【権威とは、世界への主権を取り戻すようなこと】
公開セミナー【水瓶座の時代のためのフナ】の6回目では、フナの原則の6番目MANAの力を皆で体験した。MANA(マナ)とは、ハワイの言葉で権威というような意味だ。
それは、世界に対する主権といったものだと言える。自分の現実、自分の世界がどうであるかを、自分が決める権利。
自分の世界が王国のようなものだとして、
自分自身がその国の王であり
女王であるというようなことだ。
そうしたことは、自己中心的なことのように思えるかもしれないけれど、実はこの力は誰でも生まれながらに持っている。
しかし、現代に生まれ育った私たちは、社会に適応して生きていくために、この力があることを忘れさせられていくのだ。
親とか先生とか学校とか会社とか政府とかが、自分の世界を支配する権限があり、自分にはないかのように思い込まされていく。
自分がどういう人間なのか、どうあるべきなのか、何をすべきなのか、そうしたことは、社会の上の方で決められていて、自分はそれに従うしかないかのように思い込んでいる。
しかし、まさにそのように、外で決められたことに従うしかないと私たちが思っているから、外の力に支配されてしまうのだ。
第5回のALOHA(アロハ)のセミナーのときに、ハイヤーセルフと繋がって、自分のオーラを丸く大きくするワークを皆でやったのだけれど、ああいう風に自分の中心からオーラのエネルギーがしっかり出て、オーラが丸く大きくなっていると、実は私たちはどんな力にも支配されない。
これは、実際に体験してみないとなかなかわからないと思うけれど、オーラがしっかりと大きくなっていると、別に何もしていないのに、まわりの人たちが敬意を示して道を譲るようになるのだ。
何も言っていないのに、望んでいた通りに状況が動いていくこともある。そうしたことを体験すると、これまで私たちが支配されていたのは、実は私たちがオーラを小さく縮めてしまっていたからだということがわかる。
その意味で、私たちは自分から外の権力に支配させてしまっていたのだ。
これまで私たちは、三次元のピラミッド型支配構造の中に、自分をはめ込むようにして生きてきた。ピラミッド構造の中で、自分はどの位置にいるのかが、自分の存在価値であり、その中で上へ進んでいくことが、進歩であり成長だという価値観で生きてきた。
まさにそれが、ありとある人生のドラマを生み出してもきたのだけれど、その中で私たちは、本当は自分自身に自分の世界を決定する力があるのを、忘れて生きてきた。
それで、まずは、自分の状態を自分で決める力があるということを知るために、ダイナマインドというカウアイ島のカフナのサージ・カヒリ・キングさんが考え出したセルフ・ヒーリングのメソッドを皆でそれぞれに試してみた。
たとえば頭が痛いのを治そうと思ったら、まず両手の指をつけて球の形を作り、「私は今、頭が痛い。でもこれは変わり得る。
私は頭の痛みが消えるようにする」と自分に言う。それから、胸骨の上を7回タッピングする。
親指と人差し指の付け根にある合谷穴(ごうこく)というツボを左手と右手両方7回ずつタッピングし、首の後ろの大きい背骨の下にある大椎(だいつい)というツボを7回タッピングする。
そうしたら、また両手を合わせて球を作り、頭の上から息が入るイメージで息を吸い、足から息が出ていくイメージで息を吐く。
要するに、意識で自分の状態を変えると決めると、身体がその通りに動くという原理を使っていて、それにタッピングや呼吸法で身体の力を抜くことと、手でシンボルを作ることで、意識を集中させることが組み合わされているだけだ。
これはやってみると、たいていの場合、驚くほど速やかに問題が消え去ってしまうことがわかる
。このメソッドは、身体の問題だけではなく、心理的な状態にも使うことができる。不安感とかイライラした気分を変えたりもできる。
私たちは、身体のどこかが痛いとか、何かの問題があるというとき、それは自分では変えようがないと思っている。自然に去っていくのを待つか、薬みたいなものに頼るしかないと思っているのだ。
だけど、実は誰にでも、自分の身体や心の状態を自分で決める力がある。ダイナマインドは、そのことを思い出させてくれるメソッドだ。
それから、自分が自分の世界の王であり女王だということを思い出すために、ハイハートを開いてオーラを大きなきれいな丸にしてから、頭の上にある第8のチャクラを開いて、光の玉のようにして、それを王冠のように頭に載せているのをイメージしてみることにした。
ハイハートのところの、背中と胸の間のあたりに、硬いつぼみがあるのをイメージして、そのつぼみが花が咲くように大きく開いて、それが身体を包む大きな丸いオーラになるのをイメージする。
それから、頭の上に光の玉が乗っているようにイメージする。その玉の真ん中が第8のチャクラの中心で、ハイヤーセルフ、宇宙意識とコンタクトする意識だ。それが、王冠のように頭の上に乗っている。王冠とは、親あるいは神から受け継いだ権力の象徴だ。
映画「ローマの休日」で、オードリー・ヘップバーンが演じた王女は、召使いたちに子供扱いされて、言うなりになっていた。
ローマを訪問したときに、従うだけの生活が嫌になって、ある夜こっそり宮殿を抜け出して、自由な人間として数日間暮らす。その間に新聞記者に恋をして、大人になる経験をするのだ。それから彼女は、自分から宮殿に戻っていくのだけれど、そのときはもう召使いの言うなりになっている王女ではなく、堂々として態度で、召使いたちに命令し始める。すると召使いたちは、王女を言うなりにするのを止めて、王女に従うのだ。
MANAの力を取り戻すとは、そうしたことだ。これまでは人の言うなりになっていても、自分が自分の世界の女王だということを思い出すこと。そのときには、相手を批判したり、攻撃したりする必要もない。ただ背筋を伸ばして、これからはこうしてください、と言えばいいのだ。
ちゃんと身体の中心からしっかりとオーラが出て、自分の軸から出ていなければ、相手は敬意を示してくれる。
MANAの力を長いこと使っていなかったために、自分の世界が人に踏み込まれて、ボロボロに荒れていることもある。「いばら姫」の物語で、王女が100年の間眠っていたために、城がいばらにおおわれてしまうようにだ。しかし、王女が眠りから覚めると、王国は再び元のようになっていく。
オーラを大きく丸くして、第8チャクラの光の玉を頭の上に王冠のようにのせたら、その状態で自分のまわりの世界を見て、変えたかったら思うように変えてみるという瞑想を、皆でやってみることにした。
そのときに、「ローマの休日」の王女のように、これまで支配してきた人たちに、女王として命令してみるとか、あるいは「いばら姫」の王女が目覚めたときのように、荒れている世界を新しく生まれ変わらせるイメージを作ってみてもらった。
主権を持った王あるいは女王の力とは、人を無理矢理に自分の意志に従わせる力ではない。王や女王の権力とは、つまりは国民を幸せにする責任を追っているので、国民が信頼して従ってくれることから来るのだ。
皆が幸せになるように考えて、提案すると、国民は信頼して従ってくれる。そういう力だと言える。
私たちは、自分のオーラを大きく丸くするとき、その範囲を自分のものとして、心地よいようにする責任を負う。だからこそ、その範囲を自分の意志に従わせることができる。あるいは、その範囲が信頼して意志に従ってくれる。
自然と共に生きる世界を作ってみたという人もいたし、税金が上がって生活が苦しくなっているので、皆に炊きたてのご飯を食べさせてみたという人もいた。皆、額の上の方から光が斜め上に出ているようなオーラに変わっていて、堂々として穏やかな表情になっていた。
これが、MANAの力なのだ。
まわりの世界に対して自分が主権を持つと、不思議と人は自分勝手になることもなく、自分だけが得をするようなことを考えたりもしない。
人に支配的になるわけでもなく、相手に自然に敬意を持ち、まわりに調和ができていく。
つまるところ、人を陥れたり、自分勝手に支配しようとする人は、そうしなければ自分が自由になれないように感じているからなのだ。
こういう人は、だいたい自分の軸から外れて、前のめりになっている。
身体の中心からしっかりと力が出てオーラが丸くなっていると、人と争う必要もなく、思い通りの世界がまわりにできていくのだ。
それで最後に、まわりの人たちや世界中の人たちを、ハイハートを開いてオーラを丸くして、頭の上に第8のチャクラの光の玉をのせることにした。水瓶座の時代になって、私たちはこういう風にそれぞれが自分の世界に主権を持つようになり、だから争いも世界から消えて、調和ができていくのだと思う。
それぞれが自由に生きていながら、たがいに敬意を持っているのでぶつかり合うこともなく、全体として大きな調和ができていくのだ。
Chihiro Sato-Schuhさんの投稿より








