百二

――その時、彼の部屋の扉がけたたましく開いた。

「うわっ! なんですかここ!? 真っ暗じゃないですか!」

立っていたのは、見慣れた顔――猪野だった。息を切らし、顔は青ざめているが、手にはあの強面商事のロゴ入りの新品マグカップをしっかり握っている。

ヘソクリスは眉をひそめた。
(強面商事の人間が、なぜここに……?)

これはタンポキング本社の「次なる指示」より、よほど直接的なメッセージに思えた。

だが疑問より先に、口をついて出たのは、切実な問いだった。

「猪野君! 君、どうやってここに来た!?」

猪野はきょとんとし、新品のマグカップを誇らしげに差し出した。

「あ、これですか? 社内販売で期間限定デザインなんです。
保温性がすごくて、コーヒーずっと熱々なんですよ! 欲しかったんですよね〜、へへっ」

ヘソクリスの拳が震えた。脳裏に「KY」という三文字が真っ赤に点滅する。

「マグカップの話をしてるんじゃない!
どうやって、この冥界店に転送された!? 君は人間界の人間だろうが!」

「ああ、転送? そういえば担当が変わって、『特殊配送』っていうんで運ばれたんです。
なんか体がフワフワして、お花畑が見えて……。途中で誰かに『花は摘まないでください』って注意されました。ははっ!

まさか冥界だったとは! さすが強面商事、物流も最先端ですね!」

猪野は感心したように頷き、ポケットから飴を取り出すと、ぽんと口に放り込み、さらにポケットを探りながら、へらっと笑った。

「そういえば、ちょっとだけ摘んじゃったんですよ。注意されたんですけど、可愛かったんで……へへっ。」

そう言ってポケットから取り出したのは、
青白く光る花――花びらの奥に、小さな目玉がいくつもついていて、ぎょろりとヘソクリスを見返した。

「………………っ!」

ヘソクリスは思わず一歩引いた。
花の目は、猪野の指の動きに合わせて、ぐるぐると視線をめぐらせている。


猪野は気にも留めず、マグカップに花を挿した。「ほら、ちょうど一輪挿しにぴったりじゃないですか?
ずっと俺のほう見てくるんですよ、かわいくないですか? 」

ヘソクリスの脳裏に「KY」の三文字が赤を通り越して紫に点滅した。