俺はやはり大阪へ行くことになった。
今晩の、のぞみ700系に乗って。
昨夜は、新宿からガラの悪い山手線に乗ったが、
今晩は、新宿から中央線
これで、暫く東京ともおさらばである。
そして、ゴトーアキオとも。
俺は、船場のちりめん問屋に
「定吉」として、奉公しにいくことになったのである。
まさか、この歳で、奉公にいくとは、
思っても見なかった。
誠に、人の一生とはわからぬ。
もう、すでに、ルイ・ヴィトンのキャリーケースに
当座の荷物は詰めた。
あとは、向こうで女将さんが用意してくれるという。
名古屋を過ぎ、
米原あたりまで来ると、
俺の名残も、少しずつ消え、
「浪花の商人として、一人前になったるわ!
このボケ! カス! 」
と、わめいていたら、
車掌さんに怒られた。
さて、
大阪に来るのは6年ぶりである。
大阪の街も変わってしまった。
ついでに、府知事も変わっていた。
俺は、御堂筋線に乗り、奉公先についた。
奉公先では、旦那様、女将さん、番頭はんが、
あたたかくむかえてくれた。
ところが、俺の様子を見るなり、
番頭はんが、叱らはった。
「あんさん、何着てまんねん」
俺は「まんねん」ってこたーねーだろーよと思いつつ、
番頭はんに向かい、
「私がどーかいたしましたでしょーか? 」
と、尋ねた。
「そがいな服着よってから。ホンマにこの子は!
あんた、ここはちりめん問屋でっせ」
俺は、マイケル・ジャクソン『THIS IS IT』の
プレミアTシャツを着ていたのである。
「すみません。家にシルクといったら、
アルマーニしかなかったので……」
「そがいなバテレンの着物、ここじゃ、通用しまへんで」
番頭は早速、嫌味を言った。
「まあまあ、そんなに怒らんでもよろしいがな」
と、旦那様が、助け舟、すなわち、
浪花で言うところの「くらわんか舟」を出してくれた。
そー言えば、淀川を渡る際、
くらわんか舟を一艘も見なかったなぁ。
「まま、あがりぃや」
女将さんもやさしい。
番頭はんは、
「あとで、着物出してあげるさかい、それに着替えぇや! 」
と、あくまで、俺を特訓しよーという魂胆であった。
俺は、番頭はん、すなわち、政五郎という男が、
嫌いになった。
その夜、俺の歓迎会が、
丁稚仲間によって開かれた。
難波の和民である。
留雄さんという兄さんが、
500円クーポンを大量にもっていたからである。
俺は、その席で、
俺と同い年の奉公人の、
阿波からきた、
フランス系黒人のハーフである、君ちゃんに一目ぼれした。
宴も早々に引け、
俺は、煎餅布団に横たわった。
すると、東京に残してきた、
食うや食わずの生活を続ける
父母、祖父母、幼い弟妹のことが、
瞼に浮かんできて、どーにも涙が止まらなくなった。
俺は、ルイ・ヴィトンから、ガラガラを取り出し、
布団の中でガラガラさせた。
朝になった。
俺は、ガラガラを振っているうち、
知らず知らずのうちに寝てしまったよーだ。
朝飯は、君ちゃんの横の席を確保した。
なにやら、君ちゃんも、俺に目配せをくれる。
少し話を聞いたら、
奉公に出される前は、
「阿波のリセエンヌ」と、
もてはやされていたらしい。
これでいて、結構プライドが高いものだな、
と俺は君ちゃんの
ど根性を垣間見、感心した。
いよいよ、俺の奉公初日である。
朝礼の席で、旦那様からご薫陶があった。
「えー、皆はん、今日も一日、頑張っておくんなはれ。
それから、定吉、お前さんは、
今日から、近江支社へ行ってもらうことになったんで、
きばりいや」
ちくしょー、番頭の政五郎の仕業だ。
俺は、早くも君ちゃんともお別れし、
浪花の、そして船場の商人になるどころか、
「近江商人」への道を歩まされることになった。