78才の秋、母は突然脳幹出血で倒れた

脳幹なので手術もできず回復の見込みもなく

意識が戻ることも無くもう話すことも出来ないだろうと医師は言った

ただ体が弱って亡くなるのを待つだけの日々が始まった

 

わたしは子育てと家事の合間を縫って

自転車と電車とバスを乗り継いで週に4、5日は母の病院に通った

…といっても病院は完全看護、特にすることも無く

お昼になったら持って来た弁当を食堂で食べ

後は、ただ

横たわるだけの母のベットの横にある丸椅子に座り夕方まで過ごした

 

そんな長い長い時間の中で改めて母の人生を想った

母は綺麗な人だった…(妹だけが母に似た)

なのに、どうして父みたいな人と結婚したんだろう

父と結婚しなかったらもっと幸せになれただろうに

 

人間だもん足らないところはたくさんある、わたしだってそうだ

それでも母は母なりに精いっぱい自分の人生を生きて来た

どんなに困ってもわたしや妹を捨てることはしなかった

高校だって母が出してくれた…

 

わたしは今まで自分から見える景色しか物事をみてこなかったけど

母の立場から見れば全く違った景色が見えることに気づきハッとした

 

幼稚園に行くのを嫌がるわたしのお弁当に

母が入れてくれたゆで卵のうさぎ・・・

 

母がわたしのために編んでくれた

暖かで柔らかい色をしたマフラー…

 

悪い思い出ばかりじゃなかった

育ってきた環境を憎み母を嫌い否定することを原動力にして

わたしは生きてきた

けれど、それは間違いだった

 

悪い娘だったね…今まで母に冷たく接してきたことを悔やんだ

謝らなくちゃ、そして今までありがとうって伝えたい

でも、もう母と話すことは叶わない

 

昼下がりの真っ白な病室、ベッドに頭をうずめ母の手を握る

ぎゅっと1回・・・次は2回

こんなことを繰り返していると、なんと!母がわたしの手を握り返して来てくれた

 

1回握ると・・・1回

2回握ると・・・2回

3回握ると・・・3回

母はちゃんと判っているんだ!意識あるんだ!!

わたしは嬉しくて嬉しくて

子どもみたいに何度も何度もきゅっとの会話を続けた

 

 

 

 

でも母は、倒れてからきっととても辛かっただろう

意識はあるのに突然身体が動かなくなって目も開けられない真っ暗な中で

さぞ、不安だっただろう

 

もう話すことも出来ないし、死を待つだけなら

倒れてすぐ亡くなっていた方がどれだけ楽だったろう…妹とそんな話もした

でもこの時間が有ったからこそ

わたしは母の人生を想い、死を受け入れられたんだと思う

 

その後、わたし達姉妹は医師に呼ばれ

「もう体が限界なので今まで命を維持していた薬を止めていいですか?」と聞かれた

何も答えられない妹に相談もしないでわは即答で薬を止めることをお願いした

 

そしてベッドに沈む母に

「もうこんなしんどい事お互い終わりにしような、最後は苦しいかも知れへんけど

わたしはお母ちゃんの娘やから最期までちゃんと見届けるから」と話しかけた

 

…そして3日後の11月17日、母は亡くなった

大好きだった着物を着せて見送ってあげた

 

始めの1年は何を見ても母に結びついて毎日泣いてばかりいたっけ

7年…さすがにもう泣かなくなったけど

この時期はいつも心が落ち着かなくなる

 

母はわたしの夢によく出てきてくれる

自分の居場所や帰り道が判らなくて彷徨うわたしに進む道を指し示してくれたり

この間、穏やかな…昼下がり で書いた、かわいいリスにも会わせてくれたりする

もちろん良い夢ばかりじゃないけど…ね (苦笑

 

お母ちゃん、この季節は特にお母ちゃんに会いたいょ

でもまだもう少しわたしはここで頑張るね

だから次会った時、よう頑張ったなぁ。。。って褒めてくれるかな

 

 

母を想う…を書きながら

いつの間にかこの歌を口ずさんでた