今年の3月ごろのことですが、消防団を退団し、8年間してきた区の体育委員も若い子に譲り、4月からは無役になり楽ができると思っていました。



しかし、私が家でごろごろしていると、母が、「昨日、区長さんが来られて、今年から始まる事業にパソコンが出来る人が必要になってきたので、先日の会合で、書記の補佐になってもらったらという意見があったから、事後承諾ということで引き受けてと言ってはったで。もう役場の方に名簿提出したからともいいよたったし」と言いました。



「寝耳に水」とはまさにこのことで、区長さん宅に行きました。区長さんによれば、今年から「農地・水・環境向上対策事業」が5年間にかけて始まり、この活動には役場に提出する書類が多くて、さらに活動している所を写真に撮って、書類につけて提出する必要があるから、年寄りには無理なんで、そこら辺の整理を私にやってもらおうということになったとのこと。



どうも、この人事には1つ年下の消防団分団長と子供会会長の強力?強引な推薦があったみたいです。そういえば、以前、「消防も辞め、体育委員も辞められたら寂しいでしょう?」と分団長が言っていたことを思い出しました。見事にやられました。



4月に第1回の会議がありました。集まったメンバーは、区の3役、最寄の総代4人、各種団体(消防団、子供会、婦人会、老人クラブ)の代表者、それと中山間地域等直接支払制度の役員さん、総勢18人。私以外すべて肩書きがあります。



最初に、書記になっていたB最寄総代さん、区長さんから書記頼みますと言われると、「わし、そんなん聞いてへん!!知らんで!!」と真っ赤な(多分飲んでて)顔で抗議され、その瞬間、書記補佐→書記に昇格になりました。(後で、書記は代表者=区長が任命できる規約に書いてありました。)多分そういう展開になると予測して私を書記補佐にしたのではないかなと思いました。



皆さん好き勝手な話をされ、あっち飛び、こっち飛びでノートに記録するのが大変でした。議事録作成するのに3日はかかりました。



その後、しばらくはなかったのですが、6月の最寄の常会に出ていたら、区長さん(区長さんも私と同じ最寄の人です)が、私のところに来られて、今月中に会議を開きたいけど、私の休みに合わせるから、日にちを教えてもらえないかとのこと。



7日午後8時から、第二回目の会議が開かれ、今回は各種団体長を除く役員12人が出席。もちろん私は一番下っ端。今後の活動方針の決定と区内の用水路や排水路の不具合箇所の点検する日を決めることでしたが、あいも変わらず、話があっちこっち飛んでました。最後に役員全員で点検箇所の見る日時を決める段になり、4人の最寄総代さんの都合で、24日になりました。



実は、24日浜松の先輩宅に行く予定だったのですが、1人だけ「ちょっとこの日はダメです。」と言える雰囲気ではなく、実質的に取り仕切っておられる副区長さんが私に「大丈夫やろ?」と聞かれ、「はい、大丈夫です!!」と返事をしました。



その日の夜、先輩や一緒に行く後輩に”ごめんなさい”メールをしたことは言うまでもありません。



参考までに、私の住んでいる地区はこのような組織です。



区→最寄(4つあります)→隣保(12組あります)→戸(=家です)