原作読みました。


小説が出版されたのが2001年



やはり映画とはストーリーが若干違ってました。


設定は1975年タイのバンコクで出会う二人


東垣内豊 と 真中とう子



豊は航空会社に勤めるエリートサラリーマン


だれが見ても好青年



アジア一といわれるオリエンタルホテルのスイートルームに宿泊するとう子


街を歩けば誰もが振り返る派手で華やかなとう子


とう子は豊に婚約者がいると知って近付く


それは離婚した大金持ちの元夫を見返すため


みかけの良い好青年豊を恋人にする為に近づき誘惑して関係を持つ



初めは単なる遊びのつもりだったのだが


死ぬまで忘れえぬ人となる


豊が結婚するまでの四ヶ月間蜜月を過ごす


豊の結婚式の前日東京に戻るが


豊の事が忘れられずバンコクに戻る



夫から貰った莫大な慰謝料も底をついてきて


ホテルオリエンタルの従業員として働きながら


豊の情報が入るバンコクの日本人社会と繋がっている暮し



若い時の燃え盛る恋の記憶を食べながら暮す




25年の月日が経って再会する


若かった頃の感情に一気に戻り


唇を重ねる二人


恋人同士で居たときに決して口にしなかった言葉


「愛していたよ」


「今更愛していたなんてズルイわ」と言うとう子


抱きしめようとする豊の腕をすりぬけて立ち去るとう子


再会から月日は流れ


とう子は不治の病に体を蝕まれている


自分の寿命を悟って逢いたいと手紙を出すとう子



覚えているでしょうか。あなたは私に出会ったばかりのある時

こう質問をしましたね。

死ぬ間際、君は愛した事を思い出す? それとも愛された事を思い出す?

私は、最初は愛された事を思い出す、と答えました。

でも四ヶ月が経って、私の気持ちは変わったのです。

私は愛した事を思い出すだろうって申し上げました。その通りになりそうです。

その気持ちが今も変わらないことを誇りに思います。

その相手が東垣内豊であることを誇りに思います。




その手紙を銀行の貸金庫に保管して


時たま読みに行く豊


豊とて、忘れたわけではない


とう子をずっと愛し続けていた


でも家族がいる


返事を出すことをためらう豊


家族と仕事の忙しさに忙殺される日々



二度目の手紙が来て


とう子の抜き差しならない病状を知る



返事を書く豊


私はあなたが好きだった。あなたを愛していた。

あなたを抱いたあの時期は嘘ではなかった。

それは別れて時間が経てば経つほどに、強くなって行く。

人生の残り時間がどんどん短くなっていけばいくほど気がついていくことでした。

人生のほんの一瞬しか一緒に過ごさなかったのに、

一生忘れられない存在というものがあるのですね。

あなたとの時間は私の中で永遠なのです。

何物とも比べられないくらいに永遠です。


どうか、私を許してください。

あなたを幸福に導けなかった私をどうか許してください。


 あなたを愛していました。



仕事のやりくりをつけ

バンコクに行く豊


長い年月離れて暮していたが

お互い忘れることは無かった


「ありがとう来てくれて。これで私の人生に意味がついた」

「ああ、僕の人生ににも意味がついたよ」


「愛しているわ」

「愛している」


過去形ではない言葉



豊が日本に戻って二週間後とう子が亡くなった


豊は思い出を反芻する


出合ったばかりの恋に夢中になっていた頃の二人の姿


「死んでも、きっと君の事を忘れないんじゃないかなって思った」

「私もよ」


いつまでもとう子が傍にいるような気がして仕方なかった


この言葉でむすばれていました。




本当に愛した人と結ばれない悲しさ


思い続ける強い思い


結ばれないからこそ成就しないからこそ


思いがずっと残る


手に入れられないものへの執着


愛も同じなのかなと思いました


眩いくらいの思い出があれば人はずっとそれを抱えて生きていけるのかな



それは幸せなことなのかなぁ


アタシにはわからない


人は人生の大半を坦々と暮すもの


ジェットコースター人生はずっとは続けられない


夢の様な日々はごく僅か


だから、夢なのじゃないでしょうか




良妻賢母の光子


豊にずっと寄り添って真っ当に歩く光子


光子からの視点も読んでみたいものです



愛した人と添い遂げられる人生


そうでない人生


様々


何が幸せなのだろう



きっと幸せは自分の中にあるのだろうと思います



どう生きるか どう感じるのか


自分次第


♪どうせ迷路なら 笑うしかないさ~   ですね



ハイ! 結論がでましたね^^