随分とこのブログにも来ていなかった。
更新、しなきゃな~…
明日でいいや…
が、ダラダラと続くと、こうなる。
久しぶりに来たのは、ちょっとTwitterで長々と書くのも憚られるなぁと思った内容なので。
今日、Twitterに新しいフォロワーさんがいらっしゃって、プロフィールを拝見したところ、
前十字靭帯・半月板損傷、そしてその再建手術を行われた方だという。
かつてわたしも同じようなことがあり、手術をしたので、彼女のブログを拝見していると、
当時の感覚が生々しく思い出され、手術をした左膝が少しばかり痛むような気がする。
そんな思い出話を少ししたく。
今となっては想像もつかないだろうが、小中学生の頃のわたしは、それはそれは活発な子どもで。
小学校では期間限定の部活が盛んに行われていたのだが、冬はミニバスと駅伝、夏は水泳、他にも陸上にコーラス部まで参加し、
男子限定だった相撲部以外の部活にはとりあえず足をつっこむような子どもだった。
中学ではバスケットボール部に入って、1,2年の頃はベンチ入りはしていたものの試合にはたまにしか出られず。
それでも2年間、楽しくバスケをね、やってたんですよ。
でね、忘れもしない。2年の2学期も終わり、もういくつ寝るとお正月、な冬休み。
その日の部活は顧問の教え子(当時大学生くらいだったのかなぁ…)の、男の先輩が練習を見に来てくれるっていうので、それはもうみんな張り切って練習してたんですね。
今日が終われば年末年始で部活も休みだし、精一杯やるぞー!的な感じもあったんだと思う。
わたしもせっせとメニューをこなしていたんだけど、なんだか左膝に感じたことのない違和感。
中学生のわたし、馬鹿だったんですね。
「おっこれはもしかして、○○くんが言ってた成長痛ってやつですか?!わたし伸び盛り?!ひゅ~う!」
お察しかと思いますが、靭帯の痛みだったみたいで。
今年最後の練習だし、先輩方来てくれてるし、最後は5対5して終わろう、ということになったんですが、
まぁ成長痛だと思ってたわたしはね、普通にね、張り切って試合に出ますよね。笑
レイアップシュート打って、着地の時にディフェンスの同級生と激突して、着地に失敗。
あの音も一生忘れないだろうなぁ。体の中で「ゴキッ」って音がするんです。全身に響くような。
その後、激痛。
体育館の奥コート、入口から向かって右側のゴールの下でね、膝を押さえたまま倒れて、起き上がれなくて。
異常だと思った顧問が駆け寄ってきて、先輩方にも手伝って貰って起こしてもらったが、
激痛と変な汗が止まらない。
パイプ椅子に座らされ、左膝のアイシングをされていたが、熱を持ってふくれている左膝。
おかしい。
そのまま部活はわたし抜きで続行され、練習が終わり。
左足がうまく使えない(歩こうとすると痛みが走る)ため、自転車で帰ることなどできず、
顧問におぶられて車に乗せられ、そのまま送ってもらったように思う。
よくよく考えたら、中学のすぐ近くに整形外科があり、そこで手術もしたので、顧問が最初からそこに連れて行ってくれていればよかったのに…げふげふ。
自宅に送ってもらい、そのまま父親の車に乗って、すぐ近所(歩いて5分くらい)の総合病院へ。
なにせ年の瀬も押し迫った頃。多分あの医者は整形外科医じゃなかったんだろうな…と思ってるんだけど(はっきりと覚えてない)
診断としては、「半月板損傷」
アイシングで様子を見ましょう、とのこと。
違和感を抱えたまま年を越し、3学期に入って、サポーターをしながら部活には復帰したものの。
おかしい。
膝がかっくんかっくん、抜けやすくなって、正直ほとんど練習には参加できていませんでした…。
足を使わずに済むハンドリングやら、筋トレやら、動いてもフリーシュートのボール拾い程度。
で、まぁね。ボール拾いですよね。極めつけの一撃を食らわせたのは。
中学3年になって、最上級生が部活出来なかったの、悔しかったんですよね。積極的に1年に混じってボール拾いしてて。
膝が抜けやすくなってたので、なるべく左膝は動かさないよう右膝だけ曲げてしゃがむっていうのでやってたんですけど、
たまったま、左膝も曲げちゃって。またあの音。
ゴキッッッッ
あの音です。
あれ自分にしか聞こえないのかな。周りにも聞こえてたのかな。分かんないけど。
この時は冬休みの練習と違って、放課後の練習。
放課後の練習ってね、2面ある体育館を4つの部活で使ってたんですよ。
1面をバスケ部(男女でハーフコートずつ)
もう1面をバレー部(男女で使う)
わたしその当時の彼氏がバレー部でな…しかもよりによって、ネットで2面を仕切ってる体育館の真ん中でやっちまったもんだから
バレー部からもすごい人が駆け寄ってきてて。
いたい…しにそう…あ、○○(彼氏)いる…いたい…あぁ…
ってな感じでしたね(どんな)
またも熱を持って、膨れ上がってきて。
流石に顧問もこれはどうしようもないと思ったのか、近所の整形外科へ担ぎ込まれました。(最初からそうしてくれ~!)
で、前十字靭帯が、「無い」って言われました。
「は?」っていうね。無いってどういうことやねん、と。
どうやら、膝がかっくんかっくん、大きな痛みはないものの抜けていく度に(どうやら痛みに慣れてしまっていたようで)靭帯がすり減り、
気がついたらなくなっていた、とか、そんなことを言われた気がする。
膝が膨れ上がっていたのは水だか血だかが溜まっていたようで、太い針を膝に刺されて抜かれた。
手術がいるね。という話になったのが3年の春。
幸運なことに、その学校の近くの整形外科の先生は、膝関節の外科手術、特に前十字靭帯再建がお得意だったみたいで。
手術の予約を取るのは大変だったみたいだけど、なんとか夏休みにお願いすることが出来た。
中3の夏なんてね、高校受験でみんなが必死になってるときなのに。笑
1ヶ月ちょっとかな。学校のチャイムが聴こえる場所で入院。
手術のことはというと、実はよく覚えてないんだけど、
何か好きなCDあれば手術中かけておくよ、って言われて、何かを渡したと思うんだけどなぁ…
手術の内容としては、左太ももの筋肉の腱を、無くなった靭帯の代わりにするよ、というようなもの。
まぁ。覚えてないですけど。
とにかく術後、麻酔が切れた後、痛くていたくていたくていたくて、もうこんなことならいっそ殺してくれって思ったことは覚えてる。
術後すぐは二人部屋(個室は空いてなかった)だったんだけど、手術日は幸運なことにお隣がいらっしゃらなかったので、
泣き叫ぶわたしに看護師さんが「周りの部屋は気にせんでええ、叫んで痛みを発散できるなら叫び。」などと言われた覚え…
(痛み止めとかください)(くれたのかもしれないけど効かなかったんだろうな…)
ギプスを経て、たっかい装具(当たり前だけどオーダーメイド)をつけて。
夏休みに入ってすぐ入院して、結局夏休み中には退院できなかったけど、
2学期が始まる頃には松葉杖で動けるようになってたから、病院から通学してたな。
運動会にも出れなかったので、フォークダンスの甘酸っぱい思い出なども、無い。(フォークダンスは中3だけの演目)
懐かしくなってダラダラ書いてしまった。また書ける時に書こう。