父の癌摘出は早急に必要との事で
癌が発見されてから一週間も経たないうちに
入院日程と手術日が決まりました

術前検査にも心電図がひっかかったくらいで
大丈夫でした


入院中、母を家に独りにしておけないので
ホームセンターへいって
横になれるくらいリクライニング出来る
アウトドア用のチェアーも買ってきました
これで父のベットの横で
のんびりしていてもらおうと思ったのです

そして入院、
新しめの総合病院だったので
コンビニ等があったりしてとても便利でした
大部屋も4人で利用していて
母の為のリクライニングチェアーが置けるスペースも
確保出来ました

翌日は手術日

流石に数時間予定の手術に
母を付き添わせる訳にはいかなかったので
母のお兄さんである伯父さんにヘルプを頼み
家で待ってもらうようにしました

そして手術日
私は独りで病院に向かいました
手術前の父に「頑張って」と声を掛け
父は緊張した面持ちで手術室へと入っていきました

手術を待つ家族さん用の「待ち合いルーム」というところがあって
私はそこへ通されました
父の眼鏡と緊急用PHSを持たされました


他のご家族さんは大勢で待っていて
独りで待っているのは私だけでした
とても心細かったです

イスがベット代わりに出来るのか
ソファにブランケットも用意されていました

時間とともに鬱鬱となっていき
不安で不安で仕方なくなりました
どんどん待っている方が減っていき
私は最後の独りになってしまったのです
頓服を飲んで待つ事にしました

手術予定時間よりも何時間経っても
父は手術室から出てきませんでした

さすがに心配になり手術室直通のPHSで
「あのう、予定時間よりかなりかかってますが
 なにかあったのでしょうか」
と手術室内の看護士さんと話しました

「ちょうど今終わりましたので
 主治医がそちらに伺います
 少々お待ちください」

そして主治医が来てくれました
面談室に通され
父の小さくなった腎臓、がん細胞でぼこぼこになった尿管、
そして膀胱に転移したつぶつぶしたがん細胞
ひとつづつ見せてもらえました

「かなりおおきく身体を切ったので
 少し長く入院してもらいますが
 膀胱の転移がすべて取れているか心配なので
 外来で抗がん剤治療を受けてもらうかもしれません
 おひとりでこころぼそかったでしょうね、お疲れさまでした」
先生は的確にお話しして下さいました

平日だったので仕事が休めなかった兄
鬱病入院から退院したばかりだった母
だからひとりでも仕方が無いのです

でも大きな手術だったから誰か一緒にいて欲しかった
独りで堪えました


父が手術室から出てきたとき
父はうっすら起きているようでした
すぐに近寄っていき
「おとうさん、無事おわったよ
 よかったね」
と声を掛けたら
父の目から涙が溢れ
頬を流れていきました

父の涙を見るのは初めてです
私もつられて泣いてしまいました


兎に角終わって良かった
これで回復すれば大丈夫

私はそう思ったのですが
このあとも癌治療が続くのでした・・・・










母が退院してからの数ヶ月
両親の世話に必死になって
寝られない事もラッキーくらいの気持ちになっていました

でも心身はもうボロボロ
心療内科を受診しても
「こんなことを続けていたら
 入院を勧めますよ」
と言われてしまいました

でも両親を置いて
私だけ病院に入る訳にはいきません
入院は拒否しました

そしてとうとう朝ご飯、昼ご飯を作ろうと思っても
身体が動かない、立ち上がれないという状態に
陥ってしまいました

はじめは父から
「いつになったら飯食えるんだ!」
と怒られましたが

私が相当弱っている事を
途中から気がついてくれ
父が自分でご飯を炊いて
卵をかけたり、フリカケで食べたり
いろいろ工夫して
自分でやってくれるようになりました

午後くらいになると
私もやっと起き上がれるようになり
買い物に行き
夕食だけはきちんと作らなければ
両親に申し訳ないと踏ん張りました

そんな生活に家族がなれてきたころ
父の胃潰瘍の薬が切れてしまったので
かかりつけ医に
総合病院の消化器専門の医師が
来ている曜日がある事をネットで見つけ
早速父と一緒に受診しました

そして暫く精密検査をしていないのなら
一度受けてみませんか?と提案され
総合病院への紹介状をもらいました

紹介状といっても
かかりつけ医に出張してくれているその医師への
(自分から自分への)紹介状だったので

初回は私だけが出向いて検査の予約を取りました

二度目は検査日でしたので
父を連れて出掛けました



CT、MRI、尿検査、血液検査を受けて、すぐに結果が聞けました



・・・・・・・尿管癌の末期、左の腎臓が機能していない
もしかしたら膀胱にも転移しているかもしれない







すぐに入院して摘出手術をしましょうという事に・・・・

父は頼りがいのある尊敬できる人物でしたが
時に心弱くなる事があります

たぶん検査結果を聞いて
ビックリしたに違いありません

でも娘である私の前でしたから
顔色を変えないようにしてくれていました



手術入院に向け
ユニクロや100円ショップ、ニトリやら
必要なものを買いに独りで走り廻りました



・・・・・・父の2年間の癌闘病のはじまりです
・・・・・・母は退院後も電気療法のせいでボーッとしていました

私がひとり頑張るしかなかったのです
なんの選択肢もありませんでした
動けないなどと甘えた事を言っている場合では
なくなってしまったのです







久しぶりの更新になってしまいました
また少しずつUPしていきたいと思いますので
宜しくお願い致します


母は最初の入院三ヶ月は
食事もままならない緊急の状態でした

しかし電気ショック療法を受けてから
鬱の悩みを忘れ
なぜ精神科に入院しているかも分からず
食事とお菓子を楽しみに毎日過ごす入院生活に
なりました

その間にも私は指導医に呼ばれ
「おかあさんはもう退院しても良い状態まで
 回復しています
 病院側としてもこれ以上の入院は認められません
 退院をお勧めします」
と責めつづけられました

私はその時期
父との二人生活で
生活のリズムを狂わされ
毎日食事を考え、買い物に追われ
朝は4時起きする父に合わせて
生活がいっぱいいっぱいでした

父が脳梗塞を起してから
できるだけバランスの良い食事を
そして父が喜ぶ食事をと考えていたら
それだけでぱんぱんだったのです

自分の心療内科の先生にも
もう少しお父さんに病気の事を理解してもらえないのか
休ませてもらえないのか
と、言われていました

毎晩眠れずに、でも心配させないように
頑張り頑張り頑張り

そして母の面会にも欠かさずに行き
鬱病の私には
もうこれ以上無理という段階だったのです



仕方なく病院のソーシャルワーカーに相談し
ソーシャルワーカーの提案で
母の転院を考えつつ、病院には検討中と言って
少しでも時間稼ぎしましょうと言ってもらえました

ソーシャルワーカーの提案で
ゆっくり3件ほど父と精神科病院の見学に行きました

どこも病室の空きがないと言われて
それを指導医に伝え
退院を先延ばししてもらっていました

しかし2ヶ月が限度
個室を追い出され、大部屋に移動させられ
若い子の横のベットになり
病院に内緒で携帯をピコピコ打っている音が
ウルサいと母が文句を言い出しました


ああ、もうだめだな
私が死ぬ程頑張れば良いのだ


そう決意して
母を退院させる事を決めたのでした

母は大喜びでしたが
父の好み、母の好みの食事を作り
食事が終わって両親が寝ると
どっと疲れてソファに横になり
夜中の2時頃に夕食の片付けを済ませ
朝の4時には父と一緒に起きるという毎日を
過ごし続け
私はぼろぼろになる一途をたどるのでした

今思い出しても
辛かった

でも辛いと思う事自体
両親に申し訳なくて
夜中に独りになって泣いていました


数ヶ月後、私はとうとう動けなくなるのでした