今日は叔父のお葬式でした

三人兄弟末っ子の父 

父の長男が先日亡くなりました



正直、同じ市内に住みながらほとんど付き合いのなかった叔父家族

お仕事をお休みしてまで参列する??
と、直前まで思ったけど
父の気持ちを想うと、参列したほうがいいと思い参列。

父にとっては大切なお兄ちゃん
娘として父を想い参列しました


そもそも母が叔父夫婦が苦手で
付き合いが疎遠になったようなもので…

幼い頃から叔父夫婦の事はあまりいい話を聞いてなかったので、私も自然と疎遠になってました。

だから亡くなったって知った時も
全く何も感じなかったし
葬儀に参列しなきゃいけないの??
ぐらいに思ったほど



そんな叔父のお葬式

たくさんの方が来られて
そのお別れをさみしがり

今まで全く知らなかった
叔父の人となりを最後の最後に知りました


そして葬儀の中にあった
『孫 代表の弔辞』

過去に1、2回会ったことあるかなー?
くらいのいとこの娘さん(20代前半)が
弔辞を読んでました


おじいちゃんとの思い出
おじいちゃんの事が大好きだったこと


そんな事を読んでるなかで

彼女が言った言葉



おじいちゃん、ありがとう

こんな当たり前な事を伝えることもないまま
お別れすることになってしまいました




ここで私は衝撃を受け
そして号泣😭😭😭💦



『ありがとう』ということ

当たり前のようにあった
『ありがとう』という気持ち
イチイチ気がつかなかったけど
いつもその思い出と一緒に
『ありがとう』という思いがあったこと


そして今
それを伝えられなかったという後悔



そんな当たり前のことだけど

当たり前すぎてたのに

もぅ伝えられないとなったとき

一番、後悔してしまうということ


当たり前は決して『当たり前』ではなく
『当たり前』こそ、とても大切な物なんだということ

それを突きつけられた気がした

そして
日々の中で当たり前すぎて
『ありがとう』と感謝をすることを
忘れてしまってるということ


お葬式は遺された者たちの為のものだということを今日ほど強く感じたことはなかった


最初は戸惑いつつ参列した葬儀
参列できて本当に良かった


私はあと何年、この地球で過ごすんだろう

私がこの肉体からはなれ、魂となるそのときに
この肉体に『楽しかったね❤️』といえるよう
私は精一杯、この地球での日々を過ごしたい✨