今日は

本当に受け入れれない事がおこった時
人間は笑えるのか?

こんなタイトルを付けさせて
もらいました。
答えは、ブログの最後に。


さて
前々回のブログ
ちょいと、衝撃なとこで終わったんですが
これからもなるべく
オブラートなしで書きますね。


私の経験を知って頂いて
あなたの悩みの直接的な解決には
ならないかもしれないけれど


人間どんな経験があっても
前向きに幸せに生きていけるという事を
少しでも気づいていただけたらという
想いを込めつつ。。。



続きです↓


母に灯油をぶっかけて。


と、思う。


これから話すことは
盗み聞きの話し。


そりゃそうです。


一体誰が
小学4年の女の子に
「あすかちゃん。お父さんがね
 お母さんに灯油ぶっかけて殺して
 それから自殺したんだよ。」
なんて言えますかね...。


なので、これからお話する内容は
私が聞き耳を立てて
伯父や伯母、ご近所さんや
TVから聞こえてくるニュース等から
少しずつ少しずつ集めた情報から
導き出したものです。





母の実家の横に
一つ歳下の女の子
私の幼なじみが住んでいたのですが
母が亡くなって数日後だったか
その子のうちへ。


遊びに行ったのか
ゴタゴタしている実家から預けられたのか
覚えていませんが
とりあえず幼なじみと一緒に
時間を潰していたかと思います。



すると、幼なじみのお母さんとおばあちゃんが
隣の部屋で、こそこそ話し。



「〇〇ちゃん(私の母)と、子どもたちの
 親権争いを家裁で終わらせた後に
 〇〇ちゃん(私の母)のお友達の仕事場で
 友達何人かに親権が取れた報告をしてたところに
 〇〇さん(私の父)が、灯油を持って
 現れたんだって。
 ストーブの横にいた〇〇ちゃん(私の母)に
 その灯油をかけたみたいで
 ストーブの火が燃え移って
 苦しくて火だるまで地面を転がり回ったみたいよ。
 火事で周りにいたお友達たちも
 犠牲になったんだって。」



「その後、〇〇さん(私の父)は、50mの崖から
 車で飛び降り自殺したらしいよ。
 見つけた時はまだ息があったらしくて
 体に岩が乗ってるわけじゃないのに
 岩をどけてくれ。どけてくれ。って
 言ってたらしいよ。」




大人って残酷ですよね。
こんな話を、うっかり子どもに
聞かせちゃうんだから。



ニュースも当事者達にお構いなしに
がんがん放送してるし

ニュースでお馴染みの顔のおばさんが
家に訪ねてきて
私たちを目の前にインタビューしてくる始末。



本当、世の中って残酷。



でも、何も知らないより良かった。



それに、この頃の私は
悲しいとか寂しいとか涙とか
全くの無!!!

正直、笑って遊んでいました。



全く他人事の話のように
私には感じていたのでしょうか?


それとも、悲劇のヒロインになったことによって
これから起こる自分の人生の変化に
何かワクワクしていたのでしょうか?



正直どちらの気持ちもありました。



他の人が聞いたら、びっくりですよね。
父と母を、いっぺんになくした上に
父は加害者。母は被害者。


それなのに、笑って遊んで
ワクワクすらしていたなんて。



でもね。
そんなの急に言われても
9歳の子どもに実感なんて湧かないんです。


「だって、お母さんが死んだとこも
お父さんが死んだとこも見てないんだもん。」






私が実感として感じていたのは
何か大変な事が起きた。
何か珍しい事に遭遇した。

そして
同級生の従兄弟と暮らすから
ずっと友達と一緒に遊べる環境になるという嬉しさ。
(ゆくゆく、私を1番苦しめるものとなります)


これくらいのものでした。




本当に受け入れれない事がおこると
人間は笑うのか?


答えはYES


そもそも受け入れるとか
受け入れないとか
そんなの考えませんしね。




そんな私も
やっと涙を流す瞬間を迎えます。





今回は、このブログを書いてから
投稿するまでに
かなりお時間をいただきました。

でも、たくさんの方からの声に
励まされています。

いつも支えてくださりありがとうございます。



続きはまた。



今日も読んでくださりありがとうございます。

あなたの子どもに【親がいなくても】


こんなブログを書いている私ですが
今は、娘の就職試験に付き添いつつ
大阪へ来ております。


というよりも、元々は出張+観光予定で
チケットを取っていたのですが
私の出発の日にまさかの娘の試験日が重なり
急遽娘のチケットも追加して
一緒に大阪へ。



付き添いとはいいつつ
私は人生初の宝塚歌劇鑑賞へ。




娘はその間に試験会場へ移動して
面接試験。


宝塚で見送って1人梅田へ向かわせました。



こんな事を書くと
「え?!娘さん1人でやったの?」
「会場付近まで一緒に行かないの?」
「地方人なのに大阪を1人で
 移動させるの?」


もうね。田舎に住んでたときは
こういう言葉たちの嵐でしたw


最初は私も
ごにょごにょ言い訳したり
隠したりしてました。


でも、私には私の「子育て考」があって
その考えの先には
「娘の幸せ」が絶対にあって
何も恥ずべきものはないから胸を張ろうと
思いました。


私の子育ては
「私が今死んでも
 この子は幸せに生きていける。
 1人でも困難を乗り越える力を
 身につける」

これだけです。


だから、勉強出来なくても
基本何も言いません。
家で一日中YouTube見てても文句言いません。



彼女自身が
「あ、お腹空いたからご飯作ろう!」
って思えばご飯を作ればいいし

「部屋汚なっ!」
って思えば掃除すればいいし

「制服洗わなきゃ!」
って思えば洗濯すればいいし


自分で考え
自分でするかしないかを考え
物事を「選ぶ」力を
「自分で選択する力」を
身につけてほしいのです。


〇〇をしたいからお金を稼がないといけない
〇〇に行きたいから貯金をしないといけない
「じゃあ、どうする?」
だから真面目に一生懸命働く



と、自分で考え選択する力こそ
生きていくうえでとても大切だと思います。


答えを与えるのは簡単です。



でも、そうではなく
梅田駅に1人で行かないと行けない
「じゃあ、どうする?」
自分で考え選択し行動する力


私は正直
試験落ちても
これが出来れば今日はOKって思いで
娘と駅で別れました。


働こうと思えば
最悪まだチャンスもあるし
死ぬ気で探せば仕事なんていっぱいあるし


それよりもこれから道に迷ったら
人にたずねる
地図を見る
ググる
諦めない
からの、成功体験と自信を身につけて
もらうことの方が私の中では
とても大切な事だと思いました。



娘は少しだけグレーゾーンな知能です。
数学どころか算数すら危うい、、、。

中学1年の頃だったでしょうか。

「ママ!100均でAとBとCと3つ
 買いたいんだけど
 いくら持って行けばいい???」


と、たずねられ
愕然とした事もありました。

「カタカナの「お」って
 どう書くんだっけ?」


他にもたくさん
「えっ?!そんな事もわからないの?!!」
 っと

あまりのショックに無理心中しようかと
思うことさえあったほど。



だけど、そんな娘だったけど
ちゃんと1人で梅田にも行き面接を受け
次の日は1人で歌劇を鑑賞し
1人で空港へ行き、、、と
私の心配をよそに
自分で調べ、自分で楽しみ
家へ戻ってまいりました。


うん。私の子、育ってる。


私は思います。
親のいなかった私は
必然的にこの生き抜く力を自分で
身につけてきたから
今の私があるのだと。
「じゃあ、どうする?」っと考え
自分で選択し前へ進めたのだと。


だから、息子や娘にも
私のように生き抜く力を身につけて欲しい。


日々、「じゃあ、どうする?」っと考え
悔いのない人生を歩んで欲しい。


子どもに手を差し伸べる事は簡単です。
でも、それでは子どもたちの
「じゃあ、どおする?」を奪ってしまいます。



なので、私はこれからも例え周りに
「親としてどうなの?愛情不足じゃない?」
と、言われようと


「自分で考えなさい!」
「出来るよ!やってみなさい!」
「失敗しても死なないから!」
と、言い続けます。




もちろん、最悪の場合も考えます。

でも、それを考えたらきりが無いし
何も出来なくなっちゃう🤣


私は親がいなくても生きてこれたし
子どもたちだって、きっとそう。
反対だってしかり。

もちろん寂しい、悲しいはありますが
それでも生きてる限り人生は続いていくので
いかにその人生を楽しむのかを
「じゃあ、どうする?」と考えて
生きていくのです。



私は飛行機に乗る時などに娘に言います。
「最悪、ママが死んでも
 楽しいことして死んだから
 悔いはないから、

 ママはアホみたいに幸せそうやったなぁ。
 楽しいことして幸せに死んだんなら
 まっいっかっ!!

 って思って
 あなたは、あなたの幸せな人生生きなさいよぉ✨

 ちょっとは泣くと思うけど
 その後も普通に人生は続いていくから
 せっかくやから笑って生きてね✨
 旅行とかいっぱいいって!!✨」
ってw


親なんてね
いなくても生きていけるん
ですよw


まぁ、いないことで泣いたり
辛かったり、寂しかったりしますが

でも、生きていける。楽しくね✨



って、事を踏まえた上で
また、母への思いを綴ったブログ書きますね´◡`


ではでは

【兄妹で親の話は、ない】



母の顔を見ることなく
その後、病院を後にしました。


もう少し、良くなってから
また会いに来るんだろうな。
包帯の取れたお母さんと
また暮らすんだな。


小学四年生の小さな女の子の頭では
これが限界でした。


お母さんは生きてたから
後は治るのを待つのみ。



なんて、浅はかで短絡的な
思考なんでしょうか。



大人になって大きな病院に行くと
今のこの医療があったら
お母さんは生きてたのかなぁ。
と、いつも考えます。



母は、それから数日後に
息を引き取りました。



どうやって死んだのか
意識があったのか、、、
誰かに看取られたのか、、、
何時に死んだのか
私たちが生きてると知って
安心して死んだのか。



何もわかりません。




兄が母の生きている間に
もう一度病院に行っていたような気がしますが
兄と母の話を
今までしたことがありません。


兄妹なのに。
お互いに、その事は一切触れなかったのです。
触れなかったというか、触れてはいけないと
思っていたと思います。



「お母さんがさ」
「お母さんってさ」



兄、私、弟
この歳まで私たちは
思い出話しをした事がありません。


なんだか、不思議ですよね。
こうやって文字に書いてみて
変なの!ってはじめて気づきました。



せっかくの母との思い出。
もっと話せばいいのに。



でも、母との思い出=家族の思い出



その中には父も出てくるのです。
話すわけがありません。
話せるわけがありません。




父は、母が病院に運ばれた日に
死にました。




母に、灯油をぶっかけて。





続きはまた明日。






人生で1番の後悔





「お母さんだぞ。声をかけてやれ。」





声を震わせ顔をしわくちゃにしながら

泣く伯父さんが

母に安心させるために

私たち兄弟に



「お母さん」っと声をかけてやれ

と言うのです。





と、言われても、、、。

声が出ないとはこういう事を言うのですね。





目の前の母は

ただの包帯の塊です。

小学四年生の私には何も考えられないし

意味がわからないし

とにかく頭が真っ白。

というか、この塊に声をかけて

反応があるのか?

そもそも意識があるとは思えないし

生きているものとは思えない。





高校生の兄もきっと

そうだったのでしょうね。





何も言わない私たちに

かすれた声で母が、、、、







「あすか、、、」














、、、、、、。



話しが脱線しますが

今、これを読んでくださってる

皆さんの胸の中で泣きたいです。

もう、1人でこっそり

声を殺して泣くのはやめたい。





辛かった事を辛かったと言える自分に

なりたいです。







だから書きますが

今、涙が滝のよう、、、、。

きっと、これから先も

この記事を読み返すたびに

泣くと思います。





ポロポロポロポロ。

人の涙ってこんなに溢れるものなのかな。







私は「あすか、、、」っと

声を必死に絞り出してくれた母に

「、、、はい」っとしか応えてあげる事しか

出来ませんでした。





包帯で顔も見えない母は

もはや、お母さんとは感じれず

私は赤の他人と喋るかのように

緊張した声で「、、、はい」っと

返事をしてしまったのです。





このことは、私の人生の中で

一番後悔していることです。





あの時、「お母さん」って、たった一言

どうして言ってあげれなかったのだろうと。










「あすか、、、」


「、、、はい」







これが、母との最後の会話でした。







お母さんごめんね。

大好きだよ。

お母さんに会いたいよ。







今まで押し殺してきた気持ち。

初めて言葉にしました。





こんな、些細な言葉さえ言えなくなって

しまっていたんですね。





私はこの後

「お母さん」という言葉を

使ってはいけないと無意識に

自分にブロックをかけていたようです。





それは、周りが心配するから。

人が気を遣ってくれるから。

周りも「お母さん」の話題には

触れないから。





私はよく

「気が効くね」

「人の気持ちを察するのに長けてるね」

「コミュニケーション力が強いね」

などなど、皆さんに声をかけて頂きます。







それは意識してるわけでもなく

頑張ってるわけでもなく無意識。

無意識に人の顔を見たり

その人の心内を考えたり感じとったり。







私が、そんなスキルを身につけたのは

私のこれからの人生が

そうしなければ生きていけない人生だった

からなのだと自分の深掘りをして

最近、気づいたことでした。







余談ですが

この後、「お母さん」っと口に出したのは

結婚した時でした。





「お母さん」っという言葉を使える喜び

「お母さん」と呼べる存在がいる事

1人心の中で幸せを噛み締めていた事を

覚えています。





本当は「お母さん」ではなくて

「お義母さん」なんですけどねw







今は離婚しましたが

元旦那さんのお家は大家族で

16人で暮していた事も。





私は結婚を決めた時に

家族の少ない私に神様がご褒美をくれたんだ

と、この大家族に感謝しました。







「お母さん」って

もう、私たちの歳からすると

子どものように甘えれる存在ではなくて

むしろ、支えてあげなければならない存在に

なってる方も多いかと思います。





でも、「お母さん」「お母さん」なんです。

伝えたい事がうまくまとめられませんが







失うのって、ある日突然。

あなたの大切な人が生きていてくれていること

しっかり噛み締めて

1日1日を過ごしてください。





「当たり前」「日常」ほど

不確かなものはない のです。





今日あなたが発してしまった

家族への冷たい一言。

「おかえり」っと言われたのに

無言で返してしまったこと。





本当に悔いが残らないか。

後悔して1番傷つくのは自分です。





あなたの何かを変えるきっかけに

なれればと思います。





これから先

もう少しきつめの内容になってきますが

読んで頂き「いいね」ボタンを

押していただけると励みになります。





皆さんに背中を押して頂いて

最後まで書き綴れればと思います´◡`





ではでは。

前の記事からだいぶ時間があきました。
いざ書く!!と、言ったものの
やっぱり色々考えました。

でも、今は気持ちが前向き。
実は彼氏に浮気されてる事が判明しましたが
でも、前向きw
無駄に前向き💕


キラキラしていたいですもんね✨



さてさて、お伝えしていたように
今からちょっと痛い内容を書きます。




学校から警察署へ



それは四年生の授業中に突然の事でした。


職員室の先生が授業をしていた担任の先生を
呼び出し何やら廊下で、こそこそ話し。
そして、「ちょっと明日香いいか?」っと
私を廊下へ。



そこから先の記憶はあまりないですが
私は学校の前に止められた
パトカーに乗せられ警察署へ。
着いた先には、兄と弟。


兄妹3人、警察署内にある
柔道場で、何も言われることなく
ただただ何か待たされていました。

そんなに長い時間ではなかったと思います。
ちょっと記憶があやふやですが
しばらくすると警察官に連れられてか
伯父さんに連れてだったでしょうか
気づけばどこかの病院に。


そこで案内された場所に
担架に乗せられた
包帯でぐるぐる巻きのミイラのようなものが
運ばれててきました。

全身、顔も目も頭も何もかも包帯。

目の前にあるのは
ミイラです。
肌なんて一か所も見えていません。


伯父さんが泣きながら言いました。


「お母さんだぞ。
 声をかけてやれ。」






、、、、ごめんなさい。続きはまた明日。