こんにちは☀️さやかです🦖
まずは、2024東女サッカー部を1年間応援、サポートしてくださったOGの方々、保護者の方々、ご友人の皆様、また、1個上のりなさん、みずきさん、ゆうさん、ちーちゃん、おしりちゃん沢山の試合の手助けをして頂き、本当にありがとうございました。
そして、あっという間に過ぎ去った4年間の大学サッカー生活が本日をもって引退という形で終わってしまいました。
1年の4月「東女にとって必要不可欠な選手になる」この宣言を常に忘れず4年間過ごしてきました。
キャプテンとして先頭に立つ為に成長出来たかと言うと人間面もサッカー面もめっちゃ成長した!って言うほど、自分に自信をもてて、自分のサッカーが1番好きになったのは挫折をポジティブに変えてきたからです。
これまでのサッカー人生を電車と夜中のテンションで書いているので、長くて拙い文章ですがよろしくお願いいたします!
私がサッカーを始めたのは、車屋さんのポスターを見つけたお母さんが「行ってみなよ」と背中を押された小4の時。才能がなく伸び悩んでた週3日のテニスと、初めてで楽しいことだらけの週2日のサッカーのスポーツ大好き少女の毎日。しかし、どちらも続けたかった小5の時に経済的にどちらかを選べと言われた時に悩んで悩んで悩んだ末、サッカーを選んだこれが私のサッカー物語の始まりです。小6最後の年になっても試合に出れないのが初めての挫折。夢に見た小6のかっこいい先輩たちみたいに試合出て点とる!当日FWだった私にはこんな妄想を描いてたのはただの妄想であって、なかなか試合に出れない毎日に小学生ながら悔し涙を流す毎日。リフティングは100回しか出来ないのに300回と嘘ついて卒団した小学生の私は、地元の全国大会出場するクラブチームに入り、そして反抗期に入りました。
中学生、1年生の時に見た全国大会の舞台、大阪に行って同期もベンチに入って戦う中、慣れない応援歌を大声で泣きながら歌う。そして私は、GKに選出され、3日目にして手首を骨折し、またFPに戻った。これも私の分岐点。GKを辞めた後の中2も、関東大会で、毎日一緒にいた親友と呼べる同期がフィールドに立っていた。この時私の力不足と、努力不足を感じた。この日から、狭いベランダでとにかくドリブル。そして登下校は全部走って、中3の時関東大会のフィールドにようやく立てた。この時の喜びとワクワクと緊張は今でも忘れられない私の盾になっている。絶好なチャンスを外して1次敗退したのも今では私のモチベーションとなっている。こんな悔しい思いをしながらも私は、初心者の選手が9割いる高校女子サッカー部に入った。
中学で沢山の高校からお声を頂いたのですが、寮生活の怖さ、そして、自分のサッカーに対する自信が無くなった中3の時、監督の言葉も押しのけて入った実家からすぐ近くにある高校の女子サッカー部に入部しました。そこでは、中学の時のように上手くいかない日々、まずは同期達にサッカーを教えなければいけない日々、そんな日々に私の体育教師の夢を開かせた。入部して3ヶ月後修徳に0-16、その翌年、文京に0-9、その数ヶ月後村田に0-11そんなチームにいた私はキャプテンを任されて、サッカーに対する考えの食い違い、また新しい初心者の子を育てる、そんな日々に毎日泣いて、自分から引っ張らなきゃいけない責任感というものに初めて出会った。キャプテンってなんのためにあるのか、キャプテンとは何をしなければいけない0からのスタートしたキャプテンは、きっと尖ったキャプテンで最悪だった。でも、努力は劣らず、サッカーを心から愛してるんだって再確認出来た場所が高校で、リーグ昇格(最終戦はゆいかと戦った!)を果たし、絶対にサッカーなんて大学でやらない、軽音部に入ろうと思って大学に進みました。
大学で一番最初に探した部活は、軽音部やバンドサークル。体育大にはそんなのなくて、次に見つけたのは手話サークル、次に硬式テニス部とサッカーから目を背けてた4月。その時、あいりに出会って、サッカー部に1回行ってみた時、ロッカーではしゃいでる4年生を通り過ぎ、1年生のロッカーに着いた時すでに1年生が準備終わってる時に着替え始めると、え!サッカー部!?ダンス部??って囲んでくる1年生に圧倒。最初の練習は雷と大雨の芝広で、こんな中やるの?って思ったり、半年ぶりなのに、ドリブルで走ってすごいきつい日だったのを今でも覚えています。こんな辛いなら入らない。髪染めれないし、ピアス付けられない、ネイルできない、バイトも全然入れない、朝練早い、サッカー部入らない。って決めてたある日、みゆう経由で、りなさん達学連に呼ばれて、写真撮らせて!って言われ、赤髪で大丈夫かな?髪結ばなきゃかな?メイク取らなきゃかな?の中カンカレ登録写真を撮られ、それがサッカー部の入部するきっかけでした。この時写真を取られなかったら東女サッカー部である私はいませんでした。それから1週間はサッカー部に行かず、遊べるだけ遊んでから正式に入部し、黒髪に戻し、すっぴんでサッカーをする日々が始まりました。
1年生は、ベンチに入る入らないの狭間をずっと行き来してて、都リーグしか出れない前期、初めてのサッカー部辞めようかなと決断した時期で、チャンスをモノに出来ない苛立ちと、先輩たちに追いつかないもどかしさ、自分は必要じゃない。そう感じた時期。またカンカレベンチに入れなかった強く辞めようと思ったある日、くれあさんに、「この悔しさは自分を強くしてくれるからね。」の言葉に押され、あ、自分努力してないもっと強くなんなきゃと思った夏。絶対この夏で強くなると決めて走り出し、カンカレデビューした後期順天戦、ただ走り回ってるだけの私を強く叱ってくれるあやかさんのもと、走り続けたけど、なにも収穫できず、なにも爪痕残さず終わってしまった。このあと、何度かカンカレでチャンスを頂くが、自分なりの精一杯と思ってても何も残ってなかったって感じたのが、入れ替え戦の立教戦で、みんなが負けて悔しい降格して悔しいなか、自分は試合に出れない悔しさで落ちていた。
でも、大好きな4年生が卒業してしまい、今年こそ!って心に誓った2年生
2年生自分の精一杯に満足しない。他の人からも評価される人間になるために走った。でもこの時入学当初から体重増加プラス6キロその重りが重くて、でも、誰にも負けない身体が出来上がった。次前十字やるのはさやか、そんな言葉も3部の相手も吹っ飛ばして、とにかくガムシャラにボールに突っ込んでった。でも自分の強みは何か分からなくなっていった。そんなときふきに「圧は努力じゃつかない、だってふき圧ないでしょ?」の言葉に、自分の強みは〝圧〟なんだ、この強みは自分に備わってる、やらなきゃ行けない事なんだって初めて気づいた2年生。自分だけに必死な2年生の私に声をかけてくれたみうさんに、「さやかはもっと周り見れるようになった方がいい」と声をかけてくれて、なんでそんなこと言ってくれるんだろう?と思った追いコンの日、みうさんにキャプテンになれると書かれた時ははてなマークと共に、どっと責任感がのしかかった日が追いコンでした。
そんな責任感がついた3年生。なかなかスタメンになれず、結果出してんのに、走ってんのに、怪我してないのに、そんな苛立ちと、自分へのサッカーに対する自信と愛が夏消えた。後輩に取られるスタメン、先輩が移動してくるサイドハーフもう勝ち目ない。どうすればいいの?そんな悔しさに私は初めてサッカー部辞めようかなと親に相談した。母は、「絶対やめるな」の一言、なんで?こんなに必要とされてないのに、東女サッカー部でどう戦えばいいの?何を期待されてるの?全部が嫌になって、自分のサイドハーフとしてのプレーが無くなった。圧だけでは戦えない。走るだけでも戦えない。自分の長所がどんどん短所に変わっていく日々に嫌気がさした前期は今までのサッカー人生で1番つまんなくて、やる気のないサッカーだった。でも夏オフ前のリーガ、りなさんから「さやかは縦にもっと勝負するべき、逃げるな、目の前の相手にだけ勝てばいい、オフはオフゆっくり休んで」この言葉にほんとに背中を押された。夏オフ後自分のサイドハーフとしてのプレーをゼロから始め、吸収する毎日、見たことない海外のサッカーJリーグWEリーグ見て、ウイイレをはじめて、インスタ、ティックトック、YouTube、Twitterのオススメ欄はサッカーだけ。サッカーについて勉強しよう今の自分だけの知識じゃ勝てない。初めてサッカーを見て勉強した。この時の知識は今の私を創り出す第1歩だったなと思う。後期が始まって、最初の大勝負vs城西。アップのクロスをあげる時に、しのさんに「さやかの今週のコンディションの良さは知ってる。後半から行くから自信もって」この言葉のプレッシャーは1番重くて一番嬉しかった。結果1ゴール1アシスト。やってやったって大学入って初めて感じた。私は自信に満ち溢れた、今のポジティブナルシストさやかちゃんが出来上がった。その後のvs日女、こんなにも調子のいい私もスタメン落ちして、ほんとに悔しかった。でも同点で引き返した後半絶対革命起こしてやるそんな気持ちで、隣にはベンチながらずっと走って声掛けしてくれるあやねっちと共に走った。1アシスト1ゴール。これからはどんなサッカーをしても自分が1番最強。このまま行けば2部も怖くない、うちならできる試合前のルーティーンに取り入れて戦い続けた。
1個上が引退した冬オフの面談の日、しのさんに「キャプテンやらないか」と言われた時即座に「自信はありません」と言った。それは試合に出れてない自分がプレーで引っ張って自分が先頭で2部に残留させれる覚悟がなかったから。でもしのさんにプレーで引っ張るだけじゃないと言われた時、そして同期を想った時、自分ならできる。って決め、キャプテンになった。この時自分は1年生の時に宣言した〝東女にとって必要不可欠な選手になる〟が達成した1つかなって感じた。でも自分のキャプテンは、みんながキャプテンとしてみんなて引っ張って欲しい、私頼みにしないで、全員が主体性をモットーにカンカレ2部の舞台の準備をしていた。なかなかうまくいかない日々はあったものの、みんなが楽しそうにサッカーする姿は、自分もサッカーに対して楽しいと思える瞬間だった。前期の初戦、大東戦1-9。2部の力に圧倒された。このままじゃだめだと全員が感じた。前期は掴めないまま終わって、夏が始まった。夏合宿で強くなったと感じた。そして、夏明け、中央学院戦、初めて2部を掴んだ気がした。このまま行けば!と思った東海戦、私は前十字靭帯断裂をした。このままサッカーをやるか、辞めるか、でも断裂しても笑い続ける泣かないことだけ決め、そして、サッカーを続けることを選んだ。腫れが引かずにびっこ引く1ヶ月、どんどん左足だけ筋肉が無くなっていく、大好きな仲間とサッカーできない日々がほんとにつまらなくて、でもみんなが成長していく姿に嬉しくて、切なくて、見たくないみんなのサッカーをひたすら見る毎日はキツくて、でもキャプテンとして、みんなを支える番この立ち位置は決して楽じゃないと知ってた、なぎ、ほのと支えてあって語り合ってこの時の3人の口癖は「早くサッカーやりたい」みんなのことを支えていくうちにどんどん芽生えるサッカー愛。怪我をしてなかったらこんなに愛せなかったもっと奥底にあるサッカー愛を残り2ヶ月の時見つけた。前十字同期のほのかを差し置いて入れ替え戦に向けて復帰した。
なかなか自分のサッカーを思い出せず、空回りする。でもみんなが、できてるって気持ち上げてくれる、その気持ちに絶対答えたくて、膝に脅えながらプレーする日々は、今までにない膝の痛み、心の痛みに耐えながら、プレーしてもやっぱり下手くそで、怪我をしなければと思うほど、左膝にウザイしか思わなかった。その時私の心の支えになった歌が【何度でも/DREAM COME TRUE】10001回目は何か変わるかもしれない。自分のやってきたサッカーを信じてみんなと練習をかさねた。
入れ替え戦の日。痛み止めと、ふきのテーピングで挑んだ後半途中。るるがPK決めた時、いける。うちらなら行けると思った。自分も小学生以来のFWで、絶対さやさんみたいなFWでみんなを引っ張るそして自分が点決めて勝つそんなことしか考えてなかった。それでも追いつかない膝。膝に気を使うたび、みんなにのしかかる負担。本当に申し訳なかった。しのさんの最高な誕生日から、最悪の誕生日にしてしまった。断裂しながらも出してくれたしのさん、それを受け入れてくれたみんな、走る度に応援してくれる観客の方々、ほんとに申し訳なかった。
当日は、実感がなくずっと泣くほど泣けなくて、次の日に沢山泣いた。夜、泣いて涙かれるくらい泣いて悔しくて連絡したのが、去年のキャプテンりなさん。(あの時は、真夜中に失礼しました、)りなさんの言葉はやっぱり偉大で、私を前向きにしてくれた。本当にありがとうございました。
この敗戦、私はサッカーを続けることを決めた。
膝を怪我して諦めかけたサッカーの道をまた開かせたのはこの入れ替え戦の敗戦だった。諦めきれないサッカー。まだまだ私は追い続ける。そして、私の大好きなサッカーを次は私がもっと楽しいものにする。私の10年後楽しみにしててください。私が女子サッカー界を少しでも変えるビッグな人間になった時また東女に戻ってきます。この悔しい想いをこれからの後輩にさせない為に。
ここまで5000文字以上の文章を見て頂きありがとうございます!!
まだまだ続きます。
【家族へ】
12年間のサッカー生活を支えてくれて本当にありがとう。自分の心をずっと晴れさせてくれる妹、女社長で辛い中サポートしてくれる母、一言も喋らないのに陰でずっと支えてくれた父。この恩は私が女社長になったらたんまりと返します。あとはお手紙に全て書きました✉️⭐️
【後輩達へ】
こんなキャプテンと共に東女を作り出してくれてありがとう。
最後にきついこと言うけど、自分で限界を決めないで。みんなはまだまだできる。そのできる過程でぶつかる壁はすごい高いものかもしれない。その壁に絶対に目を背けないで、乗り越えたらみんなが見える世界はどんどん広がる。私が証明した。次はみんなの番。2部で戦わせれなくて、ほんとにごめんね。大好きだよ。
苦しくなったらいつでも連絡待ってるから。
学連の仕事も聞いていいからね。
【OGの方々へ】
OGの方々の背中はほんとに大きくて、偉大で、みなさんみたいになれるか不安だった4年生でした。雲の上の存在の皆様をまだまだ自分もOGとして追い続けます。
そして、今年も沢山の試合、練習に来て下さりサポートしていただきありがとうございました。
これからの東女もよろしくお願いいたします。
【しのさんへ】
4年間本当にありがとうございました。4年生になるまで、中々伸びない私をずっと見捨てず、毎日指導してくださるしのさんは、私の人生最高の監督兼母です。しのさんのもとでサッカーできて、そして、キャプテンができて本当に幸せでした。
そして、断裂してもサッカーを諦めなかったのは私だけじゃなかったこと、ほんとに嬉しかったです。
来年の最高な誕生日は、後輩たちに託しました。
最高なインストラクターになったら連絡します。
【同期へ】
いつも周りにいるのは大好きな同期。自分たちの口癖は「この同期でよかった。」私の学生最後のサッカーを楽しいものにしてくれてありがとう。別々の道で、頑張って、立川集合ね!また王様ゲーム出来るように、まだ結婚しないでね。
応援していただいたたくさんの方々本当にありがとうございました。東女サッカー部はまだまだ成長し続けます。
これからも東女サッカー部をよろしくお願いいたします。