http://ameblo.jp/turtlehaze/theme-10018910635.html の続き


それにしても、自殺するのも結構なエネルギーいるよね。

なんとしたもんか、最近はインターネットで仲間を募り、集団自殺する者が増えているらしい。

Eメールでもって、君はレンタカーを手配してくれ、貴方は練炭をホームセンターで買ってきてくれ、おめえはガムテープを実家からくすねてこい云々、相談し事を成し遂げるという。

集合場所への運賃はどうする?


それぞれの経費は1円単位まで頭割りなの?


レンタカー借りるときは誰の名前で借りるの?


ガソリン満タンにして返さなきゃいけないよね、レンタカーって。

という疑問が次から次へと沸いてくるが、そんな疑問を持つようなけち臭い人間は参加する資格もないようだ。


そもそも、私はエネルギーのエントロピーがそこまで達していない。

とてもじゃないが、ホームセンターで「練炭ありますか」と店員に尋ねて買う気力もないし、例えば集合場所が沖縄だったら、そこへ行く運賃も持っていない。

それに、心身の具合が悪すぎて決められた日時にどこかへ行くなど不可能だ。


してみると、集団自殺するような人々は、理由はそれぞれあろうけれども、少なくとも、「貧乏」や「鬱病」を苦にして死ぬわけではないのだな。


ありあまる財力と健康が煩わしくそれを苦にして、死ぬのだな。


他方から見ると非常にうらやましいぞ。ポスト・キャピタリズムの発見が遅れているので、自殺できるのは、お金と健康のある人に限定されてしまったみたいだ。


私の如きはパソコンの画面に向って、売れるか売れないか存ぜぬ駄文でも書いていろ、ということだな。

相わかった。

ならば、どんどん書いてしまおう。


かつての漫画界では、貸本時代、原稿の「目方売り」というのがあったそうだ。キロ100円とかね。希代の漫画家先生たちの不遇時、皆一所懸命、せっせと枚数をこなしていたという。

では、現今でも、目方買いをしてくれんかね。

そんな酔狂ないのかね。

しかし、私には何キロもの原稿は書けねえなぁ。そもそも、デジタル出版の世の中で、「生原稿」の意味などないよね。苦笑。

目方売りの道も絶たれたなぁ

愈々、危急な頃合だ。と、ダビドフという、いわゆる高級タバコを呑み、時折キューバ産葉巻をくゆらせながら思う。