2001年。
私が小学3年生だったころ、
11歳年上の兄が大学を中退した。
きっかけは大学内の寮でシャワーを浴びている時に倒れたことだった。
授業をサボりがちで進級が難しく、
教師から叱責を受けた後に気を失ったらしい。
きっとその時すでに兄の中で精神的な限界をむかえていたのだと思う。
大学中退後から家にこもり、
完全に心を閉ざしてしまった。
あれから24年が経ち、
今でも実家で両親と祖母と一緒に
静かに暮らしている。
兄は学生の頃は優秀だった。
高校は地元で1番偏差値の高い進学校に進んで、一浪したけれど東京の電機大学に合格した。
頭が良かったし大学を卒業したら技術職や研究職に就きたかったのかなと私は勝手に思っていた。
けれどもしばらく経ってから直接本人に話を聞いたら、そうではなかったと知ることになる。
幼い頃からただ親に言われた通りに従い、
学歴の高い学校に進んでいただけの話だったらしい。
兄自身の主体性や未来への希望が全くなかった。
いかにも厳格な公務員と学校の先生の元に
生まれ育った従順な息子だなと思って当時は兄の言葉を聞いていた。
今思えば兄はきっと長い間生きのびる事だけに必死だったのかもしれない。
県職員の仕事で忙しく子育てに無関心な父と
子育てと学校の先生の両立で余裕がなく、
すぐ激高しヒステリーなる母。
でも両親共々世間体はとっても良く周りを気にするタイプだから子供には高成績が求められる。
(親はそれを子供の将来のためにって大義名分にすり替えるけど、本当は自分の為だったりするんだよね。)
そんな環境で親からは迷惑をかけるなと言われて心を置き去りにされる。
それでもいつかちゃんと自分を見てもらいたいと願って期待に応え続ける。
小さい頃から必死で感情を押し殺して、
頑張って頑張って生きてきて。
でもそんな自分を無にする無理な生き方は
いずれ限界がやってきてしまう。
いざ心が折れて親の引いたルートが外れたら、
もうこの先何をすればいいか
未来が全く分からなくなってしまったんだと思う。
生きながらにして
兄の中で時間が止まってしまった。
親への思いは恨みに変わる。
兄はその後の自分の人生をかけて、
俺がこうなったのはお前ら父と母のせいだと
幼い頃からの積年の思いを晴らそうとしている。
自分を傷つけて生き続ける事が、
親への復讐なんだと思う。
惨めな自分を親のせいにして恨んで
そこからずっと動けずにいる。
だから20歳から今日までの24年ものあいだ、
どんなに不仲でも家を出ず、
働きもせず家事も手伝わず疎まれながら一緒に暮らしているのかもしれない。
私はそう思って兄を見ている。
社会経験は0。
家族以外の人付き合いもない。
誰からも感謝されることもなく、必要とされることもなくそれでも生き続ける精神力。
一体どれほど深い怒りと憎しみなんだろう。
私が同じ立場ならとっくに命を投げ出している。
ここからは私の話。
兄が家に引きこもるようになった最初の頃、
私は小学校の通学班でいじめっ子から度々ターゲットにされていて、こっちはこっちで自分のことで精一杯だった。
寮生活をしていた兄が家に戻ってくると聞いて
嬉しかったのか嫌だったのかは今となっては全然思い出せない。
ただ覚えている限り気が付いたら
家に兄がいて引きこもるようになっていた。
そこからはいつも不機嫌な兄の事が怖かった。
兄は朝方、精神的なストレスからか痙攣を起こして泡を吹いていることがよくあった。
そんなこともあって兄は自分の部屋ではなく
みんなが集まる居間のすぐ隣にあるおばあちゃんの部屋に布団を敷いて寝るようになった。
おばあちゃんの部屋の襖を開けて兄が起きてくるとなんだか少し緊張した。
機嫌が悪いと勢いよく襖を開けて大きな溜め息をついて、どすどすと歩いていく。
父も母も兄を腫れ物を扱うように接していて
距離をとり日常的な会話をしていなかった。
私自身も特に兄と話したい事はなかったと思う。
リビングに共用のパソコンが1台あって、
兄はいつもそこで座ってご飯の時以外は一日中ヘッドホンをしていた。
そして誰かが何か物を動かしたりするとじっと見て監視していた。少しでも気に食わないと声を荒げた。
家族みんなで過ごす時は兄に気を遣って
皆んながずーっとピリピリしていた。
あ、でもおばあちゃんだけは図太かったかな。
悪気なく兄の気に触ることをずばっと言うから
兄が怒らないかこっちがヒヤヒヤしていた。
一応はみんな一緒に食卓を囲むけれど
言葉は気をつけて選んでいて、
なんだか演技っぽい食事の時間が昔からずっと変だなぁと思っていた。
話すのは当たり障りないクイズ番組やニュースのことくらい。あとはご近所や仕事の愚痴と噂話。
こんな感じで楽しいわけがなく、
皆んなで食べる事があまり好きじゃなかった。
自分も小さい頃からこんな環境で安心感なんて育っていないから
部屋で1人きりで過ごすのは寂しくて、
居間の掘りごたつの中に潜ってなるべく兄の視界に入らない場所で絵を描いたり宿題をしていた。
リラックスして自由にのびのび話したりくつろいだりできないのが嫌で、
いつしか神経質な兄のことをすごく嫌いになっていた。
兄が引きこもって10年が経ち、専門学校の頃にはその思いがさらに強くなった。
向かい合った目の前でご飯の時にくちゃくちゃと音を立てて食べるのが気持ち悪くて
どうにも生理的に受け付けられず、兄が視界に入らないように右手で目を隠していた。
会話しようにも全部否定で返ってくるし
被害妄想ですぐ拗れて面倒くさくなるから
話すことも辞めた。
両親と話していると自分の悪口を言われていると勘違いして怒るから、庭とか買い物先とか兄がいない場所で親とは話をした。
友達と旅行に行くために買ったキップが
勝手に使われてなくなっていたこともあった。
私の1番の願いは長いこと
"アイツをどうにかしてくれ”
ただそれだけだった。
兄も苦しかったと思うけど、
私も苦しいのを我慢していた。
実家で暮らしていた24歳までの間、
両親にも何度も兄のことを相談した。
むしろあの子と話せるのは貴方だけだからねと、10代の頃から親に兄と親自身のメンタルケアを頼られた。
いや、仮にも親ならあんたが向き合ってどうにかしろよとブチギレたのが24歳。
私のことはいいから兄とちゃんと話して欲しいと
怒って泣いて何度も両親を説得した。
兄本人にも父を誤解しているところがあるから
話してみて欲しいと寄り添って伝えた。
家族全員に手紙まで書いて
もしこの先もこのままなら縁を切るとまで言ったけれど、結局くどいと言われて私が疎まれただけで終わった。
それも今は懐かしい10年近く前の思い出。
あの時しつこいほど話したけれど、大丈夫だからそんなに心配するなと言われた。
今も変わらず兄はニートのまま。
今更もうどうでもいい。
知らないよ。
いざ父と兄が話すと
ちょっとした事がきっかけで
言い合いになる。
いつしかそれが怒鳴り声に変わり
最悪は物を破壊してつかみ合いになる。
全身に力を込めて充血した目で荒い呼吸になる兄。
とんでもない勢いでガラスドアをバーンと開けて
庭に吹っ飛んでいった居間の椅子。
大きく穴の空いた廊下の土壁はそのまま残ってる。
数年前に父が殴りたきゃ殴れと言い、
兄が年老いた父をアザができるほど殴った。
こんな状況でもなぜかいつも我関せずで、
お姫様な母に流石に嫌気がさした事もあった。
もうここまできたら家族の中で解決するのは無理だから第三者の支援を受けようと言っても
何年経っても頑なに受け入れないのは
何の責任感とプライドなんだろう。
父と口論になった日の夜中に兄の部屋から聞こえるのは何かを殴る音と唸り声。
明らかに増えている冷蔵庫いっぱいの酒。
そんな兄を知らぬふりで
本人の自主性に任せるという名の
完全放置を続ける親。
家を出て改めて親もおかしかったのだと分かる。
兄を愛してるのかと聞くと、大切だと言う。
衣食住は与えてる。
必要な金もあげてる。
でもそれだけ。
誰も心を見ようとしない。
サポートしようともしない。
一緒に暮らしていても歩み寄ろうとも、
頼ろうともしない。
父も母も我が子との向き合い方を知らない。
こうして気付けばもう24年。
長くて重い24年。
2026年。
44歳になった兄は両親が70代を超えて
身体が弱りそろそろまずいと思ったのかは分からないけれど、
田舎で働くために移動手段が欲しいからと
父に車を買ってもらって
一生懸命道路を走る練習をしているらしい。
…と聞いてから半年ほど経つけど
今のところ働き始める様子はない。
でも何かしら兄の中で変化があったのだとしたらそれはきっと喜ばしいことかもね。
と、わずかに思うような気もしなくもない。
素直に良かったねと思えない自分に
私自身の兄への思いに気付かされる。
まぁ何でもいいけど親子仲良く、
勝手にやってくれたらいいと思います。
家族に長年ニートがいる人のリアルな話しでした。
長い語りにお付き合いいただき、
ありがとうございました。
