埼玉の北部にある団地に到着したのは、夜中の12時前だった。

夏の始まりを告げる虫の鳴き声が、静けさを一層際立たせている。

私は妻・美咲の実家の階段を一歩一歩上がった。

心臓の鼓動が早まり、不安と緊張が胸を押しつぶしていく。


駐車場を見渡しても、目印だった赤い車はない。

車がないだけで、誰もいないとは限らない。

自分にそう言い聞かせながら、暗い玄関にたどり着いた。


インターホンを押した。

何度試しても返事はない。

静寂だけが耳に届く。

「こんな時間に訪ねたら迷惑だろうか」

そんな思いが頭をよぎるが、引き下がるわけにはいかなかった。


私は扉を3回ノックした。

「夜分遅くに申し訳ありません。健太です。

お父さん、お母さん、美咲がいないんです。

子供たちもいません。それで…来ました。」


返事はなかった。

玄関先の静けさが冷たく心にのしかかる。

不安がじわじわと広がる中、ふとポストに目をやった。


ポストの中は整理されていた。

郵便物が取り除かれていることから、生活感があるのは確かだった。

美咲の両親は家にいるかもしれない。

しかし、団地の逆側に回り、ベランダを見上げても、中の様子は分からなかった。

家の中は真っ暗で、物音ひとつしない。


夏の虫の声だけが、夜の静寂を支配していた。

その音が、不安と絶望をさらに増幅させていく。


電話をかけても、美咲は応答しない。

LINEも既読がつかない。

両親への連絡も、反応はなかった。

まるで私の存在を拒絶するように、すべてが閉ざされているようだった。


「もう二度と会えないのではないか…」

その考えが頭を離れない。

19日に私が帰ると知っていた美咲が、子供たちを連れて姿を消した。

ただの家出ではない。


何が起きているのか分からない。

それでも、現実を受け止めるしかなかった。

私は心の中で決意した。

父に電話をかけよう。


これまで父は、私に対して直接言葉にはしないが、

「息子を誇りに思う」と周囲に話していたことを知っている。

そのことが、私にとって大きな励みになっていた。

そんな父に今、自分が追い詰められていることを伝える。

その決断は、簡単なものではなかった。


離婚の可能性を告げる恐怖。

これまでの自分の姿とのギャップ。

それでも、助けを求めるしかない――父の支えが今は必要だった。


次回予告:父への告白――追い詰められた心の先に


美咲と子供たちが消えた――それはただの家出ではない。

この異常事態を前に、私は父に電話をする決意をした。


父に頼るのは簡単なことではない。

だが、この状況を打開するためには、もう一人で抱え込むわけにはいかない。

追い詰められた私が選んだ、次の一手とは――。