*テレビドラマ研究*record* -17ページ目

*テレビドラマ研究*record*

テレビドラマについて書いていきます(^ ^)

こんにちは!


最近ドラマが溜りに溜り、

毎日ハードディスクの残量と戦い続けてます。

花子とアンを必死で昨日見ながら、

記事をあげました。


やっとアンが大人になりました笑

はやく色々見ないと。


さて、今日はこの間読み終えた

「凍りのくじら」について思ったこと。


忘れないように書いておこうと思って。


というか、今更かよっていうチョイスですよね笑

いいんです。

今更なのはわかってるんです。


ではいきます。




凍りのくじら (講談社文庫)/講談社
¥843
Amazon.co.jp

○○好きな言葉○○



ダメなカードというものは、

それがろくでなしであればある程、

手元にある最中はそうとは気付かない。

それで勝負が打てる気がしてしまう。


カードの本質がわかるのは、

私の手を離れ、

テーブルの上で裏返されてからだ。


誰も拾わないし、相手にしない。


あれほど価値があると信じ、

他のプレイヤーが羨ましがるに違いないと思っていたのに、

横の勝負相手が耳元にそっと囁いてくる。


『そのカード、捨てたほうがいいと

 あなたに忠告すべきか、

 もうずっと皆で迷っていたんですよ』


本当にざまぁない。









家族というのは窮屈で、時として残酷だ。









「どうしてそうなるのかわからないという原理、

 矛盾だらけの思考で

 人はあっさりと動く」







○感想○


衝撃だった。

主人公の持つ「少し不在」という感覚がすぐに理解できた。

なぜなら自分もそうだと感じたことがあったから。


思春期のころや女の子同士の友人関係において、

「少し不在」の感覚を感じない人間なんていないのかもしれない。


皆といてもどこか上の空で、

時々俯瞰的に自分を見てしまう。


私は何が面白くてこんなに笑って、

そして何におびえてるんだろうって。


私はこの感覚はなんなんだろうと思っていた。

特に答えも出ないままに、

自分って何なんだろうと考えたこともあるし、

周りに合わせてうまくやってのける、

そんな自分の器用さが嫌いでもあった。


いつも笑って人に合わせて、

本音も言わずに難なやり過ごす。


でもそのたまりにたまった鬱憤やいら立ちを

吐き出す相手が私にはいた。

私は家族に吐き出し、そして甘えた。

そして思春期が過ぎ、

いつからかそんなことも考えなくなっていた。



でもこの主人公は、

そんな家族の間でも「少し不在」だ。


藤子先生の


「SFはサイエンス・フィクションではなくて、

 少し不思議な物語の

 SF(Sukoshi Fushigi)だ」


という考えは有名だが、

この物語は人間の日常のSFを取り扱っている。


そしてドラえもんの世界観を崩すことなく、

日常の中に取り入れていることが衝撃だった。



クドカンの「未来講師めぐる」も、このテイストだが、

それよりかは不思議さがない。

後半に差し掛かるにつれて、

ああこれはSF作品なのかもしれないなと感じられる。

それまでは何も感じない。

その仕掛けが秀逸だった。


本当に名作だと感じた。