物が運ばれる仕組み

物が運ばれる仕組み

物が運ばれる仕組みを知る

Amebaでブログを始めよう!
近世封建社会は、太閤検地をはじめとする諸政策によって、直接生産者層の独立を広範におし進め、それによって生れた年貢負担農民(本百姓)を支配の基礎とした。
仙台藩領の漁村にも当然検地が行われ、広義の農村として把握されたから、漁民は百姓と呼ばれ、漁村もその正式な構成員である本百姓によって形成されていたわけである。
江戸時代における東北地方の漁村の中でも、とくに三陸沿岸に位置する漁村の多くは、立地条件からして耕地が狭陰で、しかも生産力の低い下畑(田)・下々畑(田)がその中心であったから、村民(漁民)の生活手段の多くは、海と山とに求めざるを得なかった。