わが子はとてもかわいいです💖

 

何をしても、かわいいし許してしまう所もありますが

 

ともすると、自分の言いなりに

 

自分の思うように相手を支配したくなるとがあります。

 

彼は私の子で、私の一部だから。

 

彼が将来失敗しないように、あらゆる武器を与え知能を与えておこう。

 

これはかつての私でした。

 

でも、魂視点で見た時、彼と私は別もので

 

彼には彼の得意不得意があり、人生の目的があり

 

私には私の得意不得意があり人生の目的がありました。

 

それを得意にしようと頑張って

 

一生懸命教育を!能力を与えよう!と思っていたころの私は

 

自分のエネルギーを彼らに不健全な形で渡していました。

 

彼らは彼らで不健全な形で奪われていました。

 

本来、子供に対して愛し、サポートすることは大人の役目ですが

 

必要以上に子供にエネルギーを向け始め

 

子供の向かいたい先を無意識に親の思いで捻じ曲げた時

 

エネルギーのベクトルが交錯し始め、ぎくしゃくが起き始めます。

 

思うようにならない子供への怒り、思うようにしたいジレンマ

 

そこから逃れたい子供の反抗心。

 

あるいは、自分の気持ちを押し殺してでも

 

親の言う事を聞かなければいけないという強迫観念。

 

親は親で自分の人生を生きないので、自分が枯渇したり

 

本来キラキラと輝かせたいと思って生まれてきた自分の人生を置き去りにしてしまいます。

 

これはとても不健全な形です。

 

どんなに、弱く見えるお子さんだったとしても

 

その子にはその子の強さがあります。

 

手を差し伸べすぎる事はその子の力を奪い

 

私がいなければならないという、親の子供への依存が始まることもあります。

 

子供の親への依存も同時に始まります。

 

(私と母の関係もそんな感じでした。)

 

だから、子供を信じるということは、

 

自分を信じる事でもあります。

 

この子は大丈夫なんだ。と子供を信じている自分を信じるんです。

 

親も子も魂視点で見れば、優越はなく、全て=です。

 

そこを踏まえつつ、自分を選んで生まれてきてくれた

 

子供の皮を被った?独立した力強い魂に

 

敬意をはらいつつ、ともに歩んでいくことが大切だな。

 

と思います。