妻をやめました。

妻をやめました。

2016年、結婚生活を打ち切りました。

今までのブログも残しつつ、自分の気持ちを書いていこうと思います。

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発達の息子、、に限らず、親としては宿題に悩むことなどどこも一緒と言われそうだが。
宿題や、やるべき事、親との約束、親が口うるさく言うこと、そういうのって、一緒にいるんだもの、だんだん分かってくるものだと思う。

息子を見ていて、夫と同じようになってはいけない。と思うことのひとつに、
【1から100まで言わなくても分かるようになって欲しい。】というものがある。

夫は酷かった。
本当に酷くて、昔、昔の記事にも書いたことがあるが、私がこのパン屋さんに行くと必ず買うパンってのがあって、それはこの店ならこれ、この店ならこれ、みたいなのがある。
あれもこれもあれもこれもじゃない。
ひとつの店にひとつ。
そんなもんである。

それなのに、夫がひとりで買いに行くと、いくらお願いしても、こんな形のこんなで、とか、お店のこのあたりにあるからね。
と、どんなにか説明しても買ってきた試しがない。『お前これ好きやったことない??』か、『これかと思った』か、しまいには『分かるわけなかろが』と本気でキレる。

本当に本当に本当の話である。

だから頼まないし、なにかを頼んでもこっちがソワソワする。

私の【好きなもの】を覚えてはくれない。
私の【実家のルート】を覚えてはくれない。
最寄り駅の駅への曲がり角をいつまで経っても覚えられなかったし、
長男の幼稚園に入る細道も『ここに看板があったことない??』と言いながら必ず間違えるし、
私が出産した病院からの帰り道、門を出て右なのにいつも左に曲がり、私の母もうんざりしてた。
次の日も間違えたらしく、その次の日はさすがに間違えないだろうと思ったけどやはり間違え、次の日は先に『左だよ』と言えば『分かってます』と言ったらしい。

『そう、左ですよね、いつも間違ってすみません(笑)』だろ。
分かってねーーよ。

母は、私のギリギリを察したらしい。
これが毎日じゃキツいね。
と、母は、離婚に対しては早くからそうするならそうすればいいと思っていたらしい。


いやそんな話じゃなくて。
いや、そんな夫の血を継ぐ息子。
危険なのである。
難しい、というのかな。


それで、今朝の事。

登校前にランドセルを開け、宿題を確認したら、
ドリルはページを間違えて、
日記は見開き1ページなのに片面しか書いてなく、プリントの裏に毎日私と約束してる5問を練習するはずがそれもしていなかった。

ドリルは、毎回ページ数をここに書きなさい。と学校のやり方でもあるから書くように伝えているのに書いてなかった。
だから間違えた。

日記の見開き1ページなのは分かっているのに、わざと【こうでいいんだ】と自分論を押し通し、それで終わらせた。

漢字も同じ。
お母さんが居ないならやらなくていい。
それを通したんだと思う。


ひとつひとつに
これで合ってるかな??
と確かめれば、全てクリアし、出来ていたのに。

全てに対し、これでいい。
と簡単な道を選んだ結果がこれで、

じゃあ何のために私は毎日毎日毎日毎日、わざわざわざわざ横に座り一緒にやってるんだ。
仕事で居ないとこれなの??

どうしてお母さんならこう言うよな♪
これでいいんだよな♪
これで誉められるかな♪
って思えないんだろう。

悲しくて、もって行き場のないこの塊を息子の頬っぺたにぶつけた。
そして、それでも足りなくて日記帳で三回も頭を叩いた。

ギャーギャー反抗するでもなく、悲しそうにした息子の顔を見て、もうどうしようもない気持ちになった。

なんならギャーギャー騒いで、うるさい‼‼‼ってまた叩いて、ギャーギャー騒いで、早く行けーーー‼‼‼って追い出した方が良かったのに。


なんなんだろ。
もうダークなダークな気持ちでいっぱい。

きっとこれの繰り返し。
一生涯繰り返すのかな。


学ぶって難しいのかな。
息子に頑張ったねって言ってあげることもあるのに、心からいとおしいのに、だからこそ苦しい。

勝手にしなさい

とは言えない。
だって、私の子だもの。


夫が、
『ちいの好きなパンこれだったよな』
とか、

なんにもナビしなくても、スムーズにうちに送ってくれたり、駅に行けたり、幼稚園に送ってくれたり、病院からの帰り道を覚えてくれる。


けして難しいことではないと思うんだけどな。
だって、生活圏。
全くの知らない道を行くのではないのだから。



息子はたまに夫と電話をしている。
翌朝、息子が言った。

『お父さん、100万円の自転車買ったんだって』


はーーーーーー??????


あーーーーーー??

もう、魂が抜けました。

本当かどうかは知りません。
養育費は貰ってはいます。
ただ、そうですか。
としか言えない。


こっちは必死で必死で必死で必死で毎日じ毎日毎日毎日やってるのに。
100万円の自転車が買えて、自転車こいでトレーニングできる時間があるのですね。
良かったですね。
だからあなたは独身で居たらいいんです。


わたしなんて、市の手当てを貰い、保育園の補助をしてもらい、あとは仕事、あとは家事、子育て。
テレビを見ようものなら、スイッチを切られ、横で泣かれ、お茶をこぼされ、
大好きなお風呂だって、3人でひっちゃかめっちゃか。
シャワーで頭からかけてようが容赦なく、カランに替えられシャワーは止まる。

毎日毎日毎日毎日こんな日々なのに。


可愛くてたまんないふたりだけど、
こちらは毎日必死です。


100万円の自転車を買ったなんていう情報、いりません。
心が乱れます。


お前が離婚するって言ったんやろ。


そう言われるからね。
別にいいけど。


もう夫の事、考えてたら本気で苦しくなる。
もうすぐ離婚して半年。
早過ぎてビックリしました。

明日は祝日。
仕事の休みの唯一の水曜。
子供たちと過ごす(笑)

もうーーーー。
楽しみましょう。

はーーーーーー。
色々吐き出したい。
こんなときって何するのが一番なのかしら。






離婚をするということは、、、にイコールで、ついてくるこの現実。

子どもにとって父親が必要なことくらい分かってる。
けど、それを言うなら妻にだって夫が必要だ。

支え合う。コブクロの【永遠にともに】じゃないけれど、

共に歩き 共に探し 共に笑い 共に誓い
共に感じ 共に選び 共に泣き 共に背負い
共に抱き 共に迷い 共に築き 共に願い

このようなことを夫婦でするんだと思う。


仕事の帰り、また少しネガティブになり、いつか聞かれるであろう『なんでお父さんと別れたの?なんでお父さんがいないの?なんで?なんで?』。
これを考えるとものすごい強い針で心臓を突かれた気持ちになる。


けど、まさかの自分の気持ちがクリアになる答えにたどり着いた。

そう、

父親の居ない家庭より、
こんないがみ合ってる家庭であなたたちを育てていく事の方が間違ってると思ったの。

これが父親、これが家庭、これが夫婦と思ってしまったら、それは違うの。


だから、お父さんが居なくても、家族ってあたたかいんだよ。こうやってお互いを労い、支え合い、認め合い、正し、笑い、満たされ、好きでいる。
そんなことを一緒に歩みながら一緒に感じるの。


模範解答でなくても、私なりの精一杯の答えだ。

こうやって答えを導き、そうそう、、と自分を落ち着かせるのに、またすぐに波はやって来る。
そりゃそうだ。
離婚したという事は、そんな言葉ひとつで全てを納得させることなんて出来ない。


でも、こんなお父さんだったんだよって説明しようとすると、昔のあんな事やこんな事を思い出し、心が煮えくり返りそうで、それでも私が間違ってたの??と傷をえぐられる。これは本当にキツイ。


私は、お義母さんとも、離婚の話が始まってから一言も話していない。
まさかだ。

結婚生活の9年のうち、ほぼ8年、私は頑張ってきた。
うまくいってた方だと思う。
ずっと県外で生活してたけど、帰省したら夫が居なくても、実家と半々で向こうの家にも泊まって過ごした。
嫌でも無かったし、難しいお義母さんではあったけど嫌いでもなかった。

料理は上手だし、掃除はきれいにしてるし、ただ、本当に難しい人ではあった。
だから怒らすのも嫌だし、機嫌も取るし、ただ、長くても夏休みを半々で過ごして半月分。我慢できる時間だ。


年末年始で短い時間でも、泊まって帰る日には、寝室は勿論出来る部屋にほうきをかけ、掃除をしてお礼を言った。
それでも、お義母さんは、『そんなことしなくていいの』とか、『ありがとね』とかもなくて、やっぱり不思議だなと思ったり。あたしなら、、とやはり思ってしまうのだけど。


そんなお義母さんとうまくいなくなった日がある。その日以来あたしは一切連絡をしなくなった。
孫の写真も電話も私からは一切だ。

私が帰省中、夫の家に居たとき、私の母から家電に電話がかかってきた。私の携帯が繋がらなかったと。

『(孫たち)うるさくて大変でしょう、押し付けちゃってごめんなさいね』と、たわいもない挨拶の様な前置きをしたのだ。
押し付けちゃってだなんて、なんとなくの挨拶だ。

それなのに、お義母さんはムキになり、『押し付けてだなんて、私の孫なのに』みたいなことを私に言った。


冗談も通じないのかと、思った。
私は、三姉妹。
上の姉も真ん中の姉も長男に嫁に行ったが、両方の両親とも一緒に旅行に行けるくらい親同士、良好。
うちだけだった。うまくいかない。

どれだけこっちがお膳立てしてもうまくいかない。
父も母も『もう放っておけ』と言っていた。


息子が発達特有のこだわりを見せ、お義母さんも苛々していた。
息子の事は大好きなのは分かっているが、『もうこれ以上おばあちゃんにこんな思いさせるならもう来なくていいから』と言った。

月曜に私の実家に帰ると言ってるのに、土曜の朝から息子は『いつ帰るの?いつ帰るの?早く帰りたい』と何回も言った。
私の実家には同じくらいのいとこが沢山いて、夫の家には一人っ子だからいとこは居ない。

私も息子に『おばあちゃんと過ごせるのもあと数日だからこっちで楽しめることを探して遊ぼう』と何度も諭し、そのたび、『分かった‼‼』と言うのだが、5分後にはまた繰り返すのだ。

義実家が嫌だと聞こえるのだろう、だからあたしも何度も何度もフォローした。
けど、お義母さんが言った。

『もう向こうのお家に行きなさい、もういい‼』


、、、、、。


私、毎日毎日、この人と、あなたの息子の【こういうの】と一人で戦ってるんですよ。
数日居るくらいで、ましてや、あなたの息子より随分マシでしょう。
それを私に任せっきりにして、、と私も怒りが吹き出した。


そして、その日義実家を出て以来連絡をして居ない。
私はムカついたのだ。本気で。
本気の本気で。

夫となんとかなんとか生活しながらお義母さんにも嫌な思いをさせないようにとやり取りをし続けた、その8年がその日に崩れた。

ただ、そうしてからも夫は孫の写真や成長をお義母さんに連絡することは無かったし、私にも『俺の親をそんな扱いしやがって』と言った。

それならあたしの代わりにあなたが写真を送ればいい、週一でも電話をしてあげたらいい。
けど、【自分は】しないんだよね、私の事は責めるのに。


お義母さんの誕生日は、毎年夫に伝えた。
そしたらまるで自分が覚えてたかのようにそんなときだけ『おめでとう』と連絡した。
毎年送っていたお義母さん好みのプレゼント、これももう今年からはない。連絡も無いだろう、夫は覚えてないのだから。
そして気付けばいい。
そうか、そうだったんだと。
それももう遅い。


私ももう、お義母さんに離婚の際も何も言うことはなかった。
うちの両親も何も言うことはないと言った。
夫にすら、会いたくないし、見たくもないと言った。
勿論夫からもお義母さんからもうちの両親に連絡すらない。


あーーあ。な結果だ。


天国にいるお義父さん。
優しい人だった。

離婚が決まり、わたしが夫に『お義父さん、悲しんでるだろうね』と言ったら

『怒っとらい‼‼ふざけるな‼‼』と言った。

ふふっ。
そうなんだ。
そうなんだ。
そっか、そっか、

うん、離婚、間違ってなかったよね。









距離感。
というのは、これは難しいものだと思う。
私の場合、自分が好きだと思ったらグーーーンと入っていってしまう。

苦手、と思うと距離を取る。
なるべく関わらない。
なるべく。

それでもいろんな場面で苦手な人とも関わらなくてはならないものなんだけど。


夫に恋をし、好きになった。
この人を他の人に取られたくない。
だなんて思った。

だから、付き合うことになり、とても嬉しかったし、私の気持ちはどんどん加速していった。


デートなんかの時、正面に座り、その空間が嬉しくって夫の顔を見た。
ん?という顔をしたので、嬉しいって言わんばかりの顔でニッコリしたら、



『そんなに見んといてくれ』と言われた。

椅子から転がり落ちるかと思った。
まだ結婚前だったけど、そのときは怒って、駐車場で自分の携帯を地面に投げ、
『なんなの?』と言った。
忘れられない。


普通。
ニコッと返し、『幸せだね~』なんて言うもんだと思ってた。

そう、別にその日のデートも普通だったのだ。相手が怒ってたり、相手を怒らせてる最中に、私が見つめた訳じゃない。
普通~の雰囲気だったのに。


『私は、今まで付き合ってきた中で、今のニッコリは普通にしてきたよ。相手もニコッとしてくれた。
見ないでくれというなら一緒に居る意味があるの??』

いきなり怒る私に夫は、『そんなつもりじゃなかった』と言った。


そう、【そんなつもりじゃなかった】は後々、毎度のキメ台詞となる。

そう、本人は『そんなに見ないでくれ』という言葉が【相手をそこまで怒らせる】と思わないのだ。


いつも、返す言葉のチョイスが違ってた。
あ~それを言うなら今の息子も同じだ。



そんな出だしのエピソードがありながら、今回の話。


夫と、すぐに離婚しなかったひとつに、夫の友人関係がある。

夫は友達はあまり居ない。
会社でも慕う先輩もいなけりゃ、慕われる後輩もいない。
切磋琢磨しあう同僚もいない。


ただ、結婚生活を始め、夫の趣味友達にはとてもとてもいい人たちがいた。
家族ぐるみでもう10年になるだろう仲。

3家族でよく食事をした。
でも夫はいつもなんかずれてて、それが笑いになることもあったが、『ちいちゃん大変だな~』と言われる。
そしたら間髪いれず夫は言う。

『いやいや、こいつ外面だけ良いから。
家のこいつの顔をみせてやりたい、ビデオに撮って見せたいよ』とひとり笑う。

周りは誰も笑ってないのに。


そうだよね、私、いっつも怒ってたし。
てか、あなたが怒ることをしてたからね。


だから俺はこの家は休まらんっていつも言ってた。
あれだけ好きなことをして??
これだけ自由にして??
本当開いた口が塞がらない。

その3家族での会。
その家のご主人が、トイレ掃除は俺の仕事なんだ、という話をした。

だから、男たちよ、立ってしないでね、と冗談半分で言った。

その数分後、夫はトイレに行き、堂々中蓋を開けたまま、(きっと散らして)戻ってきた。

そのあと入ったご主人が、○○くん~さっき言ったじゃんよ~と笑いながらだけど、戻ってきた。


細工をしろよ、細工を。
終わった後に閉めるくらい。

【今】その話をしても、すぐその事を実行しない。
言ったのに、言ったのに?
言っただろうがよーーーとなる。

で、ご主人が言う。
『ほら、やっぱりちいちゃん大変だよーー』

で、夫。
『違う違う、こいつは、、』 


違わねーよ。みんな、ふはっとサイレントで笑った。目は、、冷めてた。


こんな事ばかり。
だから、私は、夫に対し、距離はあっただろうな。


ただ、こうも思う。
じゃあ、夫はどんな風に私たちを思っていたんだろう。

息子や娘は好きだ、大切だ。
とはよく言っていたので、それは置いておいて。

私は??
私の事はどんな風に思っていたんだろう。

妻として、家族の一員として。
結婚してる間はほとんど専業主婦だったから、お金に関しては夫がほとんど。
ただ、その分私も最低限の事はしていた。

一番楽しく頑張っていたのは料理。
自分自身が食べるのも作るのも考えるのも好きで、スムーズだった。
夫もよく食べる。運動もしていたから、あたしは尚更その面に関してはマルだったと思う。
でも、大抵私が作る事に興味は無く、食べても食べても、食後にラーメンを作って食べる。
どんなパーティの後もだ。

パーティと言えば、子どもが生まれ、誕生会やクリスマスでパーティをしても、夫はそれらを祝うでもなく、楽しむでもなく、ただ、美味しいご飯を沢山食べれると言うだけで、ただひたすら食べる。
ただひたすらに。


外食もそう。
大抵バイキングき行き、ひたすらに食べまくる。
家族の会話などない。
『バイキングは己との戦いだ』と言い、ひとりの世界に居た。

いつもね。
なかなかの強者。


そう、それで。
まだ色々書きたいことはあるんだけど、私の事は

なんとも思わなかった

んだろうなと思う。
そう思った方が楽かな。


そんな、お互い一方通行な距離感。
夫が思う描く家族。
理想は理想。
だけど、あなたがパーティで、外食でしてた態度は、あなたの理想のお父さん像だったのかしら。
きっと違うでしょ。
違う??