親の愛情を受けて「何不自由なく育てられた」人は、自分が生きること自体は肯定されているけど、親に依存して生かされてきたので、親がいなくなると、自分の存在を肯定してくれる人がいなくなってしまうんですね。
すると、必死で親以外の「自分を肯定してくれる存在」を求め始めるのですね。
今の時代の若い人が、恐ろしく孤独に弱かったり、SNSで「いいね」欲しさにバカな投稿をし続けるのは、みんな「自分を肯定してくれる存在」を求めているからです。
そういう状況がすなわち「自己肯定感」が低いという状況なんですね。
親に何もかも与えられて育った人は、親のおかげで生きることしか知らないので、自力で生きていたという経験がないのですね。
自己肯定感のない人、低い人は、
「人は一人では生きて行けない」という感覚が非常に強いのです。
一方、自己肯定感の強い人は、多くの場合、
「自分は自分の力だけで生きていける。他人に依存しない」
という自分を頼りにし自分を信じる感覚を持つのです。
自己肯定感とは、
他者に依存した自己の存在感ではなくて、自分が自分に対して絶対的な安心感を持っていて、
たとえ他人が自分を馬鹿にしようと否定しようと、
友達が誰もおらず孤独であろうと、
常に自分で自分の存在を素晴らしいと肯定でき大切にできる感情です。
社会的成功者の多くは自己肯定感の固まりのような人たちであり、多くの場合孤独を愛し一人でいても孤独感を持つ機会がありません。
この「自己肯定感の高さ」に意味的に近い存在としての言葉には「自信を持つ」という言葉があります。
自己肯定感が高い人は、周囲から見て絶対的に安定感があるように見えます。何にも動じない感じがします。
なぜなら、全てのことに対して自分に責任を持って生きているからです。何かの失敗も他人の性にしたりしない強者だからです。それが自己肯定している状態です。
その意味で、何もかも親に与えられ、自分の安心感を他人の「いいね」でしか得られないタイプの生き方をしている人は、常に自己肯定感は低いんです。
自己肯定感が低いから、一人にされると、誰も自分を肯定してくれなくなるので恐怖におびえて、どう生きれば良いのかわからず、ガタガタ震えてしまうような弱い人間になるのですね。
逆に言うと、親に甘やかされて自分だけで生きる力がない弱い人間なので、それを自己肯定感の低い人というんです。
別の話として、
よく世間では、「虐待されて育った人、親の愛情を受けずに育った人は自己肯定感が低い」と言います。
これは、親に自分の存在を否定され(親に愛されない)て育ったことで「自分は生きてはいけない価値のない人間ではないのか?」という感覚を刷り込まれてしまっているのですね。
これは、どちらかというと自己肯定感が低いというより、親に自分の存在を否定されて、生きること自体を自分で否定してしまっている状態です。
自虐的だったり、自罰的、何かあっても全て自分が悪いと思い込んだりします。
つまり、親の憎しみや排斥、無視を受け続けた結果、「自己否定」しているのです。
そう言う人は、他人に愛を受けた経験がなく人を信じられなくなるので、逆に他人に愛されることで満足することができなくなるんですね。どちらかというと「他者承認」を素直に受けられなくなる問題が起きます。
そうした人の中には、自分に植え付けられている親の憎しみを乗り越え、自分一人で生きて行こうと努力して、自己肯定感を育てて強く生きる人と、
逆に、反動として、親以外の人、例えば恋人や教師、強者に徹底的に依存して、いわゆる共依存によって他人に自己を肯定してもらうことに異様に執着して、相手を束縛したり尽くし過ぎる人に分かれるんですね。