ジャッキーとスーザンとフレッドとオピオとシルバーとジョエルはeメールアカウント持っているので、今もやり取りをしています。

他の人は、こちらからは彼らの携帯にメールを送る事はできるけれど、彼らからメールを日本に送る事はできないので、いつも私の一方通行です。


私の帰国後、ジャッキーはマケレレ大学の修士コースに受かり、今は首都カンパラにひとり移り住み、勉学に励んでいるそうです。

かなりの額の授業料を納めなければならないようですが、それはBFのポウルが工面してくれたらしいです。

ジャッキーは思いつきで行動してしまうことが多いけれど、それでもやりたい、やろうと思ったことを実現してしまうのは素晴らしいと思います。


スーザンも店番の仕事のかたわら、テーラーリング(洋裁)のコースに通い始めました。

デンマークに帰る時にリッキーがお金を置いていってくれたのだそうです。

もともとの夢のレストラン開業かテーラーか迷って相談のメールも来たりしていましたが、結局テーラーを選びました。

今の仕事を辞めて、コースに通うのかと思いきや、いやいやながらも仕事を続けつつ、コースにもいっているようです。

本当は辞めて、住むところを見つけてテーラーの勉強に本腰をいれたいようですが、経済的にムリなので、仕方がないようです。


ジョエルは11月に大学へ進むための国立試験を受けます。

だから今は勉強で忙しいようです。

去年推薦枠を逃して今年は再挑戦なので、絶対にこのチャンスを逃せません。

確か去年はちょうどマラリアになってふらふらの受験だったといっていたので、今年は体調も万全にのぞんでほしいと思います。


Hello from UGANDA !!


シルバーは近所に住んでいた高校生でした。

身体を鍛えることや武道に興味があり、私が粉袋でサンドバッグをつくり、マンゴーの木に吊り下げると、毎日やってきては練習をしていました。

一緒にスタジアムでのボクシングのトレーニングを始めましたが、学校の休暇に入ると裏へ戻り、そのまま姿を見せなくなりました。

学校をあきらめて村で畑や牛の仕事をしているのかと思っていました。

ある日ひょっこり現れて、首都カンパラに移り、そちらの高校に通っているのだ、ということでした。

その後、シルバーは携帯を買い、メールのやりとりをしたり、私がカンパラに出ることがあればカンパラで会い、彼が村へ戻るときに立ち寄ってくれたり、していました。


彼の村へ一緒に行く機会がありました。

伝統的なハットが敷地内にいくつか建ち、そこで一番目のおかあさん、おばあさん、おばさん、2番目のお母さんとその子供達が暮らしていました。

このあたりはとても乾いた土地でピーナッツとサツマイモが主要作物です。

皆で乾かしたピーナツの殻剥き作業をします。

指先を真っ黒にして、毎日毎日行うのでした。

それでも暮らしは厳しく、さらにお父さんがバスの事故で突然亡くなり、長男であるシルバーは途方にくれていました。



シルバーの夢はエンジニアになり、その後ミュージシャンになることです。

ティーチャーブンボ




ティーチャーブンボは、障害児学級の担任教師です。

53歳の女性で、退職しただんなさんと暮らし、それぞれ独立したこどもが6人います。


私が任地に到着したその日に、私の家に現れて挨拶をし、その後もちょくちょく家に来てはお茶や食べ物をねだりました。

それがアフリカ式なのか彼女の性格なのか、はじめのうちはわからずにいましたが、1ヶ月もするとだんだん彼女の問題だ、とわかってきました。

学校でも浮き沈みが激しく、仕事にも来たり来なかったり遅れてきたり。

来ても適当にこどもたちに時間つぶし的なことをさせているだけで、時には教室で居眠りもしています。

けれど私には気に入られたいらしく、親切に、時には押し付けるような過剰な親切に、してくれました。

周りの人からもだんだん情報がもらえ、精神をわずらっているらしいということがわかりました。

以前は真っ裸で道を歩いていたこともあるというのです。

極度の躁うつ病であるようです。

私は日本でそういう仕事をしていたので、免疫があり、しばらくはうまくつきあっていました。

彼女の躁と鬱は、主に教会のイベントと連動しています。

クリスマスやイースターなど大きなイベントに向けて気分はどんどん高揚していき、それが終わるとどんどんしぼんでいく、という遠足を心待ちにして当日熱を出してしまうようなこどもと一緒です。


鬱のときは家にじっと閉じこもるだけだからまわりにはあまり大きな迷惑はかけないのですが、躁のときが大変です。

自分が一番えらい、と思ってしまうのです。

それだけ熱心な信者であるにもかかわらず、一旦躁になると校長であるシスターに断りもなしに1ヶ月も学校に来なかったり、シスターからの電話を切ってしまったり、クラスの時間割を守らなかったり遅刻が多いことを注意する神父に対して、「神父様、この種のこどもたちには時間割などいらないのですよ」とえんえんと演説を始めたり、自分の遅刻を遅刻にしないために、時間割のほうを一時間遅らせたり、ととんでもないことを連日しでかすのでした。

さらに鬱のときは、「誰もわかってくれないの・・・」と私を救世主のように頼るのに、躁になったとたん私は天敵にかわるのです。

普段からは想像もできない大きなだみ声で、ありもしないことを罵倒します。

そんなこんなで、私も疲れ、学校をかわったのでした。


その後しばらくして年度が替わり、彼女も異動となりました。

もちろん他の学校で勤まるはずがなく、生徒数の多い普通級を教えるように言われ「できないわ」と教えることを拒否し、その後家にい続けていました。。

それからどうなったかはわかりません。


彼女の夢は、何かビジネスを始めてお金を稼ぐこと、そして車を持つことです。

私もよく「一緒に祈ってちょうだい。ジーザスに車が手に入れられるよう、お力をください、と祈るのよ」といわれました。


教師をやめた彼女が今後なにをはじめるのか、知りたいところです。














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ジェームスはボクシング仲間です。


本人の話によると、お父さんがジェームスの肌が黒いことからあまりかわいがらず、小学校に通うお金も出してもらえなかったので、小学校4年生ごろで学校を辞めなければいけなかったそうです。

殴られたり、鉄線で頭をたたかれて切れたりもしたそうです。

けれど、学校には行きたいと思ったので、自分で車を洗う仕事を探してきて毎日夜中まで働き、お金をため、学校に戻ったそうです。

だから、私がジェームスと初めて会ったとき、20歳で小学6年生でした。

そんなふうに苦労してきたのに、ジェームスはとても素直で朴訥な青年です。

お金には苦労してきたけれど、お金に執着するところはなく、お金があるときはおごってくれたり、ほかの人に貸してあげたり、します。


小さいときからボクシングをやりたかった、ずっと思い描いていたらできるようになった。学校にも戻りたいと思っていた、がんばったら戻れるようになった、頑張ればできる、ととても前向きです。


ウガンダの小学校は朝がとても早いのです。

特に小学6年・7年生になると、学校に7時ごろ行かなければなりません。

ジェームスは朝7時から4時ごろまで学校で学び、5時からボクシングの練習をして、その後街のバスパークで、乗り合いタクシー(トヨタのハイエース)やバスの洗車の仕事をします。

夜中までご飯を食べません。

洗車の仕事が終わると、道端で食事を出すおばさんの露店で一皿500シルから800シル(約25円から40円)の夕食をとり、1人で住んでいる長屋の一部屋に帰って一日が終わるのです。

毎日夜中に戻るジェームスのことを、何人かの近所の人は「泥棒」だと思っているそうです。

そして、翌朝はまた7時までに学校へ行き、という毎日を繰り返すのでした。


7年生になって学校が忙しくなったのであまりボクシングの練習には来なくなりました。

そしてそのまま、セカンダリースクールにすすんだらしいのですが、入学金やスクールフィーをどうしたのかはわかりません。


電話を持っておらず、もともとの長屋から引っ越したので場所もわからず、練習にも来なくなったので、疎遠になり挨拶をすることもなく、私は帰国をしました。


ジェームスの夢は、ボクサーか牧師になることです。

いろいろな困難にめげずに、まっすぐに生きていってほしいと思います。


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オピオとは首都カンパラからムバレに戻るバスの中で隣り合わせになりました。

ブリーフケースのようなものを持ち、ワイシャツにスラックス姿だったので、ビジネスマンかと思いましたが、マケレレ大学、経済学部の学生で、クリスマスホリデーでパリサの村に帰るところでした。

私はちょうど携帯電話のわからない機能があったので、それを教えてもらったり、むこうは日本のことについて質問をしたり、とおしゃべりをしていて仲良くなりました。


その後、私がカンパラに出るときは(めってにありませんが)、マケレレ大学に遊びにいって、オピオを含めて学生たちと話をして楽しんだり、オピオの村へ連れて行ってもらったりしました。

お父さんは村で重要な地位にある人で、こどもたちにも教育が大事だと学校へ通わせました。

オピオの上のお兄さんはマケレレ大学を卒業したあと、現在コンゴで働いているとのことでした。


電話代の安い夜中によく電話をかけてきてくれて長話をしたり、日本についてのDVDを貸してあげたり、としていましたが、だんだん慣れてきたのか少し礼儀を欠くようになってきました。

私が日本に帰国するのと、オピオが大学を卒業するのと、時期がちょうど重なったので、生活用品などをあげようかと申し出ると、喜んだのはいいのですが、こちらが全部運んであげなければならなかったり、連絡をきちんとしてこなかったり、時間を守らなかったりとして、結局とても迷惑をして不愉快な気分にさせられました。


日本に帰ってもeメールで連絡をし合おうと話していましたが、最後がそんな感じで終わったのでもう連絡を取り合ってはいません。


彼の夢は、とりあえずカンパラのいい会社に就職をして自分の部屋を借りること、です。




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Friends3 ジャッキー


ジャッキーは高校の英語の先生です。

わたしがムバレに住み始めて1ヶ月くらいした頃、日本語を教えて欲しい、とうちにやってきたのが出会いでした。

その頃、日本の政府が募集していた日本での研修に応募していて、日本語を勉強したいので、とやってきたのでした。

それから私の帰国まで約2年間仲良くしてもらいました。

その研修には、惜しくも2番目の候補となり日本に行く事はできませんでした。

それでも、好奇心の強いジャッキーは日本のことに興味を持ちいろいろなことを教え、ジャッキーもウガンダのローカル料理や文化のことなど教えてくれました。


ジャッキーには娘がひとりいます。

以前タンザニアの男性と一緒に暮らした時期があり、そのときに一人娘のソフィーをもうけたのでした。

けれど、その男性はイスラム教徒でジャッキーはカトリックで考え方が合わず、さらに男性の妹も同居しなければならず、男性は酒癖が悪く、つらい日々だったのだそうです。

それでとうとう別れることにしたのだそうです。

ウガンダの結婚制度はきちんとしていなく、ジャッキーも正式に結婚していたわけではないので、今でもその男性の事を「元夫」とか「別れた夫」とは呼ばず、「ソフィーの父親」と呼びます。


今は別のお金持ちのボーイフレンドがいます。

相手には3人のこどもと奥さんがいますが、ウガンダでは数人の奥さんを持つことも、家族がいても他にGFやBFを持つことも、普通のことなので、二人は仲良くドライブしたりご飯を一緒にしたりしています。


ジャッキーのお給料は平均からすると少し高めですが、弟の学費を出したりお母さんの家の雑費を助けたりしていて、いつもお金がないないといっています。

それでも、欲しいものは計画的にお金を貯めて手に入れるので、いい家も家具もテレビもDVDもすべて持っています。

娘のソフィーも私立の学校へ入れています。


そんなジャッキーの夢はやはり、自分の土地・家を持つこと、日本にいくこと、です。


Hello from UGANDA !!


ジョエルはボクシング仲間のジェームスの従兄弟です。

ジェームスが彼の村に連れて行ってくれたときに会いました。

彼はキリスト教のBornAgainという宗派の信者で、そのときは私に対していかにその宗派が素晴らしいか、唯一の真の教えであるか、ということを懸命に説こうとし、ことごとく私は反論し、あまり良い出会いではありませんでした。

けれど、ジェームスがあてにならず、村へはジョエルに連れて行ってもらうようになり、その真面目なところや気遣いを知るようになり、仲良くなりました。

ジョエルは医者を目指して勉強中です。

頭がよく幼稚園から飛び級で3年生に進級したとか、いつも一番だったときいていたのに、現在21歳でセカンダリーの6年生(高校3年生)、それも6年生を2回繰り返しています。

悪いけれど夢ばかりが先行して現実がついていっていないのではないかと思い、聞いて見ました。

確かに飛び級で3年生になったのだけれど、その後お母さんが亡くなり親戚の家に預けられた、そこで学校には通わせてもらったけど、お母さんを失った悲しみと慣れない環境で勉強に身が入らず、どんどん遅れていった、何度も同じ学年を繰り返し結局お父さんのところに戻れたときには、小5からやり直すことになった、これがセカンダリー6年生なのに21歳である理由だそうです。

そして去年大学にはいるための全国テストを受けたのだけど、国が学費を出してくれる特待生枠に成績が届かなかった、だから今年もう一度受けなおすのだ、ということでした。

ジョエルの一番上のお兄さんは、首都カンパラで電気技師をしています。

そのお兄さんが全面的に学費の面倒を見てくれているのですが、さすがに医学部の高い学費を5年間援助する事はできないため、もう一年セカンダリー6年生を繰り返し、みっちり勉強し、特待生枠をとるのだと言っています。

ジョエルの夢はもちろんお医者さんになることですが、それにとどまらず国会議員になって村に道をつくりたい、さらにはお母さんが亡くなったときに気落ちして数十頭いた牛をほとんど手放してしまったお父さんに牛を買って牧場をやらせたい、貸家をつくってその収入で暮らせるようになったら医者をやめて、村で暮らしたい、とそこまで思い描いているのです。


Hello from UGANDA !!

左がスーザン




1 スーザン

スーザンは確か今年の秋で26歳になります。

小学校しかいっていないのに、その後独学で学んだ英語は自分の部族語と同様に操ることができ、パソコンも独力でメールアカウント開きEメールをやり取りできます。

自分でも一度習った事は忘れない、と言っているようにとても頭の好い人なのです。

病気のお母さんの面倒を長い間一人で看て、そのお母さんが亡くなって首都のカンパラに出て働き始め、今も働き続けています。

妹も弟もウガンダの東大、マケレレ大学に行っています。

彼女は高い能力を持ちながら自分だけ進学できなかったことをやっかむでもなく、妹や弟を誇りに思っています。


私がスーザンとであったのは、彼女が働くスーパーマーケットです。

彼女はインド人が料理に使う食材の売り場を任されていましたが、私や他の日本人が行くと、何が買いたいのかを聞き、売り場を案内し、質・量・値段的に一番お得なものを教えてくれるのでした。

そうして仲良くなっていったある日、「小さいとこだけど」と言いつつ、彼女の部屋に招待してくれました。

案内されて彼女が借りているその部屋の扉を開けると、その扉の幅しかない、シングルベッド一つが丁度納まるだけの空間でした。

私や一緒に行った友人たちは唖然としたままそのベッドの上に座らされ、スーザンは早朝に市場に買出しに行ってきたという食材を外で調理してご馳走してくれました。

亡くなったお母さんから、「来てくれたお客様を空腹で帰してはいけない」と教わったといい、たくさんの料理や果物をふるまってくれました。


その当時勤めていたスーパーマーケットは、インド人の経営で毎日朝9時から夜9時半まで働かされ、休日も無く、安い給料でこきつかわれ、彼女はとうとうその店をやめました。

知り合いの伝で小さい商店の店番の仕事をみつけ、今はそこで働き、店の置くの倉庫としても使っている小部屋で寝起きしています。

 

そこでも決まった休みはなく、自由な時間もほとんとなく、

「人につかわれるのはもうこりごり。自分のレストランを持ちたい」

と言う夢にむけて、少しずつ貯金をしているところです。

日本に帰ってきて早2週間以上が経ちました。


なんだか腑抜けてます。

水がじゃあじゃあ使い放題なこと、電気が安定していて、日中でもつけていること、なんでもかんでもひとりに一つずつ以上あること、便利なこと、おいしいこと、すべてがなんとなくむなしいのです。

お天気のせいもあるかもしれませんが。


これからしばらくはウガンダのことを整理しつつ、出会った人々の紹介やエピソードを書いていこうと思います。



とうとう日本へ出発です。

と言っても、今これを書いているのはまだ数日前なので、どんな気持ちで空港へ向かい、飛び立つのかなあと、思います。

このブログは、また思い出したことなど続けて書いていこうと思っています