人妻ナツコの、ろすとばあじん物語 -123ページ目

生きる歓び

*これ、いやらし記事ではありません*



今日はカウンセリングの第一回目でした。


ここで書くのはどうなのかなと迷ったのですが、


もともと「失われた性欲(以外のものも)を探す」というブログですので


自分のために書いていこうと思っています。


いやらし記事をご希望のかたは、どうぞ、飛ばしてくださいね。


とても長いです。とても重苦しいです。








わたしの通っている病院は、依存症の専門病院です。


夫がアルコール依存症なので、その家族相談ということでわたしが通院しています。


時折、イライラ抑制の漢方薬や、眠剤を頂きますが、投薬はほぼなしです。



けれどね、夫本人は病識がありません。自覚がないのです。


わたし自身が知り合ってつきあって結婚してるうちに9年たって、


妊娠中に殴られて、やっと気づいたくらいですから。


だいたい、本人は殴ったことを覚えておりません。


・・・このようなことも、じょじょに書いていきましょう。



いまは、かりそめの平和が流れています。


夫はたまにしか帰ってこない。殴られないし、こどももおびえない。


ゆがんだ問題の上に、崩れるのを前提で必死でつみあげている家庭です。



いちじは「死んでくれたら、わたしたちは幸せになれるのに」と心から思ったのですが


今ではかれが黙りこくってお酒を飲んでいる後ろ姿をみると


「助けてくれ、助けてくれ、俺は苦しい!」と叫んでいる声が聞こえてきます。


聞こえてくるけど、


かれの人生はかれが生きるものなので、何もしてあげることはできません。


それで、わたしができること・・・・家族相談を続けているのです。



ながねん続いた、共依存に、飽きたわけですね。


9年。長かった。


そして、完全に飽きて、自分の人生を生きようとするのに、そこから3年かかりました。



そこで、性欲がないことに気づいたのです。


ひどいでしょ。これから楽しもうと思っていたのよ。


正直いって、一日いちにち、こどもと一緒に生き延びることで精一杯で


男のひとに触れたいとか、やめろと言われるまでなめたいとか、


なめてる間に唾液が毛のなかで泡立っているとか、


つながってる部分を見ながら指でさわりたいとか、


唇をいつまでもいつまでも撫でてほしいとか、


そういうことを考えたり、している余裕がまったくなかったのです


(結婚生活での性行為にかんしては、いまは、話したくありません)。


ああ、つまらない。ダストシュートに捨てたいようです。


つまらないけれど、


わたしにはわたしの時間が流れている。比較はやぼというものです。




それで、カウンセリングを希望したのです。


自分のことを整理したくて。


依存症について深く理解しているかたと、話したくて。


わたしが、どうやって、わたしを縛っているか、知りたくて。


その鎖をほどいたら、何があるのか、見たくて・・・・




カウンセラーは、わたしと同年代であろう、ナチュラルな柔らかい雰囲気の女性でした。


話しやすくて良かったです。


45分間、話してみてわかったことがいくつかありました。


*常に笑顔でないと話せない


*「楽しくなかった」という表現を用いる、


  「つらかった」「かなしかった」と言えない


*こどもの件に関しては、泣いてもいいと思っている


 (つまり、自分の件では泣いてはいけない)


そして、このカウンセリングを通して目指していくのは


「生きづらさを減らしたい、楽しく生きていきたい」ということ、で纏まりました。



そうです。


生きる歓びをかんじたい。


空気を吸いたい。


日の光を浴びたい。


木々の梢を見上げたい。


夜明けの空を飛ぶ、鳥になりたい。



夢は、暗闇で輝くような母子家庭です。


DVシェルターにはお世話になりたくない。


生活保護も、母子寮も、その他の隠れ場所も使いたくない


(そのような環境で暮らされているかたをさげすんでいるわけでは決してありません。


 わたしもその類の施設があることで、安心して生きておりますので)。



さあ。


サバイバルゲームと、わたしの性欲。


どう折り合いをつけていきましょう?


一筋縄ではいきません。


みだらに、真剣に、いきのびてゆきたい。
























幼女の妄想

わたしの、はじめてのいやらし記憶は


2歳のころです


(3歳のときにお引っ越ししたので、年齢が特定できます)。


ちいさな団地で、わたしはテレビを見ていました。


テレビはたんすの上においてあるので、立って見ます。


たぶん、外国のものらしいアニメを放送している。


可愛い女の子が、追われているというお話です。


追いかけてくるのは、黒ずくめのスーツに、サングラスに、中折れ帽みたいな


スパイというか、闇の組織というか、そんなイメージの男たちです。



もうすぐ捕まる・・・、というところで、いつだって女の子は機転をきかせて逃げるのです。



わたしは、「なぜ捕まらないんだろう、つかまればいいのに」と思っていました。


「つかまったら、どうなるんだろう。


 あの黒い男のひとたちに、よってたかって、何かされてしまうんだ」


そう思うと、なんだかわたしは隠れたくなります。


六畳の和室と、キッチンだけの狭い団地で、隠れるところは押し入れか、カーテンのなか。


押し入れにもぐりこんで、


あの女の子と、黒い男たちのことを考えます。




今となにも変わらないわ。






頭のなかをかきまわして

本棚からみつくろってきた、妄想読書資料


「蜘蛛女のキス」M・プイグ 梨香さんもお好きだと聞いてもいちど読みたい。


「やわらかい話」吉行淳之介対談集


「アウトサイダー」コリン・ウィルソン


「みずうみ」川端康成



もっとあれなのは子どもの目にふれぬよう隠してるので、とりあえず。




*橋本治「恋愛論」は未だ見つからず。実家においてきた=廃棄かしら。


自分にあったあれやこれを周りにしゃべらずにいられないひとがいる。


それは、自分のなかに、感情を溜めておけないからだ


・・・つまり、陶酔能力の欠如である


という一節があったような気がするのです。違ったかしら。


ネットで調べるような孫引きより、


おぼつかなくても自分の頭のなかを探りたい・・・*





さんぴい

最近、いいなと思う妄想。


いつも、ブログを読ませて頂いているLRさんから頂いたコメントと、


梨香さんの素敵ないやらし報告で、どんどん膨らんだシーン。



自分のお相手さまが、もうひとり男のこを呼ぼうって言うのです。


お相手さまは、触れられているわたしを見てる。


触られるだけ触られて、


出し入れするのは、お相手さま(このへんが、まだまだ可愛いナツコ)。


それで、当て馬の男のこのを、くわえるの。


あーん。


この、くわえてるってとこが、すき。


たぶん、気持ちよくて声がでて、ぶるぶるって口から飛び出ちゃうのだけど、


お相手さまが


「ナツコ、ちゃんとくわえなさい」って言うのです。


このとき、もちろん四つん這いですよね。


なめられてる男のこと、


ついてるお相手さまと、目が合う立ち位置だけど、どうするのでしょう。



・・・なんて思ってたら、読みかけの「瘋癲老人日記」に入っている「鍵」、


このパターンだったのですね。忘れていました。


もう性欲も体力も衰えてきた夫が、


いやらし度充実の年下妻に、


若い男をあてがうのです。



むかしから、してることは一緒なのね。


時代をこえて、繰り返しちゃうほど、楽しいのかしら。


解説にあった


「四十五才の妻は、いまや淫欲旺盛な、女の肉体の成熟の頂点と言うべき」


という一説を


「三十六才のナツコは」と置き換えて読んで、楽しんでいます♪









ずっと、嘘をついています

わたしが男のひとにした、いちばん悪いこと。


浮気でもなく、携帯を盗みみたことでもなく(こわあい)、


それはきっと、演技をしたこと、だと思います。



わたしね、もともと、経験じたいが少ないのですけど、


男のひととしていて、どこかへいったことなんて、ないのです。


いちども。



演技のうえでは、何百回も、なのに。



背中を弓なりにして、


可愛いなんて言ってられない表情で、


可愛いなんて言ってられない声で、


からだの中心が震えだして、


だんだんそれが全身にひろがって、


痙攣したようになる。


なかで何度もしめて、


ぎゅうーっっと絞って、


白目もむいたりして、声もかすれてしまって、


がくっと。



笑ってしまうでしょ、


こんな稚拙な技巧を見破ってくれるひと、いませんでした。


嘘つくような女には、見破れない男のひとがちょうどいいのでしょう。


いれるだけでいく?


なんどもなんどもいく?


ふふ、わたし、そんなイイこと知りません。


きっと、ほんとうにほんとうに気持ちいいときは、こんなんじゃない。



だって、わたしは自信がないのです。


いっぱい感じたら、好きになってくれるかなって思ったの。


いっぱい感じたら、喜んでくれるかなって思ったの。



そんなこと考えてるから、なんにもうまくいかない。


大事なとこで嘘ついてるひとと、うまくいくわけないですよね。



でもね、すぐ気持ちよくなることは、なるんです。


手のひらを撫でられているだけで、もういれてーってぐらいになれます


(こういうの、昼間の喫茶店とか、ふつうに本屋とかでされるのが好き)。





こんど、誰かと触れ合うときは、


ちゃんと説明してみよう。



憧れの中いき・・・



この話、女の子にすると、


わたしみたいに知らない子は「そうだよね」って目が濁るけど、


知ってる子は「ふーん」って言いながら、目が輝いているの。


それで、露骨にじゃなく、さりげなーく聞くと、


ものすごく嬉しそうに、お相手のことを話し出すのです。


そんな時の女のこは、とってもいやらしくて、キレイ。


いいなぁ♪


わたしもそんなふうに話す日を願いましょう。



















おおきいの、きらい

年下の男のこは、なかなか仕事がおわらない。


わたしは男のこの会社、最寄り駅まででかけていって、


コーヒーショップで本を読んでまっている。


ずいぶん遅くなって、かれがやってくる。


ごはんを食べる。おさけを飲む。


わたしはもう帰れない時間。



こういうとき、わたしは何にも考えないで、男のこの部屋についてゆく。


それで、するときも、しないときもある。



タモリクラブなんか見て笑ったあと、


先にお風呂にはいらせてもらって、ふーと座っていると


後ろから男のこが抱きしめてくる。


「俺とおなじシャンプーの匂いなのに、ナツコの匂いがする」と


髪の毛に顔をうずめてきて、


あれれ、と思ったら接吻になった。


(あ、今日は、するんだ)と思いながら、唇をうける。


すきだ、すきだよ、すき、という接吻だ。


(ああ、そうだったのか。そういうわけで、私によく連絡してきたんだ)


ここでやっと気づく、のろまなわたし。恋されてたんだ。





この夜もうひとつ知ったことは、


大きすぎると、つまらない、ということだった。


わたしは入り口が狭くて、


病院でも医師に「いちばん小さい器具をつかってるのに、はいらない」と


ため息をつかれてしまう。


かれは、自分から「おおきいでしょ」と言ってしまうほど自信があるらしかったけど、


はじまってから、そうも言えなくなってきた。


入らないんだもの。


何回も試してみても、ぴったりしない。


そのうち、男のこも「痛い、途中までしか入らないし」とぬいてしまった。


わたしもひりひりする。


ゆびをいれて、


「なかは広いのになぁ。


 ・・・あ、ここ、なんかあるよ。これ。ほら、これ。なんか、固いの。


 それに、これのまわり、なんか、なんだこれ?」


しきりにわたしの顔をみながら確認している。


「なんか、いっぱい、あるんだけど。ぐにょぐにょしてる・・・


 ナツコの、は、ワンダーランドだ」


ああ、この子、若いなぁ、とおもう。


もういちど、いれようということになって、ゴムが足りなくて買いにいって帰ってくる。


ハァハァしてる・・・かわい。


買ってきてくれたジュースを飲ませてもらいながら話していると、


「ゴム、2枚して外でだすと完璧なんだけどね」なんて言う。


「にまい?二枚して、外で?そんなことしてるの?


 ・・・、わたし、いつも生だけどな」


「生なのーっ?まじで?まじで?・・・・えろい・・・」


「えろくないよー、だって相手は恋人だし」


「えろいよ・・・もしかして、中だしもしたことある?」


「うん、たまにね(ピル飲んでるし)」


「生で中出し・・・・やべえ、すげええろい・・・どんな、どんな?」


「うんとね、なかでぴゅうーって感じる。で、あとでだらーってたれてくる」


「・・・・・ナツコおおおおお」


こんなことで興奮するんだー・・・。わかいなぁ。



なめても、大きすぎるから、うまくできない。


喉のおくまでいれたくても、途中でつまってしまうし、


はやく動かしながら舌も一緒にはわせても、


カバーできる部分がたりない。


唾液がたりなくなってくる。


それに・・・・つかれる・・・・このこ・・・・ぜんぜん、いかない・・・


なんか、芯のない感じで、あんまり好きじゃあないなぁ。




「いけないと、ずーっとやらしい気分なんだなぁ・・・」と、


ひとばんじゅう、いれたりだしたり、いじられて朝になる。


ねぼけて違う女の子のなまえ呼ぶので


「へえー」と不機嫌な顔をしてみる。


「ごめん、ごめん、ごめん。

 

 ナツコがすきだから、もう別れたんだから、いいじゃん」


うん、いいけど。



身支度して、玄関に立つとまたいじられて、出かけられない。


もう、ひりひりして、痛い。


おおきいのやだ・・・




男のことさよならして、電車にのって、走っていくと、好きなひとが待っている。


まだ昼間だけど、ホテルになだれこむ。



上にのって、鏡をみながらうごくわたしを、みて、好きなひとがつぶやく。


「ナツコはほんとに、やらしいな」


そうかなぁ。やらしくないよ。


ぴったりの、が、好きなだけ。



音楽がながれてきますように

「音楽」読み終わりました。


ほんとうは、「でらべっぴん」とか買うようんとり恥ずかしい本なのに


「ミシマの本」ってだけでなんだか高尚、みたいな感じ、へん。


そうとういやらしでしたよ。


あのね。


「音楽が聞こえない」って言うのです、すばらしい美女が。


それって、「感じない」ということの暗喩なのです。


音楽が、聞こえない・・・


音楽が、流れてくる・・・とめどなく。からだじゅうに。


ああ。うっとり。




これ、冷感症の女性と、かの女を治療する精神分析医のお話なのです。


うふふ。


わたし、来週から、カウンセリングを受けることにしたのです。


なんだか、この偶然がおもしろくて。



身内に問題を抱えているものがいるので、


「家族相談」というかたちで、わたしが通院しているのです。「精神科」にね。


でも、サポートする家族、つまりわたしも問題を抱えているわけですよね。


さいきん、やっと


「自分のこと、考えよう」と思うようになって、


自分からカウンセリングを希望したのです。



・・・・と、きゅうに「メンヘルブログ」になってまいりましたが。



あ、「性欲がない」って治療じゃありません。


それも言うかもしれませんが。


性欲は、もちろんですが、


いろんな音楽を聞きたいな。


わたしのなかに、いろんな音楽があふれるようになったらいいな。




「ただ一つたしかなことは、不幸が不幸を見分け、欠如が欠如を嗅ぎ分けるということである。


いや、いつもそのようにして、人間同士は出会うのだ」


                                三島由紀夫「音楽」





















わたしは王子様をまっていました

このブログをはじめて、ほんと、自分のなかをのぞき込むことがふえました。


はじめたころと、決定的に違うことがあります。


「わたしは不幸なめにあわされて、傷ついているの。


いっぱい我慢して、性欲がなくなってしまった。


誰か、いまのわたしを本当に愛して大事にしてくれるひと、いないのかしら。


王子様があらわれれば、性欲も戻るのに」


これが当初の思いです。いえ、意識はしてませんよ、いま、思えば、です。




いまは、少し違います。


たしかに、好きなひとができたら、潤うかもしれません。


でも、


「性的に波長があって、性格もあって、趣味もあって、様々な事情もばっちりで、


 なおかつ好きになれる人」


なんて、そうそういるのでしょうか。


あはは。




事情があって、いまは、華々しいいやらし活動は自粛しています。


なにかあっても、公表しないかも。


ですが、解禁がとけたら。



なんとなくいいかな、と思って。とか、


どうでもいいけど、なりゆきで。とか、


ものすごく気分がたかまって、てきとうに。とか、


そういうことも、時には、必要なんじゃないかなぁと思うのです。



いえ、本当にするかどうかはわかりませんよ~。


でもね、わたし、


「心から愛するひととだけ、性交する・・・・そしたら、わたしは幸せになる・・・」


って思ってたんだなって。


うふふ。


かわいい。





うまくいえないのですけれど。


年も年ですから(36さいです)、


なんだかわかりきったような気分でいたかったのです。


でも、わからない。いろんなこと。


だから知りたいし、自分の手でつかんで、痛い目にもあいたいと思っています。


性欲どころか痛さもかんじないなんて、つまらないですもの。










































妄想読書祭りには、下準備が必要でした

娘を連れて、書店へでかけました。


でかけるために、朝8時半から娘を満足させるために公園へいき、その後で仕事を片付けて。


書店につき、うきうきと文庫の「た」のコーナーに急ぎますと・・・・、


無い。


「細雪」中・下と、フェア中の「春琴抄」しかない。


少し離れたお店へ移動しましたが、またありません。


ここは中公文庫の「鍵」はありましたが、「瘋癲老人日記」がない!


だいたい、大谷崎が4冊程度しかないって・・・


書店といえるのかしら。


では三島はどうかと見ると、これは、ずらーっと並んでいました。


当然次は川端ですが・・・・・、なんと、一冊もなかったのです


(よく見たら、フェア中で「雪国」はありました)。



わたしの気持ちは「瘋癲老人日記」か、または「刺青・秘密」(新調文庫)だったのです。


でもないのですもの・・・がっかりです。


いろいろと物色して、「好色5人女」を手に取りましたが、


一冊だけ離れて置き去りにされていた、三島の「音楽」が気になって、そちらを購入して帰りました。



帰宅して、娘が昼寝しましたので、


「音楽」を読み始めましたが、やっぱりもう一度、本棚を探すことに。



・・・・あった!


良かった~!


わたしは「赤に白の梅」などと書きましたが、


加山又造の装丁は、そうです、赤に金です。


記憶違いの恥ずかしさより、やっぱり美しいなあとうっとり。



早速読み始めたのですが。




これについて、わたしが何をかけるっていうのかしら。


もう出だしで、読者を選んでいます。


老人の語る古い歌舞伎のはなし。モデルが誰だか、全くわからない。


役者についても細かくダメ出ししたりして、知識と経験を感じさせます。


そして、そこからうまく老人は男色ではないのに、若い歌舞伎役者を買ったエピソードが語られ


性において開放的であることがわかるのです。


ここまでで、「婆さん」「爽子」「浄吉」という人物がでてきます。


これだけで、見開き1頁。情報量が多すぎます!



これで、読書祭りなど、とてもひらけません。


ゆっくり読み進めることにしましょう・・・ふう。



「音楽」のほうは、冷感症の美女とサイコ・アナリストのおはなし。


これは現代的な雰囲気。


なるほどね。


これでは、「瘋癲老人日記」がどれだけすばらしい作品でも、書店にはおかないでしょう。




「不能ニナッテモ、アル種ノ性生活ハアルノダ」という瘋癲老人日記。


「私は何とか感じるふりをしようと思って、いろんなお芝居もしてみた」音楽。


はからずも、「不能」「冷感症」の主人公なのに(いえ、だからこそ)性が主題の2冊。



・・・自分が読みたい本って、ちゃんと自分のこと、わかってます。


わたしも、性欲なくても、性生活はあるのです!



*いつも長文ですが、本のことになると余計長文になってしまいます。


 ごめんなさいね*

無い!

このあいだから、「秋の妄想読書祭り」を開催中です。


それで、ここにも書きたいなぁと思って、


それならテキストにあたろうかしら、と本棚へ。


「瘋癲老人日記」の「ネッキング云々」の部分が確認したくて、探しても、


あの愛する赤と白の梅の装丁の、新調文庫はみつからず。


へやじゅうさがして、こんな時間。


探しているものには出会えず、


島尾敏雄「硝子障子のシルエット」とか


プイグの「蜘蛛女のキス」とか


吾妻ひでお・新井素子の「愛の交換日記」とか読んでしまいました。


吾妻ひでおの絵を見ていたら橋本治が読みたくなって、


「キンピラゴボウ」を手に取って、


「恋愛論」も読みたくなって探したけど、無いの。



これいじょうは不毛な気がするので、


「卍」をよんで、ねます、。


「瘋癲老人日記」は、あたらしく買い直そう。


そしたら、読書祭りです。