どうも~ ちろおとです。 お盆休み、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
私は、かかさん、娘が里帰りしましたので、独り優雅な「なら」でのお盆休みです。
毎日暑いですが、昨日、今日と、扇風機で過ごしました。
もともと冷房は苦手です。風があればなんとかなる方です。
それはそうと、前から、壷阪寺(真言宗:西国三十三所観音霊場第六番札所)にはぜひ、行きたかったのです。
「寺は壷坂、笠置、法輪・・・」(清少納言:「枕草子」) かの人もその霊験を讃えています。
また、かの藤原道長が吉野参詣のおり、ここに宿泊したという記録も残っているそうです。
いわゆる、ならの有名な寺の一つです。
いざ、出発!!
南に中街道を走れば吉野山。その行くすがらの壷阪の山に「壷阪寺」があります。
↓ 正面門と、境内全景(右)
↓ 壷阪仁王と、同サイズの下駄(右)
↓ 重要文化財の木造三重塔と、釈迦如来大仏(右)
↓ 八角造りのお堂(一説には日本最古の八角堂ではないかと言われています)
本尊の十一面千手観世音菩薩は眼病に霊験あらたかな観音様、目の観音様として全国各地から毎日多くの参拝者が訪れるといいます。
↓ 眼病封じに霊験抜群と言われる本尊と、天井の梵字(右)
大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれています『南法花寺古老伝』。
境内からは当時の藤原宮の時期の瓦が多数出土しています。持統天皇の埋葬にも関係があるそうで、藤原京とこの壷阪山は当時の都の朱雀大路がまっすぐ伸びたライン上にあるそうです。神秘的ですよね(元正天皇御祈願寺でもあります)。
↓ 千手観音と、鳳凰が掘られた壁版(右)
近世の壷阪寺は豊臣秀吉の弟秀長の家来本多利久(高取城主)や、高取藩植村氏の庇護を受けて発展したようです。
盲目の夫沢市とその妻お里の夫婦の物語、人形浄瑠璃『壺坂霊験記』というお話を初めて知りました。こうした眼病封じの由来は、日本最初の養護盲老人ホーム「慈母園」(社会福祉法人壷阪寺聚徳会@境内の中にあります)へと繋がったようです。
↓ 沢市の杖と壷阪霊験記の貼り紙(解説)
↓ 盲老人ホーム(境内内にありました)と、ご詠歌(右)
それにしても、ここは「すごく大きな仏様」がたくさん居てはるんです。
↓ 大仏さんの背中を、こんなにしっかりと見たのは、はじめてかも!
↓ 左肩(向こう側の肩)に、小さい仏さんがとまってる(見えますか)。
↓ 寝てはる(果報は寝て待て)!
↓ アングルを変えてみますた!
↓ 背中で語る
↓ こんなんは?
壷阪は、いい天気でした。本当に行ってよかった。おわり。ちろおとでした!
お読みいただき、ホンマにおおきに!
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ほな、また書くから、見たってな~ さいなら~