こんにちは!
最近ドラマが溜りに溜り、
毎日ハードディスクの残量と戦い続けてます。
花子とアンを必死で昨日見ながら、
記事をあげました。
やっとアンが大人になりました笑
はやく色々見ないと。
さて、今日はこの間読み終えた
「凍りのくじら」について思ったこと。
忘れないように書いておこうと思って。
というか、今更かよっていうチョイスですよね笑
いいんです。
今更なのはわかってるんです。
ではいきます。
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○○好きな言葉○○
ダメなカードというものは、
それがろくでなしであればある程、
手元にある最中はそうとは気付かない。
それで勝負が打てる気がしてしまう。
カードの本質がわかるのは、
私の手を離れ、
テーブルの上で裏返されてからだ。
誰も拾わないし、相手にしない。
あれほど価値があると信じ、
他のプレイヤーが羨ましがるに違いないと思っていたのに、
横の勝負相手が耳元にそっと囁いてくる。
『そのカード、捨てたほうがいいと
あなたに忠告すべきか、
もうずっと皆で迷っていたんですよ』
本当にざまぁない。
家族というのは窮屈で、時として残酷だ。
「どうしてそうなるのかわからないという原理、
矛盾だらけの思考で
人はあっさりと動く」
○感想○
衝撃だった。
主人公の持つ「少し不在」という感覚がすぐに理解できた。
なぜなら自分もそうだと感じたことがあったから。
思春期のころや女の子同士の友人関係において、
「少し不在」の感覚を感じない人間なんていないのかもしれない。
皆といてもどこか上の空で、
時々俯瞰的に自分を見てしまう。
私は何が面白くてこんなに笑って、
そして何におびえてるんだろうって。
私はこの感覚はなんなんだろうと思っていた。
特に答えも出ないままに、
自分って何なんだろうと考えたこともあるし、
周りに合わせてうまくやってのける、
そんな自分の器用さが嫌いでもあった。
いつも笑って人に合わせて、
本音も言わずに難なやり過ごす。
でもそのたまりにたまった鬱憤やいら立ちを
吐き出す相手が私にはいた。
私は家族に吐き出し、そして甘えた。
そして思春期が過ぎ、
いつからかそんなことも考えなくなっていた。
でもこの主人公は、
そんな家族の間でも「少し不在」だ。
藤子先生の
「SFはサイエンス・フィクションではなくて、
少し不思議な物語の
SF(Sukoshi Fushigi)だ」
という考えは有名だが、
この物語は人間の日常のSFを取り扱っている。
そしてドラえもんの世界観を崩すことなく、
日常の中に取り入れていることが衝撃だった。
クドカンの「未来講師めぐる」も、このテイストだが、
それよりかは不思議さがない。
後半に差し掛かるにつれて、
ああこれはSF作品なのかもしれないなと感じられる。
それまでは何も感じない。
その仕掛けが秀逸だった。
本当に名作だと感じた。