年末年始は、この本を
読みきることにする。

あけすけな
リーダー論が面白い。

数年前にまっさらな
状態から始めて、

1500人以上集めたイベントを
主催したことがある。

けれど、
取材していただいたり
光が当たるほど、
引きたくなった。

どうしたら
よかったんだろう、

分からなかったあの時の私に、
送りたい内容。

以下、本文から一部抜粋。


この2人のリーダーは、
他の優秀なリーダーと同じく、

決定的な瞬間に
リーダーに求められるのが

「自分らしさ」【では無い】ことを
重々承知しているのである。

少なくとも、
「自分らしくある」とは
自分の本当の感情を大切にし、

それをあらわにすることと
解釈する限りにおいて、

リーダーは決定的な瞬間に
素の自分であってはならない。

自分の気持ちに
忠実に振る舞う事は、

むしろ【リーダーが
最もやってはならないこと】
の1つである。

リーダーは、
【その状況で求められる通りに、
周囲の人が期待する通りに、】
振る舞わなければならない。

そして多くの場合、
人々が求めるのは、

大丈夫、きっとうまくいく、
と言う安心感である。


スタートアップには
浮き沈みがつきもので、

ビアンキーニにも
苦しい時期はあった。

親しい友人には不安や悩みを
打ち明けたこともあるが、

それ以外の場では
常に楽観的に明るく自信たっぷりに
振る舞っていた。

これは、仕事に本当に
情熱を持っていたからでもあるが、

起業家には情熱や自信が
不可欠の資質であり、

内心はどうあろうと
公の場ではそれを常に
態度に表さなければならないと

覚悟を決めていたからである。


引用終わり。

覚悟がまだ、なかった。
それに尽きる。

そして、自分は褒められるに
値しない、と
受け取る器の蓋を自ら閉めていた。

もし、そんな制限をしなかったら
どうなっていただろう。

流れ込んでくるママに
豊かさを受け取っていたら?

そして、求められる姿すら
ホログラムであり
今生だけの役割だと、

その瞬間だけの
アトラクションだと、
楽しめたとしたら?

自信に満ち溢れ、
対する人に安心感を与える人物。

【私なんて、そんな人間じゃない】

そんな制限なんて無かったら、
私はそういう人物になりたいのか?

…なりたい。

金銭などひとまず置いて、
(流れ込んでくるなら受け取る)
この世で関わる身近な人に
安心感を与える、だなんて
なんて幸せなことだろう。

私が不安になったり
不安定なママである限り、

出会う人に与えるのは、
制限された硬くて冷たい
閉じた世界だ。

開こう。暖かく、おおらかで、
柔軟であり、朗らかでもある。

絵に描いたような、
器や大きさ、
自分の人生のリーダーでありたい。

恥ずかしい、と
まだ気持ちのどこかで
自分自身が囁くけれど、

新しい自分に成る、

世界は思うまま。

それを試しながら体現しても、
しないままに死の床についても、
同じ人生だ。

100年後にはどちらであっても
すでに忘れ去られている。

それならば、選ぶだけ。
誰に遠慮していたのだろう。

自分の人生なのに。

私は、どちらを生きる?
自分の人生のリーダーになるのか?

なる。
そちらを選べばいいだけだ。