台湾からの友人は、台北郊外の禅寺で、

十年ほど修行し、No2 まで、昇進した実力派である。笑

 その道を知らない私だが、食事は、肉魚が無い、

いわゆる精進料理ですねえ。

 十年惟(これ)で生きてると、ちょっとした動物性油のにおいでも

気分が悪くなるらしく、かえって、弱くなったともいえませんか。

 ともかく、輪廻思想により、前世を存在したと思っている。

前世のひとつは、坊主であり、皇帝の仏教弾圧により、

 逃げた坊主どもの中で、二人、寺に残った。

 ひとりは、今の妹だったということが,

妹の座禅でも同じ回想、によって確認された。

 さて、宮沢賢治の「ヴェジタビリアン大祭」は、

 菜食論争ですが、私は、はっきり考えてはいなかった点が、

 ありました。つまるっところ、動物界をわれわれが輪廻するので、

  豚を食ったら、前生来世の自分や友、等々を共食いしたことになる。

植物界をわれわれは関係しない。転生論では。

 宮沢賢治は、これから呼んでみましょう。

 そこで、貪を戒めれば、野菜を2倍とすればよいことになっているものです。笑

 絶対の菜食論に取り組めば、ひょっとして、そこのあなた、

 良い結果に成るかも分かりませんよ、そうですねまず、

 私がやってみます。

 アイヌの文化には、手の小指と手首の間の肉に名前がある。:金田一博士

  その肉を神にささげるのだという。