東京外国語大学ラクロス部

東京外国語大学ラクロス部

ブログをご覧くださりありがとうございます!
【理念】Be a leader.
【'25スローガン】結
【活動時間】
月・火・木 7:15-9:30(1限抜けあり)
土 7:15-10:30

プレーヤー・スタッフともに大募集中です!
グラウンドで待っています!

25チームでGコーチを務めさせていただきました、小島嵩子(しゅうこ)と申します。私は元々外語とは縁もゆかりもない人間で、理科大で4年間プレーし、去年は別のチームのコーチをしており、今年でコーチ2年目になります。


このブログを読んでいるのは私と直接関わった選手たちが多いとは思いますが、このブログを読んでくださっている外語の関係者の方々へ、ブロック戦、入れ替え戦と多くの方に応援に来ていただきありがとうございました。特に気持ちと気持ちのぶつかり合いである入れ替え戦では皆様の応援が、チーム全員の闘志を燃やす源になりました。この場を借りて御礼申し上げます。


さて、ここからは、あまりみんなには話したことのない私のこれまでのラクロス人生のダイジェストと今年を振り返っての話をしようと思います。私は思ったことはなるべく全部練習中に伝えるようにしていたし、最後の集合で喋るのは入れ替え戦に勝った時まで取っておきたいと思っていた(練習ラスト2回の時に詰めが甘いと喝を入れることになっちゃったけど!)ので、みんなの前でちゃんと話す機会は少なかったかなと思います。みんなに隠し事はしたくないので伝えたいことぜーんぶ書きます。


私は4年生の時、ブロック戦4戦と入れ替え戦とそのサドン2分の合計302分のプレー時間のうち、コートに立ったのは1分だけです。(詳しくは私の引退ブログに書いてあるので、知りたいというかわいい子ちゃんはそちらへ笑)必死に努力したつもりだったけど、チームを背負って立つ力をつけるには間に合いませんでした。そんな私を引退と同時にコーチにオファーしてくれるチームがありました。もちろんコーチってなに?の右も左もわからない状態。特に理科大は基本的にコーチがHCの1人で、ずっと同じ方にお願いしていたので、私の知っているコーチ像はそのHCの方だけでした。しかも元々はGコーチをやる予定だったのに色々あってフィールドのコーチになりました。私がやっていいのかと1人で考え込んでいた時、仕事で忙しく普段あまり話せない母親から「必要とされてるところには行きなさい」と言われました。そんなことを言われたら行くしかない。私なりに色々模索しながらのコーチ人生が始まりました。でもこれが想像の500倍きつかった。4年生の時、もう部活が辛くて辛くて、それでも命をかけて練習に行っていたけど、その時とは全くベクトルの違う辛さ。伴う責任のレベルが違う。勝てれば選手のおかげ、負ければ自分のせい。そんな責任の伴う役職を担うのは私にはきっとまだ早すぎました。誰よりもラクロスがすきで、楽しんでいたはずなのに、戦術やチームのことを考えると相談先のない悩みが脳内を占領し、ラクロスに泣かされるようになっていました。当時のチームの選手たちには、今の私だったらもっとこんなことできていたなと思うことも多く、もう返ってこないみんなにとって大事な現役生活の1年間をあんなにも未熟な私がコーチという役職を担ってしまったことを申し訳なく思っています。そんなコーチ1年目がチーム目標であった昇格に遠く及ばず終わりました。そして私に残ったのはコーチという役職へのトラウマでした。




そんな時、理科大の男ラクHCのともきさんから外語のGコーチのオファーをいただきました。連絡をいただいて最初に脳みそに浮かんだ言葉は「怖い、どうしよう」。私は仲間という存在が大好きなので、知り合いがいればその人のために、という気持ちで即決していたと思います。でも今回は知り合いのいない外語というチーム。即決はできませんでした。でも、家から電車1本で行けるという理由だけで、とりあえず練習見に行ってみるかと思いました。

練習に行って最初に感じたことは「なんか雰囲気が理科大に似てるかもしれない」でした。さらに当時の私は、面接に行けばすごいすごいと企業の人事に言われ、通知メールが来たと思えば選考通過の知らせで、調子に乗っていました。でも外語に来たら、みんなスペックが高いのに、目の前のラクロスにこんなに真剣になっている。浮き足立たずに現実を見ている。そんなみんなを見て、こんなことで調子に乗っている場合じゃないと強く感じたし、このチームに関わったら自分の成長に確実につながる。コーチを引き受けることを決意した瞬間でした。


そこから始まった2年目のコーチライフ。最初はとにかく勝手にAwayさを感じていました。正直私みたいなタイプのコーチはあんまりいないだろうから、みんなに負担になっていないか、チーム目標である3部昇格に向けて一緒に準備できているのか。どうしてもコーチ1年目の時と比較してしまい、自分のコミット具合に不十分さを感じていました。そんな私の転機は合宿。ここを境に復帰代をはじめとし皆のことを少しずつわかるようになりました。そこからはゴーリーという枠組みを超えて、フィールドにも何か思ったことがあれば言ってみるようになりました。気づけば初戦前日のmtgで「みんなと最長でラクロスがしたいから入れ替え戦につなげたい」なんて言うようになっていて、あーー私もそんなに気持ちが入っていたんだとふと思いました。


そしてみんなは、10/18のICU戦をもって、みんなとラクロスする期間を最長に延ばしてくれて、私のお願いが現実になりました。入れ替え戦が近づくにつれ、自分が4年の時に見たあの景色をみんなにも見せてあげたいと強く思うようになりました。ゆみかさんに相談していただき、自分たちが入れ替え戦をどのように戦ったのかなどを共有したり、自分もゴーリーやDFたちとスカベースの質の高い練習をして、自分の中でも入れ替え戦がいよいよ来ると現実味を帯び始めました。しかし、それと同時に入れ替え戦2-3週間前くらいから本当にこれで勝てるのだろうかと私は考え始めました。これは、みんなを信じられていないのではなく、4年の時の入れ替え戦の準備期間と圧倒的な差があったからです。4年の時、チームみんなが確実に同じ方向を見て、みんなが入れ替え戦に狂気的になって、暇さえあれば相手校のビデオを見ていたあの時と、自分の立場は違えど、比較をしてしまいました。このレベルの想定で勝てるのだろうか、この練習で果たして当日戦う姿をみんなはイメージできてるのだろうか。一方でゴーリーコーチとしてこのチームに来ているのに私が自分の枠を超えた発言をしていいのかとも思いました。でも、やっぱりあの入れ替え戦での勝利という一生忘れられない景色を見させたい気持ちが自分の中で強くなり、クリライやOFの型練にも口を出しました。それでもコーチたち、みんなは嫌な顔ひとつせず私の意見ややってみたいことを受け入れて、そこに改善案を乗せて返してくれました。こんなにも素直で真正面からぶつかってくれるみんななら確実に昇格できると思えるようになる一方で、みんなへの期待が高まり、練習中に厳しいことを言う回数も増えていたかもしれません。でもそれが、試合本番の1本のグラボ、1本のDFへの切り替えに繋がっていたら嬉しいです。


すでに長めのブログですが、ここからは少しゴーリーズの話をします。入れ替え戦が決まった10/18、ゴーリーズ3人と私は夜zoomをして、ゴーリーズにはもっと組織的に繋がりを強めてほしいという話をしました。どんなに仲が良くても、仲が悪くても、コート上には1人しか立てないというポジション。だからこそ、仮にコートに立てなくても誰かのセーブを自分ごとのように喜べるゴーリーズになってほしい、コートに立てる1人にはあとの2人の想いを背負う責任を持ってほしいと伝えました。そして、入れ替え戦当日、相手より自分たちの方が準備をしてきたと確実に思えるために、その日から何かをやり抜くという目的の元、ゴーリーズ3人とわたしは毎日報告日記をLINEグループでスタートしました。結果、3人とも当日まで1日も欠かすことなく報告してくれました。ポジティブなことだけじゃなくてネガティブなことまでしっかり報告してくれたことが嬉しかった。3人の中で今まで知らなかったお互いのことを知って、3人で25 tufs laxのゴールを守るって自覚が芽生えたのが目に見えてわかったことが嬉しかった。3人は強いゴーリーズになりました。誰が出ても、ミスを自分のことのように悔しがり、ナイスプレーを自分のことのように喜ぶ組織ができあがっていました。この3人ならやってくれると思いました。


そんなフィールドのみんなとゴーリーズのみんなと、私のだる絡みにたくさん対応してくれたスタッフ陣と、がきんちょしゅうこを仲間に入れてくれたコーチ陣と迎えた入れ替え戦当日。60分のプレー時間。ライドがはまって、ゴーリーセーブが生まれて、やってきたことが間違っていなかったことが証明されて、びっくりするくらい楽しかった。1年前は縁もゆかりもなかったこのチームのことがだいすきになって、わたしが現役の最後に味わった感覚を一緒に味わえたことがなによりも嬉しかった。

最高の景色を再び見せてくれたみんなには感謝しかありません。そして出会ってくれて、コーチをやらせてくれてありがとう。


最後にわたしがここまでのラクロス人生を通じて学んだことを伝えます。

今苦しいことは、どんな形かはわからないけど自分の将来の財産になって返ってくる。私はよく人から、苦労したことがなさそうと言われます。基本的にとんでもなく明るい人間なので、沈んでるところをみんなが見ないからだと思います。それでも4年の時もコーチ1年目もとんでもなく辛かった。でも今振り返れば、4年の時にチームのためにATに入ってたりしたから、その時に身についた考え方のおかげで去年フィールドのコーチができた。そして去年他大でコーチをしたから、今年外語のコーチができた。一昨年、去年の一部だけを切り取ったら辛い思い出ばっかりが出てくるけど、それが今年外語のコーチになることに繋がったなら当時がんばってよかったし、2年間の苦労なんてへとも思わない。そう思わせてくれるくらい、みんなとの出会いが私にとってかけがえのないものです。4年の時にスタメンでバリバリ戦う立場に立っていたら、去年コーチを楽しいと言う気持ちだけで終えていたら今年こんな関わり方はできていなかった。みんなのことをここまで考えられるようになっていなかったかもしれません。当時、あるべくしてわたしは苦しい立場を経験できたんだと思います。わたしの苦しかった時間は、外語のみんなと出会うという形で自分の財産になりました。

みんなも苦しいときは絶対にある。逃げるも逃げないも全部自分の自由。それでもそれを見てる人は絶対にいるし、その時に得た学びはなんらかの形で自分に返ってくると思っています。



ゴーリーズの3人へ

ゴーリーは痛いし、プレー中は1人しか立てないし、交代もしにくいポジション。1回のフライが命取りになるポジション。でもどのポジションよりもコート全体が見れて、1回のセーブでチームを救えるポジション。ゴーリーの良さは、ゴーリーにならないとわからないと思っています。みんながそんなポジションを選んでくれて、出会えてよかったです。年も近くて、そんなにコーチという感じではなかったかもしれないけど、私にはtheコーチというコーチ像はなかなか似合わないので、私らしくラクロスを楽しむをモットーに1年やってきたつもりなので、3人にもそれが伝わってたらうれしいなーーー。どこまでも努力家なしぇりー、コート外ではべたべたな感じなのにコート上では急に頼もしくなるるな、初々しさと貫禄をいいバランスで兼ね備えているしょう。3人のこれからの人生で、25で学んだことが1回でも活きるといいなと思ってます。1年間ありがとう!!



Gコーチ しゅうこ