船に乗り込むと、早速ベットの確保に向かった。
二段ベットの上になってしまえばいろいろ面倒だと思ったのだ。
入り口に一番近い荷物置き場にも一番近いベットをまんまと確保した。
荷物から離れることに少しの不安を覚えながらデッキを探した。
船を見送る場所が別にあると聞いていたからだ。
どこだ・・・・・・・・・・・?
あったあった。
船に乗り込む前には来ていなかったもう一人のアホの顔も見える。
見送りの人たちの居る場所と船までが15mくらい離れていて、
その場所の後ろには車がゴーゴーいいながら走る高速道路があるので、
かなり大声で叫ばないと話が出来ない。アホと俺たちも叫びながら会話をしていた。
そんな中で船のデッキに居る一人の小さな女の子の泣き声が
そこに居たみんなの耳に飛び込んできた。
デッキの柵にしがみつき、向こう側の見送りの人たちの中の一人を
必死で呼んでいた。本当に必死で呼んでいた。
お母さんだった。
彼女はまだ若く、見送り台にしゃがみこんで両手で顔を覆って泣いていた。
女の子には中年の女性が付き添っていたが、当時中国語が全く出来なかった
自分にも彼女達を取り巻く状況を想像するのは簡単だった。
私はその親子を持っていたカメラで、写真に撮りたい!という衝動を覚えながら、
撮ることが出来なかった。撮れなかった。
ショボイと思った。自分を嫌悪した。
表現をする者としてそんな覚悟も自分には無いのかと呪った。
それと同時に、そんな親子に平然とカメラを向けられるほど表現や芸術などは
大そう素晴らしい物なのか、わからなかった。わかりたくなかった。無力感しかなかった。
船の出港が遅れることを近くの誰かが言っていた。