ずいぶんと長くブログ書いて無かったので報告が
とても遅くなりました(インスタでは報告してたのでご存知の方いるかと思います)
ショコラを載せてきなこの姿が見えないと思ってる方いるかと思ます。
そののきなこなのですが
22年の8月に虹の橋を渡りました。
7月頃に不調というかなんとなく元気ないような…
病院に連れて行ったりして様子見ていたんです。
亡くなる2週間前くらいでしょうかいつものご飯を食べなくなりうさ友さんに相談したりして(親切にペレット送ってもらったりして)慌てました。
うさぎさんが食べないのは大問題ですから、迅速に回避しないといけない事でとっても心配しました。
うさ友さんが送ってくれたペレットを食べてくれたので心底ホッとしました。
でも何だかまだ私の中でモヤモヤは消えなかったのでずーっと用心深く注意していました。
亡くなる数日前、私のお腹に乗って甘えて来てて久しぶりにお腹乗ってきたなーって嬉しくもあり大丈夫かな?と心配したりしていました。
亡くなる前日にも夕方何かおかしいと思い急遽病院に連れて行って奥歯が伸びてるって削ってもらいご飯食べてたので少し安心しましたが翌日にはジーっと動かなくて反応も悪くて、いつもならスバっと逃げるのに難なく抱き上げられる。
これはもう変だ!って急いで病院開くのを待つ感じで連れて行きました。
検査してもらって状態があまり良くなくて、先生がとにかく点滴と強制給餌しましょう。
1日預かりますから夕方にお迎え来て下さい。って避妊手術以来初めて病院に預けて帰りました。
帰った我が家で心配を振り切る様に掃除したりしてました。
そろそろお迎えの時間だから準備してた時携帯が鳴りました病院からです
お迎え来て下さいかなと思って出たら
意識がないので急いで来て下さいって
慌てて家を出ました。病院に着いて通された処置室では身体を暖めるためにヒーターを置かれて酸素マスクをされてました。
触ると体温低下してるのがわかり、先生からの説明を受けました。
食事も上手にとってくれてさっきまでは落ち着いていた事急に意識が無くなった事、もう手の施しようがない事…
私が来たのがわかったのか体を動かしてくれました
旦那さんが居ない中で1人での判断になるけどこれ以上きなこには苦しい思いはさせたくないからこのまま連れて帰りますと言いました。
きなこにもお母ちゃん達の事は気にしなくて良いんだよ。きなの帰りたい時に行きなさい。って
間に合うかわからないけど旦那に電話しました。
きなが逝ってしまうと
電話してる間に更に意識は遠のいていて以前どなたかのブログで読んでた亡くなる直前鳴き声を発するときなこも鳴き声にならない声を発し私はもう渡ってしまう、お母ちゃん達の事は気にしないで良いんだよきな、ありがとうきな。
渡った直後に旦那さんが病院着いて私の顔見て駄目だったんだっていつもお世話になってる看護師さんに箱(棺桶)に入れて帰られますか?と聞いてくれてそうさせてもらいました。
帰り着いた我が家で今後どうするか、火葬するにも夕方の微妙な時間帯受付をしてる所はあるのか、かと言って翌日はお互い仕事があり(私転職したばかりで休めず)冷房効かせて1人家に居させるのはもっと悲しいと思いとにかくペット火葬出来る所に電話してみました。何件か電話して1件大丈夫だと言う所があってそこに向かいました。
手続きしている時に遺影作成するので写真をと言われどれにするか探していた所なんと亡くなった日付と同じ日に撮った写真が出てきてこれ以外無いと遺影に使いました。
火葬が終わってお葬式をして帰ってきました。
きなこが居ない家に帰るのは避妊手術以来ポッかり穴が空くってこういう事なんだって
今もきなこの事思うと涙が出ます、会いたいです。
闘病を乗り越えてから余計に愛おしくて可愛いくて大事な大切なきなこ
ねぇ、きな。
私がそっち行った時は迎えに来て欲しいと思っているんだけど来てくれるかな?会いたいんだきなこに