あなたは苦しい時、何を思いますか?
たとえば愛する人の命にかかわること。自分の病。大切な関係が壊れそうな時。仕事がうまくいかない時。
そんな時、あなたも私と同じ日本人ならこう思ってしまうかもしれません。
運命だから。宿命だから。家系だから。そういう巡り合わせだから。
どれも違います。気づいてください。どれも、自分でコントロールできない範疇に原因を見つけようとしているということに。
農耕民族の日本人は太古の昔から、自分ではコントロールできない天候に人生を左右されて生きてきました。不作で生活がままならない、天災で家族や住居を失ってしまう。
日本人は諦めることが得意です。ありのままを受け入れるという名目で、実質、諦めることを覚えたのです。なぜなら自分ではコントロールできないことがあることをよく知っているから。
そこで、自分ではどうしようもできない自然を畏怖し、自然の中に神を見て、山や海に神を祀ってきました。
でも!知ってください。
私たちを恐れで支配しようとする神は本物ではありません。
本物の神様は、愛する私たちを愛で包むのです。
私たちを愛で充たすことで、本物の愛とはこれだ、と教えてくれることで、私たちは安心し、幸福を覚え、私たちも周囲の人たちを愛で満たしたいと思うのです。
自分が愛されていることを体感できると、自分の中に人を愛する余地がうまれ、同じ愛を人に与えたい、分かち合いたいと願うものです。
本物の神様は、私たちを支配しません。コントロールしようとはしません。私たちが生き生きと無邪気に幼子のように自分たちらしく生きることを、神ご自身の歓びとしてくださっているのです。神は私たちをロボットのように従順させたいわけではありません。私たちは意思、自由を与えられています。
本物の神様を受け入れようと決めることも私たちの自由意志です。
「わたしはあなたが私を受け入れる前からあなたを愛した」
「わたしが先にあなたを愛した」
これは聖書に記されている神の言葉です。
神様が私たちに願うのは、平和です。繋がりです。私たちは周囲の人たちとの繋がりを通して、神様からいただいている愛をみんなで分かち合ってほしいと願っているのです。
季節ごとの厳しい自然と共存してきた日本人は、世界の中でもストイックな民族性として知られているそうですね。
我慢が美徳。幸せは簡単には手に入らない。苦労して得た幸せにこそ、より価値がある。
そう刷り込まれていませんか?
誤解しないでくださいね。苦労を否定しているわけではありません。
ここで言いたいのは。。。
幸せになるためにあえて自分に労苦を課す必要はないということです。
神様は言います。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたを休ませてあげます。
神様は、私たちが幸せになる道をご存知です。私たちの成長の道も開いてくださっています。
私たち一人ひとりのために、善い計画を備えてくださっている、それが私たちの神様です。