《ご挨拶》

こんにちは。つるるです。19歳です。

 

ブログ今回で3本目です。一つ書くのにもんのすごい時間がかかってます。ちなみに今回は3時間はかかりました。

ちょっとずつ早くなるのかな?

 

《近況報告 というかだらだら日記》

家に帰ってきて、やっぱ家のご飯っていいよなぁと思うこの頃です。外食と比べたら同じ値段でも食べれるものは段違い。

ついこないだは筍ご飯に焼き魚、昨日はドライカレーにマグロとアボカドの乗ったサラダ、今日は漬けマグロにローストポーク、その他にももろもろあるんだよ♪

流石に私たち豪勢がすぎるよと話し合ってはおりましたが工夫のしがいがあるのは料理のいいところ。

とーか言って家に帰ってきて夜ご飯作ったの一回だけの私が何を言う!家にいたけりゃ飯ぐらい作れと言われております。

 

あっとそういえばダイエットします、、。あはは、頑張ります。

 

〈今一度確認しておこう!〉

このブログでは大人になる前の私を、私の言葉でそのまま残せるように、と思っています。

ですので変な言葉遣いをしていることもあるし、わかりにくいいい回しをしていることもありますが、私の脳内をなるべく正確に記録できるように頑張ってます!

道に落ちてた日記拾って読んじゃった気分でぜひ楽しんでください。笑

 

 

《本日の内容》思想の転換期

 

私は人が好きです。とっもだっち100人でっきるっかな♪ってやろうかと本気で思ってたんです。ついこの間までは。

 

でもここ最近人間関係に不信感というか、他人に対してどこか気持ち悪さや嫌悪感を感じることが多いんです。

 

なぜなんでしょうか。もう無条件に人が好きといえなくなってしまったのでしょうか。

そのモヤモヤについてちょっと掘り下げて考えてみることにします。

 

ーー人が好きだなって思うようになったきっかけーー

 

15、6歳の頃に、深く深く自分を見つめ直す機会があったんです。

その頃は自分が気づかないうちに誰かを傷つけているのではないかと怖くて申し訳なくてたまらなくて1人しくしく泣いたりしていました。

もう誰も傷つけたくなくて、優しい人間になることが私の人生のテーマでした。

まぁ普通に自分が傷ついていたんですね。

傷ついていたから、誰かに優しくしてもらいたくて。優しくしてもらいたかったから、誰かに優しくなりたかったんです。

でも傷ついた、辛い、なんて口が裂けてもいえないプライドの高さゆえ、優しくしてほしい、をこんなに遠回しにするところは流石のひねくれ根性です。

(1人しくしく泣くたび脳内でこの↑分析のターンを繰り返してしまうから、うわーこいつめんどくせー捻くれてんなー、と涙もすぐに乾いちゃうのが勿体無い)

 

【弱く生きよう】

弱く生きることにも美学がありました。弱く、たくさん傷ついたらその分優しくなれるはずって。

とにかく鎧を持って、武器を持って強く生きている大人たちが怖くて。

自分を守るために誰かを傷つけるぐらいだったら私は生身のままいたい、と思っていました。

傷だらけになるかもしれない、不意に刺されるかもしれない。でも、それでも肌と肌で触れ合って温もりを感じていたい。

どんなに強くなったって、まだ鎧の着方を知らない生身の人を温めてあげるにはこちらも裸にならなきゃ熱は伝わらない。

言葉にするのはちょっと難しいですが、何も身に纏っていない傷だらけの体が、優しくまだ鎧も着れない子を抱きしめている、なんて光景が、その頃の私の頭には、常に、ぼんやりと流れていました。美しい優しさの形だと感じました。

 

(そして、こうやって弱く弱く生きようとしているうちにきっと私は本当に強くなってしまうんだろうな。なんて予感もありましたが。)

 

 

そう考えると、人に興味を持ち始めたのも、抽象的なところからだったのかもしれないですね。

優しくしてあげたくて、温もりを分けてあげたくて、だから相手の鎧を外して抱きしめてあげようと思ったのかもしれません。

弱くて脆くて優しいところを見せてよって。私は刺したりなんかしないからって。

 

 

 

ーーあぁ、だから気持ち悪くなったんだ。

それが具体的になってきてしまったから。

 

 

頭の中で抽象的に描いていたその光景が、現実になって気持ち悪くなりました。

実際の人の裸を見て、みんながみんなモデルのような綺麗な体な訳がなかったんです。

自分の裸にだってコンプレックスがあって。自分と似たような体を見るのも気持ち悪いし、ましてや傷だらけの体を見てどう思う?曲がった鼻、半分しか開かない目。

それに、自分の体にない見慣れないものを持っている人だっている。

だからそれが怖くて気持ち悪いことに気づいてしまったんです。

 

服を脱がしてハグしてはい終わり。な訳がなかったんです。脱がせたからには最後まで引き受ける覚悟が必要だったんだ、と気づきました。

 

ーー無理です。そんなこと、できない。

 

 

あの時私の求めた優しさってなんだったんだろう。幻想だったのかな。

誰も傷つけたくないって思った私の優しさは間違っていたのかな。

あぁあ、なんだか悲しくなってきちゃいました。

 

 

今回の検証の結果は、あの頃の“優しさ”に縋っていた私を否定してしまったようで申し訳ない。

でも、優しくありたいと思った気持ちは今でも変わってないつもりです。

きっとこれからも“優しさ”の形は、私の中で変化し続けることと思います。ただそれが忘れずに考え続けたことの証になりますように。

 

弱くて優しい過去の私が報われますように。