江戸時代には、信長や秀吉を描くことは幕府によって禁じられていたらしい。家康様を差し置いて、英雄的に彼らを描くとは許さん!的なアレかしら?うーん、いつの時代もそういうのってあるのね。情報操作って怖い。。。



とはいえ人気はあるわけで、禁止にされているからって描かないわけにはいかない。絵師たちだって描きたい。禁止されれば余計にそうしたい、ってのが人間ってもんだ。


だからこそ、工夫を施していた。


例えば、明智光秀を「山名氏」、豊臣秀吉を「細川氏」と偽って発表したり。加藤清正を「佐藤正清」、豊臣秀吉を「真柴久吉」と架空の人物にして説明を加えていた。


この時代から既に、人間って言葉遊びが好きだったり、二次創作やパロディ、オマージュが好きだったんだなぁ、と思うと、何だか微笑ましい気分になった。

・・・まぁ、絵師本人たちは生死のかかった場面だったのかもしれないけれど。



4人の男が、餅つきをしている絵があった。甲冑姿で合戦中のものがほとんどの中にあったそれは少々異質で、よく見てみると、
「君が代とつきかためたり春のもち」
と記してある。



よく言われる、天下統一を餅つきに例えた比喩表現だった。

 信長がつき、
 秀吉がまるめて、
 家康が食べる、

というアレ。


4人、というのは光秀も入っていたからだ。餅をこねていた。
そうかそうか、元々は光秀も天下人として3日間だけであろうともカウントされていたのか、と思った。



勿論、秀吉たちだけではなく、戦国大名と呼ばれる人物の絵が数多くあった。中でも小早川・・・というか、毛利の一族はわりと美形に描かれていた。毛利氏は、18年暮らした地元の大名だから、本当に美しい人だったのだとしたら、素直に嬉しい。




全体の印象としては、浮世絵は風刺画が多いということだ。

一つ、備前高松城を水責めしている絵があった。

絵の中では官軍が備前高松城に攻め込み、官軍大勝利!となっている。これは第二次長州征伐の風刺画らしい。幕府に逆らった長州藩が、城を燃やされて大敗する、という想定の下に描かれたようだ。

がしかし、第二次長州征伐、結果はこの絵と真逆に終わる。自らの城に火を放つところまでも!、だ。

うん、そんなところまで逆に、更に風刺がきいてますな。


1850年のものは黒船来航によるのか、江戸城が焼けるなど日本のゆく末を不安視した悲観的な風刺画が多く、黒煙を特徴的に描いたものが多かった。


江戸時代の大衆文化は、現代のそれととてもよく似ている。

それがわかっただけでも、大変勉強になった。



太田記念美術館



ちなみに、版画調の手ぬぐいを売る可愛らしいショップが地下にある。
とにかく可愛い。めちゃくちゃ可愛い。オススメ。

手持ちがなくて買えなかったから、次は買いたい。


少し前。


新宿伊勢丹に行ってきた。

特に用があったわけではなく、たまたま通りかかったら


「Love Chair Collection」


なるものをやっていた。
ので、ふらりと寄ってみた。


百万の、キラキラ輝く物語。-lovecollection2


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そしたらさ。


ジノリもやってた。


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椅子の前に皿を見た。



インテリアの特設イベントは楽しい。



商品そのもののデザイン性は勿論、空間もデザイン性が高いからだ。


美しいものを、美しく見せるための、いわゆるおめかしがされていて、見ているだけで楽しくなってくる。


綺麗なものを見ていると、嫌なことがあったときでも、気分が晴れる。
ちょっと女子っぽく言うなら、心のデトックスだと思う。


にしても高いのな!マグカップに8,000yenは出せないわ!!


こちとら庶民でい!てやんでい!!


で。椅子。

家具で有名な北欧・フィンランドの椅子に、同国と日本のデザイナーが十数人ずつ、創意工夫を加えてアーティスティックな2脚1セットを発表する場だった。


白いだけの椅子に、様々な世界が描かれていた。



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こんな感じ。


アリが片方から片方へ行列をなしていく様を描いたもの、2脚をくっつけると全体で一つの地図になっているもの、左右対称なもの、手錠のような輪でしっかりくっつけられたもの。


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なかでも私はコレが好きだった。



見えるかなー?
小さく、右下と左上にピンク色で鳥の絵が描かれているのだ。


北欧の森と泉を思わせるグラデーションの中に佇む獣のオーラは、まさに神様の如く。それら一つ一つを決して邪魔しないピンク色のアクセント。



こんな椅子が欲しい!こんな椅子で生活したい!!こんな椅子勿体なくて座れない!!!


以上、キッタ・ペルットゥラさんの椅子についてでした。



にしても、同世代の芸術家が多く活躍してきたっていうのは、嬉しいのと同時に「私は何をしているのか」と不安になったりも、する。


ショックを受けるとかではない。ただ単純に、ちょっとだけ羨ましいのだ。



それが私を動かしている。劣等感はエネルギー。

縁って不思議。



高校生の頃、硬式野球部のマネージャーをしていた。


運動部員にはよくあることと思うが、私はその野球部が大好きだった。
今でもやはり、母校の野球部というものには強い思い入れがあり、帰省したときに時間があれば見に行っている。


昨年の夏に高校へ足を運ぶと、まだ私の恩師がいた。彼は顧問を続けていてた。


「ご無沙汰しております、お元気ですか?」
今年はどうですか?強いですか?などといった世間話をするつもりで言った。

とても明るい先生だが、彼は私の質問に苦笑してしまった。


「いやぁ、野球の前に教えることが多くて困ってるよ」


・・・?はて。野球の前に教えること?何だろうか?


「礼儀?勉強?」


どこもそうかもしれないが、母校では、世間的に赤点と呼ばれる点数(母校では欠点、と呼んでいたそれ)を取ると、部活動に所属している生徒は、追試に合格するまで部活禁止令が出る。


しかも追試は、1年に1回しかない。
5~6回ある定期考査を、1年分まとめて計算した結果が赤点だった場合、春休みは追試で埋まってしまう。
勿論、落ちれば留年。


かくいう私もいつも数学が赤点ギリギリだった。



敬語が使えないのか?
または夏の間から赤点が心配される部員ばかりなのか?

と尋ねたら、まったく違う方向の回答がきた。


「友達の作り方から教えないといけないんだよ」


と。



あまりのことに、上手い返しができなかった。


縁あって同じ学校、同じ部活にいる、同じ年頃の仲間と、仲間になるために、第三者の助けがいるとは。


私も相当な人見知りだったが、第三者の助けを期待したことはなかったし、気まずいのをグッと堪えて一緒にいれば、次第に打ち解けていけた。ような、気がする。



縁あって、なんて言うほどのことじゃないだろう、と思う人もいると思う。


でも、友達になることも、恋人になることも、就職や転職といったイベントも、他者との出会いがあるからこその出来事で。




出逢う筈のない世界で僕らは巡り会うんだから。




奇跡みたいな縁だと思う。


そして奇跡みたいなご縁は、自分自身が頑張らないと生まれないんだと思う。


「この人が困っているときに、自分の縁を活用して助けてあげたい」と、思わせる人間でないといけない。

縁が生まれるのを待つんじゃなくて、縁を結んでもらえるような人間であることが必要なんだと思う。


それが、縁を結ぶのが、教員の仕事になっているなんて。



何だか寂しいものがある。




自分が今、奇跡みたいなご縁が生まれるかもしれない瞬間を目の当たりにしているから思うのかもしれない。


非常に個人的な感想で、私的な出来事ではあるけれども。

これが彼らにとって素敵なご縁でありますように、と願う。



私自身の話ではないから抽象的にしか表せないけれども、こんな文章でも、読んで下さった方がいたとしたら。
それも、私にとっては、奇跡みたいなご縁。


そういうものへの感謝を忘れずにいられる人間でありたいなぁ。


そして、「困っているなら助けてあげるよ」と言ってもらえるような縁を結べる人間であれるように、精進していかなくてはなぁ。





よし。
明日から11月!お仕事頑張ろう!