科学的に証明されているモノなら安心とか

エビデンスがないから信用できないとかって

なんかアカデミックで賢そう


でも、たとえば食品添加物

安全が確認され国が認可してる、って

あくまで試験管の中での話

ラットに試した話

数ヶ月くらい健康な人間で試した話

であって

数十年ためしたらどうなる?

プラス喫煙してたらどうなる?

本人じゃなくて子供や孫に遺伝する可能性は?


このあたりは研究の要請がないとノータッチでしょう、あと食品メーカーと揉めますし。


『安全が確認されている』

てのは単品、単独、短期での話で

なにかと混ぜたら?遺伝は?長期なら?の

視点はほぼ無視で『安全』と言ってる。


じゃぁ何か起きたときに責任をとらせたらいいって

それも無理で、よっぽどハッキリとした因果関係を証明できるものがないと。

しかもこれだけ日常に溢れかえってる多種多様な化学薬品とその組み合わせの中から原因特定するのはほぼ不可能。


博士!サイエンス!エビデンス!論文は!?ソースは!?

これだけでうまく行くなら、

もうとっくに世界平和、病気も少なくなってもっと素晴らしい地球になってるよ。

人間は結局のところ感情の生き物だから

どんなに科学的根拠に基づくルールを作ったところで、民衆の心にほんの少しでも違和感があれば

いつかそのルールは保てなくなる か

ぜんぜん別のところに不具合が出る。

修復にその場しのぎの絆創膏をペタペタ貼って

どんどん汚くなり、

別のところに出た不具合の原因はお門違いなモノへなすりつけ、

どんどん複雑化、それがどんどん常態化、どんどん収拾がつかなくなって

誰が敵なの!?どれが悪いの!?なんでこんなに世の中終わってるの!?

と憤ったのちに

虚無。 どうでもよくなる。


ババしかない

ババ抜きやってるみたいな世界

そんな世界で

今私たちに出来る現実的なことがあるとするなら

『より綺麗なババをひくこと』

それこそ人それぞれの美的感覚によりけりだから

ほかでもない自分が、自分だけが納得できる

『この中では消去法でこれが一番』と思える

ババを選んでひくこと。

この選択には

科学的根拠や統計学的なデータなどはあてにできない、あてにならない。

あてにするやつは自分の人生を自分で生きること辞めたんでしょう。


自分の心の声は

自分の直感。

直感は今までの経験で培ってきたもの

頭では忘れちゃってることも全部中に残ってる

ひょっとすると自分のだけじゃないかも

DNAに刻まれてるのかも

ご先祖様や人間の歴史そのものが刻まれてるかも

エビデンスもソースもない

それら全ての叡智を結集させて

パッと一番最初に心に浮かんだ選択肢こそが

『直感で選んだもの』


自分でちゃんと選んで生きろ、自己責任がどれほど楽か。

会社も政治も国も世界もだれも責任とってくれない

だって責任なんかないんだもの。

責任とらせたきゃ、十分な証拠と根拠集めなきゃ。

ほぼ不可能。


自分で考えて選択できる人が増えれば

勝手に悪い会社は淘汰される。

科学的証明はされてなくても、直感や心や身体の声に従って生きる人が増えれば

科学 医療 政治 司法 べちょべちょに癒着してるカタマリも弱体化する。