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ついつい空をゆく

2009年10月04日(日) から日々思った事を書いています。

今日は、まだおにぎり一個しか食べていない。



とりあえず、プチ引っ越し8割終了。

疲れた。

カレーを食べに行こう(^^;

これから、新しく生きていく為に。


それにしても、けっこう大変な作業じゃ…

ついつい空をゆく

この一週間、泣き続けた。

人間の涙は、こんなにもこんなにも尽きぬ事がないのだと驚かされた。

あの一年で一番美しい月の夜、大きく高く輝いていた星が消え去った。

・・・・・・・・・この喪失感。

例えようもなく不安だ。


それでも・・・

残された者は、生きていかなければならない。

やらねばならぬ事がある。

ついつい空をゆく ついつい空をゆく
ついつい空をゆく ついつい空をゆく

平成21年10月8日(木) 18:00から、中川昭一さんのお通夜が、おこなわれた。

自民党のホームページでは、誰でも参加出来ると書いてあったが、
私は、「まず勉強が最優先だろう」と思い、行かなかった。
だって、行ってしまったら、もう恐らく、何も手につかない状態になってしまうに違いない。

それでも、気になってしょうがない。

18時すぎから宅建テキスト片手に、チャンネルを変えながら、片っ端からニュースの時間はTVを付けっぱなし。
一番最初に「FNNスーパーニュース」での報道を見て、
一番最後は、「LIVE2009ニュースJAPAN」。どちらも偶然フジテレビだった。
見逃した番組もあったかも知れないが、だいたい見れたと思う。

3000人以上弔問に訪れたという。
多くの人に愛された日本の勇者中川昭一さん。どうか安らかに。

$ついつい空をゆく
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↑ 自宅の窓から 2009/10/8 3:00頃

情けない事に、中川昭一さんの死からなかなか立ち直れないのだ・・・
さきほどから、雨がすごい。台風上陸だそうだ。
彼は、月が美しい夜に旅立ち、その後の空は、まるで自分の心のように、雨が降り続いている。
TV・雑誌・ネットでの記事・書き込み・動画を見る度に、折りに付け泣いてしまう有り様。

色々な人が哀悼の言葉を残しているが、
今日、阿比留瑠比(あびる るい)さんという
『産経新聞』政治部記者の方のブログを見つけ、
比較的、たんたんと書いているのに、とても胸を打った。

数多ある書き込みの中で、ここに残しておこうと思ったのは
おそらく、大げさなたたえ方でもなく、上からでも下からでもない目線で、
公平であり、そして、ご本人の中川昭一さんの死を悼む気持ちが伝わってきたからだろう。
あとは、自分とほぼ同年代という所が、近いものを感じたのかも知れない。
ちなみに、阿比留さんは男性。
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■国を憂い、われとわが身を甘やかすの記 (阿比留瑠比公式ブログ)

中川昭一さん、心からご冥福をお祈りします 2009/10/04 19:54

 中川昭一元財務相がきょう、亡くなりました。
産経紙面には上司に命じられ追悼記事を書きましたが、それとは別に、これまで10年余にわたって、いろいろな場面で見聞したこと、直接話したり、議論したりしたことが脳裏に去来して、今は何とも言いようがありません。ただただ残念であり、喪失感を覚えます。

 政治家を、「好き嫌い」だけで判断してはいけないと思いますが、私は中川氏という人間が好きでした。真面目で繊細でそれゆえに傷つきやすいところがあって、酔って行き着けの店でくだを巻くのも、その優しさや鋭すぎる感受性と裏返しなのだろうなと感じていました。

 そして、何よりいつも真剣に日本のことを考えていました。

 個々の政策や考え方への批判、財務相時代の「酩酊会見」などに対する失望や叱責は当然だろうと思いますが、それでも私は、中川氏が次の選挙で復活し、また日本のために働いてくれることを願い、信じていました。

 記者と政治家のつき合いという意味で言えば、私は中川氏からいわゆる「ネタ」はあまりもらったことがありませんし、こちらも特に情報を引き出そうとしたことはありません。むしろ、僭越を承知で言えば、べたべたしたつき合いはなくとも、自分勝手にある種の「同志」のつもりでいました。

 私は「まっすぐ」な人が好きですが、中川氏はまさにそうで、かつ含羞の人でした。てれたような、はにかむような笑顔が思い出されます。重ねていいますが、対外的な強い主張とは別に、とても繊細な人だったのだと思います。

 マスコミは私も含め、健忘症です。一時はある人物を大きく取り上げても、次の話題が見つかれば、すぐそちらに飛び移り、去りゆく人のことは簡単に忘れます。

 でも、少なくともこの10年余、教科書、拉致、靖国、朝銀信組、外国人参政権、人権擁護法案…と中川氏がどんな活動をし、党内外にどんな影響を及ぼしてきたか多少なりとも知る私は、決してそれを忘れてはいけないと感じています。

 政治は結果責任が問われる場であり、言い換えると一つ大きな失策を犯すとそれ以前の功績が吹き飛び、忘れられ、あるいは無視される場でもあります。逆にいうと、「終わりよければすべてよし」でそれまでの経緯が問われないこともあります。政治の新陳代謝、ダイナミズムのためにはそれも「あり」なのでしょうが、できれば違う視点も持ちたいといま、そんなことを考えています。

 もちろん、欠点もたくさん持っている人でしたが、そんなのは人間である以上当たり前なのだろうと思います。日本は大事な人を亡くしたと、本当に、本当にそう感じています。

 もはや、ご冥福をお祈りするしかありませんが。

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もうひとつ、はやり数多ある動画の中で、こちらをの2つを残しておく。

■中川昭一への手紙 ~俺達は忘れない。~<動画>

■「危機をチャンスに変えろ」(前編)~G20サミットの舞台裏 <動画>
2009年2月13日(ローマ時間) IMFへの融資に署名する中川昭一財務大臣の貴重な画像がある。
この時のIMFのストロスカーン専務理事の「人類の歴史上、最大の貢献だ」 の言葉は、全く日本のマスコミは報道しなかった。
そして、3日後に大臣辞任。


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最後に・・・

泣いてしまうので、なるべく読まないようにしているが、公式ホームページに書かれた中川昭一さんの最後の文章。

■選挙が終わって―『十勝・日本が危ない』  平成21年9月14日

私の選挙が終わった。多くの人々が仕事、家庭、お盆を犠牲にして私の為に戦ってくれた。選挙区外からも大勢の人々が駆けつけてくれた。そして、それぞれの選挙運動を一生懸命やってくれた。朝6時頃、選挙事務所を飛び出して行く人たち、一日中車のハンドルを握ってくれた人たち。毎日毎日運動靴を履いて、雨や汗にまみれながら、一軒一軒「お願い」に行く人たち。相手から怒鳴られたり、泣かれたり、また励まされたり・・・・。皆、事前から危機を共有していたのでエネルギーは質・量とも感動的だった。
全国から毎日たくさんの激励・応援の手紙やメール等々も頂いた。事務所の何枚もの大きなボードに掲載したが、どんなに励みになったか。

 それでも負けた。活動してくれた人々、約9万人の支持を考えると誠にありがたい。かつ申し訳ない。悔しい。しかし、十勝の総意として、私は否定された。敗因は逆風もあったが、やはり私自身の報道問題と、私が訴え続けたこのままでは「十勝が危ない」「日本が危ない」が有権者に受け入れられなかったことだろう。

 選挙中、周りの人からは「あまり民主党を攻撃するな」と言われた。もちろん自分の主張はしたが、マスコミは既に我々の敗北が決まった様な報道をしているので、そうなれば「大変なことになる」と訴えざるを得なかった。「泣け」とか「土下座しろ」というアドバイスもあったが、私には出来なかった。この間2度公開討論会があり、「これが選挙のあるべき姿だ」と思い大変重視したが、全く「討論会」にならなかった。形式的で3人で1時間半しかない。入場者も議論に参加した、候補者が主役で、候補者の主張の違いが明確になる「朝まで討論方式」でなければ意味がない。12日間、大音量で連呼を続け、人々と動物等に多大な迷惑をかけた。改めて「全ての十勝」に感謝と御礼の気持ちでいっぱいだ。

 それから2週間経過し、十勝は夜を徹して収穫の真っ盛り。コスモスが咲き乱れている。マスコミは新政権の行方と自民党の混乱、そして事件・事故報道ばかり。予想通り「危ない政権の危ない日本作り」が着々と進んでいる。そんな中JALの経営危機問題。この問題は永年の労組中心の高コスト構造と甘い経営に尽きる。アメリカのGMと同じだ。労組は「自分達の労働条件が悪化すると乗客の安全性が保証できない」と客の生命を人質に脅かしている。新政権になれば、ますます労組の主張が通るだろう。だからこそ、日本と日本人を守るために自民党がしっかりしなければならない。
 ところが・・・・・。
 党内議論は「若手に主導を渡せ」「上の人間は出て行け」「派閥をなくせ」・・・・。党がおかしくなると感じた時に、毎回「セミ」のように騒いでいる。近くは、今回解散前、遠くは今から16年前の記憶が私には鮮明だ。
 平成5年、我々は負けて野党になった。(私は当選したが)。やはり、不況、悪天候で不作、年末にはウルグアイラウンド(GATT、WTOの前身)で細川内閣は「無条件降伏」をした。あの時も党内で上を下への大議論をやった。しかし、激論の末、石原慎太郎さんの下で党再生の本格的議論が始まった。私も参加して、各分野ごとに、日本の為に党はどうなるべきか、どういう政策を打ち出すべきかを連日議論した。そして一年後、政権政党に戻った。その前提は唯一つ「保守」であった。
 そう、自民党の原点は「保守」なのだ。そして今こそ原点に戻るべきなのだ。
  「保守」とは守るべきものを守り、保守すべきために改革する。そして国民の活力に期待して成長のための戦略を描く。リベラリズム、ポピュリズム政権とどう区別し、対抗していくか。しかし、前進―地球の中で生き残り、真に国民を守るために何をなすべきか。と言った議論が全く欠けている。
 私を含め、「保守」議員の多くがいなくなったが、まだ残っている。彼らがいかに保守の旗印をもう一度立て直し、日本を守り、真の意味で国民を守るかを真摯に議論してほしい。心ある国民はそれを是非応援してほしい。
 自民党は末期的だが、今こそ日本の保守の軸を改めて確立するために全力を尽くすべきだ。さもなければ、日本は世界の中で埋没しながら自壊してゆく。

P.S. 過日、麻生総理の「就任直後に解散しておけば勝っていたかもしれない。しかし、経済状況を考えると、とてもそれはできなかった。」という主旨の報道があった。それが総理の本音であり、総理という立場の判断の辛さだと思う。私は麻生総理に対し、心から申し訳なく思っている。何故なら、昨年来、経済・生活対策を最優先にすべしと一番強く迫ったのは、財務・金融担当大臣つまり私だからである。何よりも政局より、政策実行の為に。総理の選挙を負けさせ退陣に追い込んでしまった。私も議席を失ったが、あの時の判断は、その後の対策が日本と世界を上向きにしつつある現状を見ても、間違っていなかったと今でも思っている。

私は今後新たに決意を持って進んでいきます。発信していきます。「日本が危ない」から。

「2009.09.14 中川昭一が語る」より

ついつい空をゆく

ネットで、色々調べていたら、こんな動きがあった。

中川昭一氏へ供花を。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/event/1254633378/

私は、2ちゃんねる嫌いだったけど、全部読んだけど、9割以上真面目な方が書き込みしていた。
皆さんの哀悼の気持ちが分かって泣いた。

私もお花を帯広事務所へ送った。
(この2日間色々皆さん模索していて、結局「中川昭一帯広事務所」へ送るのが、一番先方にも負担にならない方法とのこと)

書き込みでは、花キューピットが紹介されていたが
他にないかと、帯広の花屋さんを探したが苦戦。
銀行振込出来て、全国発送で、お悔やみ用の花束で、安価で・・・
と探していたら、写真の単純な白菊の花束がシンプルで綺麗だったので
その場で注文してしまった。

メッセージを書いていたら、涙が出てきてまいった。

今、銀行を振り込みをしてきたんだけど
よく見ると、この花屋さん世田谷区(ご自宅も世田谷区)。
送料も北海道なので 1,575円と一番高い。
でも、全国発送って書いてあったから届くと思うのだが。

何やってんじゃ私!って思ったけど、
こちらから遠く帯広の事務所へお花が行くのも悪くないと思った。

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中川昭一さんが亡くなったのは、平成21年10月3日(土)23:00頃らしい。

私は、その頃何をしていたのだろう?
そうだ!月を見ていた!
友人の「今日は、中秋の名月で、月が綺麗だよ」という
ネットの書き込みを見て、月を見たのだ。
窓を開けて、空を見上げると、頭の上にあって、美しかった。

確か、写真を撮ろうと一瞬思ったが、携帯カメラでは肉眼で見ている状態にはならないので、あえて、撮らなかったのだ。

あ~~。あの日は、なぜかだるくて、ずっと一日寝ていた。
それで、夜、ちょっとだけTVを見て、おにぎりを作って、食べて
ネットをやっていたら、友人の書き込みを見つけて、空を見たのだ。

そうか・・・私が、空を見上げていた頃か・・・。

中川さんは、月の王子様だったのかな。

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TVの報道ももうそろそろ落ち着くかな。

なるべく、見るようにしたが、どこもなるべくコメントをさけ、
4日5日の弔問客のことや、彼の半生を流すにとどまっている。
よかった。
死者への哀悼の気持ちがまだ残っていたんだね。
例のG7の会見も冒頭の所を一瞬だけで音声は、ほとんど流さない。
今年の2月のG7会見は、嫌となるほど、見させられたから、
またアレをやられたら、憤慨の余り、こっちがどうにかなってしまう所だった。
当時のG7の会見報道は、一番最初の報道の時は、コメンテーターもキャスターも
さほど食いつかず「体調でも悪かったのでしょうか」程度で
「とても勉強熱心の政治家だけど・・・」とか「経済に明るい人で」とか、最初に枕詞がついたのに、
どういうわけか、次の日から「これでもか!」「これでもか!」というほど
ひどいバッシングで、本当に悲しかった。

今回は、皆さん一様に「まさか、亡くなるなんて・・・」と思っているのかも知れない。
(あとは、中川昭一さんのやってきた功績をちゃんと流して欲しい。)

私も後悔で、いっぱいだ。
二度と間違いを起こさないために、どうしたらいいか、少しづつ考えてみよう。
結局、昨日泣きながらソファーでウトウト。

起きたら、激しい頭痛と嘔吐感。
布団で寝る。

しばらくして、大河ドラマ「天地人」(BSなので22:00~)が、もう始まっている頃なので、途中からでも見ようと起きる。
チャンネルを変えているうちに、妻夫木君の顔。
映画「憑神」の放映中だった。
舞台の「憑神」は、今いちだったけど、映画はどうだろう?と、興味はあったが、BSに変えた。
そういえば、昨日も「ザ・マジックアワー」で、妻夫木君出てなかったっけ?(こちらも興味があったが、10数分でやめた。今の時期は、あまり見ないように心がけている)
東京ガスのCMもよく見るしな~
っで、妻夫木君主演の「天地人」を見終わった後に、チャンネルを変えたら、またもや、妻夫木くん!(おしゃれイズム)
たぶん、同時間に3放送局で出ていたはず・・・
すごすぎ・・・
別にファンではないが、24時間中に私は、何回、妻夫木君を見たことやら。


妻夫木聡君といえば、私は、映画「春の雪」が印象深い。
舞台を観劇するようになってから、映画は滅多に観なくなったけど
仕事で全国移動中の空きの一日に福島の映画館で観た。
(三島由紀夫原作の『豊饒の海』の第一部「春の雪」を映画化したもの)
$ついつい空をゆく

全体を通すと「転生」がテーマのお話し。


転生か・・・・・・・・・・・・。

どうしても、亡くなった人を思い出してしまう。

生まれ変わりがあると思うなら、まだ気が安まるな。

$ついつい空をゆく-中川昭一・麻生太郎

昨日の衝撃的な出来事で書きもらしましたが、宅建の全国模試・・・

50問中、28点でした。

予想通り、かなり悪いね~~~。
合格ラインは、35~39点

でも、まだ間に合うはず!

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試験終了後、解答用紙を配られたのだが、ものすごい数の受験者のうち
その場で、自己採点している人が、やけに少ない。

不思議だな~
気にならないのかな?

あと、終わった後に休憩所の一つへ行ったら、誰もいなくて、これまた驚いた。

帰りは、タイ料理を食べた。
お腹が空いているはずなのに、食欲がなかった。
(全部食べたけど)