「可哀想な子」を救わなきゃと思ってた。 | しいたけ。のブログ

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夫 大芋(2011年生 女)小芋(2013年生 男)の四人家族。
ドタバタな日々に、元々の鳥頭(3歩歩けば忘れる)が絶賛進行中。
ホ・オポノポノのクリーニングで自由の感覚を日々上書き中。
イラスト描いたりクリーニングして引きこもりライフ満喫中です。

こんにちは。
鳥頭母ちゃんこと、しいたけです。




20~30代後半まで、
途上国の子供を支援する団体に
毎月寄付してました。

その団体は、寄付の他に
アトランダムに選ばれた子の
疑似親(フォスターペアレント)になり
手紙のやり取りや、
ちょっとしたプレゼント(折り紙など)を
あげられるシステムがありました。

私の担当は、インドの7才の女の子。

水を汲みに行くのが大変なこと、
両親、兄弟のこと、
花が好きなこと。

一生懸命描かれただろう絵と共に
たどたどしい手紙と、翻訳文が届きます。

最初はそれらを楽しみにしていて
私も日本の生活が分かる内容の手紙
飼っていた猫の写真
シールや文房具などのプレゼント
そういったものを送っていました。

しかし次第に、心が苦しくなってきました。
仕事が忙しく、病院と家の往復で
あっという間に日々が過ぎ、
あっと思い出すと返事を出していない。
返事を書かなきゃと思うと、
ブランクの分、手をかけなきゃいけないと
プレッシャーが大きくなり、
ますます気が重くなる悪循環。

女の子から手紙が届く度に
どうしようもなく後ろめたく、申し訳なく
目にするのがしんどかった。

今から思えば、

「ちゃんとやらなきゃいけない」

「完璧にやらなきゃいけない」に

がんじがらめになってたんですね。

自分がボロボロのカスカスなのに
自分に目を向けずに
遠くの子供を助けようとして
当然の如く、すぐガス欠して
あげく放置という極端に走る。

今気付いたけどこれ、
育児放棄のメカニズムと同じでした。


一言メッセージでも充分だった。

プレゼントなんかなくても、
スナップ写真だけでも、
きっと女の子は喜んでくれた。

でも勝手に自分を追い詰めて
たったそれだけが出来なかった。


結局はお金だけの寄付という形になり、
ほろ苦く、後悔の多い思い出となりました。



自分は一生結婚しないんだと
どうしてか思っていた時は、
独身でも身寄りのない子供を引き取れるか
制度などを調べていたこともあります。




このブログを始める直前まで、
将来の夢は?と聞かれれば

「行き場のない子供の
安心できるシェルターのような
場所を作りたい。」

と大真面目に答えてました。




「ほほうご立派ですねぇ。
でもあなた自分が満たされてないから
その空洞を外の世界に投影して
何とかしようとしてる自覚ありますか。

あぁそうなんですか。
自分の内を見たくないから
救わなきゃいけない存在がいないと
都合が悪いんですね。
だって外に目を向けて、
誰かを助けようとしていれば
誰もあなたを責めないし
むしろ褒められて好都合ですもんね。」


もし当時の私が誰かにこう言われて

もし手近に手頃な得物があったら迷わず


ブッスリ



いってました。

だってど真ん中の真実だから。


あの時私がやっていたことは、例えば

大芋(4才 女)小芋(2才 男)が
凍えてて、お腹も空かせてるのに

「かーちゃん、ちょっとこれから
外で寒くてお腹空かしてる子とか
アフリカの子を助けてくるから。」

と出掛けて、帰ってこない。

ということを、自分にしてたなーと。



でもこうやって、昔のことを思い返すと
私って


善良で


純粋で


一途だったんだなー


と、自分で思いました。



私、与えすぎたんだ

私、あげすぎたんだなぁ


そんなことも、じんわりと感じました。


なんかそんな自分を
側でずっと見てきた親友のように感じ
こんな私が

幸せでない訳がない

愛されてない訳がない


そう、自然に思える自分がいました。


なんか胸の辺りがほんわかしていて
心なしかぽかぽか暖かいんです。
こういうほのぼのな感覚は初めてですが
いいもんですね(^^)

日毎に自分のままで、
リラックスできる感じが拡がっています。