姑にゴキブリを盛られた嫁の行方(14
母は美しい人だった
70歳を過ぎ病床に伏していても
やはり母は美しかった
きっと父は母と結婚できて誇らしかっただろうな
ふとそんなことを思った
わたしはずっと母を嫌い否定してきた
流産がきっかけでわずか29才で
母と同じ糖尿病になったことが受け入れられず
治療を拒否し続けていたのもそれが一因
母と同じにはなりたくない
母より幸せになるんだ
母よりちゃんとした生活をするんだ
それを原動力に生きてきた
何がいけなかったか何を間違ってしまったのか
全く働かないでギャンブルに狂い暴力をふるう父
家計をささえるために必死だった母
母も父と結婚してとても辛かっただろう
・・そうだ、リンゴのうさぎ
幼稚園に行くのを嫌がるわたしに
母はリンゴのうさぎを作ってお弁当に入れてくれた
解ける
マフラーの編み方も母が教えてくれた
それからわたしはハンドメイドが好きになった
嫌な思い出ばかりじゃない
何より、どん何辛くても母は逃げなかった
わたしや妹の傍にいてくれた
なのに、
わたしは自分の生まれ育った境遇を恨む余り
それを
母への憎しみに置き換えるという違いをおかしていた
それまでのわたしはいつも心の中で母を蔑んでいた
隠していてもきっと其れはわたしの節々に表れていたのだろう
そんな時母は
やりきれないような寂しげな顔をした
最後に見た母の顔もそうだった
「今できる事をするんやで、あとで後悔しないために」
旦那に教えて貰ったのに
心のこもっていない親孝行なんて全く意味が無いのに
わたしはなんて馬鹿なんだろう
もうやり直したくてもできない
どんなに後悔しても時は元に戻せない
間も無く母は亡くなった
せめてもの救いだったのは
母の遺体を引き取る時看護師長さんが
「あなたいつもお見舞いに来て偉かったね
きっとお母さんも喜んでくれてるわよ」って言ってくれたこと
なんだか母に褒めて貰えたような
そんな気がした
今ちょっとオカシクなってるので
いろいろごめんなさい
